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恋の自覚とは、得てして唐突に訪れるものだ。
俺の場合、それはある意味最悪な形で訪れた。

火神とクラスメイトになった時、正直俺は怖かった。
体格の良さに加え、力強く引かれた特徴的な眉毛と、眉根が寄っているような顔立ち。
ぞんざいな話し方や低い声だって大きい声を出されたら少し怯んだりもした。
そんな印象はすぐに崩れ去って、一人暮らしで家事が得意だとかバスケが好きで好きで仕方ない少年のような一面があることを知った。
そこからは、一気に仲良くなった。

バイト帰りに火神の家に寄ってタダ飯を食って寝こけたり、一緒にNBAのビデオを見たりした。
男同士なんだからと火神は気にせずに風呂上がりにパンツ一丁でうろうろすることもあった。
その時の俺は、火神の男らしい身体が同性から見ても魅力的だと思っていた。厚みのある筋肉のしっかりついた身体。
火神の目を盗んで見惚れたことだってある。あんな身体になりたいと男ならば誰しも一度は思うだろう。

……今思えば、それは羨望の眼差しなんかじゃなかったんだろう。
恋の自覚のなかった俺は、それが恋愛感情だなんて砂の粒ほどにも思っていなかった。
もっと早く自覚できていれば良かった。
そうしたら、あんなに気まずい思いなんてしなくて済んだのに。




同じバスケ部の黒子を除けば、俺はクラスで一番火神と仲が良かった。
火神の話や行動は俺には全て新鮮で、恥ずかしい例えだけどキラキラと眩しかった。
下らない話だってたくさんした。大きく口を開けてギャハハと笑うことだって少なくなかった。
火神の笑顔、拗ねた顔、困った顔、呆れた顔、照れた顔、落ち込んだ顔、バスケを楽しんでいる顔、ビデオで試合の様子を真剣に見る横顔……。
全てが俺を魅了してやまなかった。
火神の表情を俺が引き出したという事実がこれ以上ないほど嬉しくて、俺も怒ったり笑ったり喜んだり忙しない毎日を過ごしていた。

火神と居る時が一番楽しい。
料理している後姿を見て、「新妻大我くーん!」だなんて茶化したこともある。
てっきり怒るかと思ったけれど、度量のデカい男前火神は「何だそれ」と呆れ混じりに、美味しそうなクラムチャウダーをテーブルに置いた。
本当にわくわくしていた毎日だった。



その日も、バカ騒ぎして過ぎるはずの日常だった。
ミーティングだけで終わった火神を待って、一緒に駅前に行こうと学校を出た。
大通りの歩道の信号が青になった瞬間、俺はふと思い出した話を火神にしはじめた。
『はは、んだよそれ』
『なー、マジ馬鹿だよな』
そんな会話がなされるはずだったのに。


『日高!!』
これ以上ないほど目を開いた火神の顔を認識したと同時に、ぐいっと身体が強すぎる力で引っ張られる。
ドンッと固いものにぶつかって、衝撃に目を瞑る。その刹那、近くを車のエンジンの音が爆音で通り過ぎていった。
『っぶねぇな!信号守れ!』
もうもうと煙を吐き出して見えなくなった車に吼えた火神が、先ほどとは正反対に窺うような優しい声で俺に話しかけた。
『日高、大丈夫か?ケガしてねえか』
じわりと熱い火神の手のひらが俺の両腕に添えられている。
パチリと目を開くと、そこには着崩したワイシャツ。
洗剤の香りがふわりと鼻腔に漂って、その中に少し混じった男くさい香りを認識した途端、バクバクと心臓が悲鳴を上げ始めた。
俺がさっきぶつかったものは、このがっしりとした身体だったというわけだ。
俺が憧れている、火神のたくましい身体に包まれている。
190センチの火神の息が前髪にそよそよと当たってくすぐったい。

『う、うん』
俺の緊張が車に引かれそうになったことによるものだと思ったらしい火神は、俺の無事を確かめると俺の肩に頭を埋めるようにして大きなため息をついた。
『マジ焦った……お前がぶつかってケガしたらと思って、』
少し弱くなった声が耳元で聞こえて、俺はそんな空気じゃないと知りながら内心は荒れ狂う海のように混乱していた。
低くて掠れそうな声が鼓膜に響いて、ずくんっと身体が熱くなるのを感じた。
嗅ぎ慣れたはずの火神家のシャンプーの匂いが、今は俺の心臓をめちゃくちゃに跳ねさせるものにしかならなかった。
『……ちゃんと左右見て歩け』
『は、い』
相変わらず耳元で聞こえるそれに、干上がる喉をどうにか湿らせて声を出した。
『……俺んち行こうぜ。今日はもう外に居たくねぇ』
寿命縮んだぜと嘆息する火神にごめんと謝ると額を小突かれた。

そこからは火神もいつものように接してくれて、美味しいご飯も作ってくれて、いつもの日常が戻ってきたように見えた。



それが、俺の小さな小さな淡い感情が生まれた瞬間だった。
そこからは、火神が何をしてもキュンと胸が高鳴るようになった。
顔を見ると苦しくてたまらない。それでも離れていたくなくて、相変わらず火神にひっついていた。
淡すぎる感情はちらちらと姿を現していたけれど、俺はそれに気づかなかった。いや、あえて気にしないようにしていたのだろう。
気づいたらいけないという無意識の自制心が働いていたように思う。

それから数か月、俺はどうにか心の平静を保っていた。
火神を見ても動揺することもなくなったし、もう大丈夫だという自信があった。
火神の家に泊まることはなくなったけれど、親に外泊禁止を言い渡されたと誤魔化すと素直な火神は謝ってきた。
悪くないのに謝らせてしまったことはひどく居心地の悪いことだった。


違う、違うんだ。そうじゃない。
俺はそうじゃないし、火神もそうじゃない。
あの日、火神の体温に包まれたことはもう忘れるべきなんだ。
俺と火神は………友だちなんだから。
違う違うと自分に言い聞かせながら、いつもの「日高千晴」として振る舞った。
火神とバカ騒ぎする日高千晴。テストは全部平均点スレスレで、日本史は得意だけど世界史は壊滅的な日高千晴。
大丈夫。俺はちゃんと笑えている。
火神の友人として、クラスメイトとして。




その時俺は、火神と黒子と三人でバスケの話で盛り上がっていた。
「で、すごかったんだよ!苦し紛れに打ったのがリングをぐるぐる回ってネットをくぐってさ、その瞬間にブザーが鳴って、まさかの逆転勝利!」
火神と二人でNBAの試合を見ていて、ミラクルプレーに二人して興奮したものだ。
「あれは予想外だったよな」
「なー、俺ら二人で思わず立ち上がって叫んだもんな」
「それはそれは」
おじいちゃんみたいな返事で黒子が微笑む。
そこまでバスケに詳しくなかった俺だけど、火神とビデオを見るようになってからは少しずつ面白みがわかってくるようになった。
火神が心の底から楽しそうにルールやプレイヤーの来歴などを教えてくれて、その横顔を見るのがとても好きだった。そうするとこっちまで嬉しくなってしまう。

「お前ってさ、ほんっとに嬉しそうに笑うよな」
「え?」
火神の言葉に思わず聞き返す。
「なんつーか、俺その顔けっこう好きなんだよな。好きなことの話になると、よくそんな顔で笑うだろ」
「そ、そう?」
火神に好きと言われてしまった。
やばい、無意識でやってることだったけど、すっげぇ恥ずかしい。でも嬉しい。
「こっちまで幸せになっちまうくらいに、良い笑顔だぜ。な、黒子?」
「そうですか?」
「あ?けっこうこんな顔してんだろ。うちでバスケの試合見てる時もだしよ」
「あぁ、そういえば、火神くんの前ではよく笑ってますよね」

ガチッと俺の笑みが強張るのがわかった。
純粋に試合を楽しんでいる時もあるけれど、理由の半分は火神の無邪気な笑みが見られるから、という邪なものだった。
「大好きなんだなぁって思います」
黒子の言葉に今度こそ顔色を失せた。

いつも通りにしていたつもりが、バレた?
火神を好きって気持ちは隠せていなかった?
黒子だけじゃなくて、本人にも?
俺の笑顔が、火神のことが好きで堪らないと告げてしまっている。
まずい。非常にまずい。
これが友愛じゃなくて恋愛感情だとバレたら。
この心地いい関係が終わってしまう。
火神に、気味悪がられてしまう。
隣に、居られなくなってしまう。


一気に目の前が暗くなった気がした。
「……い、おい、日高!」
ガシリと掴まれた肩を揺さぶられ、ハッと我に返る。
「あ……ごめん、なに?」
「いや、大丈夫か?なんか顔色悪ぃぞ」
「そんなことないって。ちょっと眩暈?みたいな?」
早口で誤魔化すようにまくしたてると、火神は訝しげに俺を見た。
「黒子じゃねーんだから、バテて倒れんなよ」
「馬鹿にしないでください。見て下さいこの力こぶ」
「いやだから、ねぇって」
そんなお決まりのコントをしている間にも俺はぐるぐると思考を巡らせていた。
この気持ちを知られてはいけない。感情を見せてはいけない。
知られたら、全部なくなってしまう。それはダメだ。

俺はこの心地いい空間が好きなんだ。




そうして、発想力の貧相な俺が考え付いた策は、悲しきかな、できるだけ近寄らないようにすることだ。
嫌われたと思って欲しいわけじゃない。ただ、ほんの少し距離を置くんだ。
俺が自然に、友人として普通の温度で笑えるようになるまで。
いつも遊びに行っていた土日や放課後は、バイトを始めたということを言い訳にして家に行くのをやめた。
昼飯も、他のクラスの友だちに誘われたからという理由で週の半分はそっちで食うことにした。
もちろん怪しまれないように、週のもう半分は黒子と火神と三人で食べたし、休み時間も話した。

そして、あまり笑わなくなった。
いや、楽しいと思うことはもちろんある。
火神と黒子の話は聞いているだけで楽しいし、おかしくてよく笑う。
それでもあの言葉を聞いてしまった手前、純粋に笑えなくなってしまった。

『火神くんの前ではよく笑ってますよね』
『大好きなんだなぁって思います』

『大好きなんだなぁ』
『大好き』

『大好き』


黒子のその声が過って、なんとも不自然な笑いになってしまう。
早く直さなければと思って家で鏡を前に笑顔の練習をしたりするんだけれども、火神を好きだという気持ちが前面に出てしまっている笑顔など見たくもなくてやめてしまう。
早く元通りに戻らなければ。
そんな強迫観念に駆られていた俺は、火神が神妙な顔つきで見つめてくるのに気付けなかった。







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