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□真澄
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とある早朝、真澄は談話室のソファでぼんやりと宙を見つめていた。
昨日の素敵すぎる出来事をもう何百回も頭のなかでリピートしているからだ。
興奮でほとんど寝られずに夜が明けたので、いっそ起きた方が健全だと起き出したのである。


昨日は真澄にとって人生で最高の一日だった。

真澄がひたむきに恋をして何度もアタックし続けた千晴が、ようやく首を縦に振ってくれたのだ。
毎日欠かさずに好き、愛してる、かわいい、結婚して、付き合って、と事あるごとに求愛を繰り返した真澄の想いが報われた瞬間である。

昨日も日課のようになっている求愛を口先に乗せた時だった。
「……あはは、真澄には負けた」
「?」
「毎日脇目もふらずに好き好きって言われたら、好きになっちゃうに決まってるよ」
「千晴、それって……」
「うん、好きだよ真澄」
今まで頑なに頷かなかったのに、どんな心境の変化が起きたというのだろう。
しかしここで本当かと問えば千晴が前言を撤回しそうで、真澄は慌てて言葉を紡ぐ。
「恋人になってくれるってこと?」
「真澄がよければ」
「当たり前。俺、ずっと恋人になりたかった。千晴の隣にいる権利が欲しかったんだ」
「真澄は言葉でも態度でも好きだってずっと伝えてくれてたから。たまに居ないと少し寂しかったりしたよ」
照れながらもそう教えてくれた千晴が愛しくて、真澄は滲む視界を乱暴に服の袖で拭う。
「え、泣く?」
「泣いてない……」
拭いても拭いてもじわりと熱い雫が目尻から溢れていく。
千晴は俯いた真澄の頭を慰めるように撫でた。
「……待たせてごめん。でも、生半可な気持ちじゃ真澄を傷つけるだけだと思ったからさ」
ちゃんと真澄と同じ高さのステージに立たないと真澄の愛の濁流に押し潰される気がして、気軽に頷けなかったのだと言った。
「今は俺と同じ気持ち……?」
「ふふ、うん。ずっと隣に居てくれる?」
可愛らしく笑む千晴に、真澄は声も出せずにひたすら頷いた。

ほんの数分前はいつもの掛け合いだったはずなのに。
何の天変地異かは知らないが、真澄は今ならこの世の全てに感謝して慈しみ、例えいきなり誰かから殴り付けられても笑顔を湛えて許すだろうという確信があった。
もしかしたら喜びが打ち勝って痛みすら感じないかもしれない。

心臓がバクバクと音を立てて騒ぎ立て、まともな言葉も発することができない。
最後にポロリと落ちた涙を千晴が拭い取ってくれたことで、ようやく真澄は事態を理解した。


「嬉しい……夢じゃない?千晴、頬つねって」
「夢じゃないけど、してほしいならするぞ?」
真澄がこくりと頷いたことで、千晴の指がきゅっと頬をつねった。
「そんなに痛くない……優しくつねってくれる千晴、好き……」
うるうると瞳を潤ませて桃色の息を吐く真澄に、千晴はくすくすと笑った。
付き合っても真澄は通常運転だ。
相変わらず千晴を溺れさせるほどの愛を注いでくれて、だからこそ欠かせない存在になってしまっていたのだ。


「ねえ、キスしたい」
突然の真澄のお願いにはさすがの千晴も驚いた。
「え、恋人になったばっかりなのに」
「ずっとずっとキスしたいと思ってた。ハグして恋人繋ぎして公園デートも。あとペアリングとペアのマグカップと、ペアルック。相合い傘して寮に帰ったり……もっと、全部したい」
「ん、そっか。じゃあ全部しよう」
はにかみながら頷いてくれた千晴に、真澄の表情が一気に明るくなった。
「でも、ちょっとずつだな」
「どうして、全部もっとたくさんしたいのに」
「楽しみは取っておかないと」
「楽しみに思ってくれてるなんて……最高。……じゃあ、全部ちょっとずつ、たくさんしよう」
矛盾している真澄の言い分に千晴は吹き出して、それでもそうしようかと真澄の願いを聞き届けてくれた。


そういえばキスの話から逸れてしまったと、真澄が話を戻すと千晴は顔を赤らめた。
「ちょっと……心の準備が、さすがに当日は……」
正直、真澄の顔は千晴のストライクゾーンを豪速球のど真ん中に撃ち抜くほどなので、そんな顔が目の前に来るなんて耐えられないかもしれないと危惧しているのだが、真澄はそんなこと露知らずに千晴が照れてる、可愛い……と明後日の方向に思考を飛ばしていたのだった。
「じゃあ、いつならいい?明日?明後日?」
「あ、明日もちょっと……もう少し慣れたら……」
「慣れるにはキスしかない」
真澄が持ち前の粘り強さでグイグイと千晴の理性を崩そうと顔を近づけてきて、千晴は驚いて後ずさった。

「……逃げられた。そんなに近づかれたくない?」
しょんぼりと真澄が眉を下げたので、今度は千晴が慌てた。
「そうじゃなくて!真澄は、その……格好いいから近いと緊張するし」
「格好いい……?千晴が俺のこと格好いいと思ってくれてるとか、幸せすぎて死にそう」
「だからほら、手を繋いだりとかハグとか、少しずつ慣れさせてほしい、です」
押せ押せな真澄の性格を知っているから、これでは説得できないかとヒヤヒヤする千晴の予想は良い形で裏切られた。
「……わかった。少しずつ、ゆっくりやる」
「真澄……ありがとう」
「じゃあ、まず手を繋ごう」
「え、早速?」
「早く千晴の全部が欲しいから、慣れる練習」
さらりと殺し文句を言わないでほしい。ドキドキしっぱなしだ。

真澄が千晴の両手を優しく握った。
真澄の指は想像より太く長くて、包み込んでくれるような心地だ。
好きな人の手はこんなに気持ちいいのかと千晴はぼんやり思った。
真澄はといえば緊張しつつも千晴の肌を堪能すべく握ったり撫でさすったりして感触を覚えようと必死だ。
カチリと視線が合えば嬉しいような気恥ずかしいようなくすぐったさが込み上げて、えへへと情けない笑みを浮かべあった。
そして真澄は千晴の気が緩んだタイミングで、がばりと千晴の身体を腕のなかにしまいこんでしまったのだ。

「わっ、ま、ますみ」
「はぁ……ずっとこうしたかった。嬉しい、幸せ。」
心の底から出たであろう感嘆に、千晴はドキドキしながらも愛しい気持ちがむくむくと湧いて出てきたのを知った。
演劇の為に鍛えられたしなやかな筋肉。千晴の身体を包む逞しい腕。
夢見心地で真澄の腕に囲われてしばらく経ち、そろそろ離れた方が良いんだろうかと逡巡した千晴の思考を読み取ったのか、真澄は腕の力を強くする。
「気持ちいい……こうしてると、天国にいるみたい。千晴は?」
「ん、僕も気持ちいい。真澄は意外と体温が高いって知らなかった」
「大好きな千晴を抱き締めてるから興奮して当然」
「なんだか眠くなってきた……」
「このまま寝る?」
「ん〜、でもまだお風呂入ってないし……」
どうしようかと悩んでいると、コンコンと千晴の部屋のドアがノックされた。
「千晴くん、お風呂空いたからどうぞ」
ドアの向こうから紬が声を掛けてきた。
「あ、はぁい」

「俺も入る」
「真澄は春組の時間に入ったじゃんか」
「離れたくない……」
「無断外泊したら綴さん心配するよ」
「どうせ脚本の締め切りに追われてるから気づかない」
「それでも今日はだめ」
「どうして?」
「……少しずつゆっくり、でしょ?」
甘く諭す声音が色っぽくて、真澄は無意識に喉を鳴らした。
「………………わかった」
かなり渋りはしたものの、真澄は千晴の言葉に頷いて部屋に帰ろうとする。
「あ、真澄」
「なに?」
千晴が引き留めてくれたと内心で喜ぶ真澄をよそに、千晴は無慈悲なことを言い出した。
「恋人になったのは、みんなには秘密にしよう」
「は?」
つい低い声が出てしまったが、仕方がないだろう。
ようやく千晴を手にいれたというのに、それを秘密にしようだなんて千晴は一体全体何を考えているのだ。

「みんなに知られるのはちょっとまだ恥ずかしいし、団員内の恋愛禁止って言われちゃうかもしれないし」
「そんなこと言うやつは俺が消す」
「消すって物騒だなぁ」
「嘘。……説得する」
「でもそれが回り回って別れることになるくらいなら、内緒にしてた方がいいと思うんだ」
劇団員はみんな良い人たちだけれど、それがきっかけで気まずくなるのは避けたい。
「ね?」
「千晴が俺と一緒に居たいと思って言ってる事なら……」
実のところこれが最大の難関だと思っていたので、思いの外すんなりと納得してくれた真澄に抱きつく。
「千晴っ!?」
「ありがとうのハグ……って恥ずかしいな、あはは」
風呂の支度をして部屋を出た千晴について真澄も風呂場まで送った。
「おやすみ」
「おやすみ」


そうして夢心地のまま部屋に戻った真澄は、予想通り締めきりに追われて頭を悩ませている綴を横目にベッドに潜り込んだ。
千晴がくれた言葉、手の感触、抱き締めた温度を思い返しては感動に胸を震わせる。
本当は夢かもしれないと自分でもう一度頬をつねったがやはり痛く、真澄はニコニコ顔で何度も自分の頬をつねった。
寝ようとしても興奮が勝ってしまい、どうにも目が冴えてしまう。
結局は明け方まで寝返りを打ち続けても寝付くことはできず、こうして談話室にやってきたという訳である。


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