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□真澄
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2.無意識じゃいられない


醒めるような恋の自覚と同時に、真澄の世界は一変した。
演劇なんか興味の無かった真澄が、MANKAIカンパニーという劇団に所属することにしたのだという。
「まんかい、かんぱにー……」
「そう。今度の公演が成功しなかったらヤクザにブルドーザーで劇場を潰されるらしい」
のっけから胡散臭さ満載の話に、真澄がおかしな集団に目を付けられたのではないかと千晴は頭を抱えた。
ハニートラップに引っかかってしまったのだろうかと不安になり、監督とやらの写真を見せて貰った。
数々の男を妖艶に誘う悪女のようには見えず、活発な雰囲気が見て取れる優しそうな女性だ。
こういう一見害のなさそうな人間に人は騙されるのだが、目の前の男はその可能性に気付いてすらいない。

「ちょっと怪しすぎるんじゃないの。集団詐欺とかさ、」
「あいつはそんな事する奴じゃない。演劇が好きで、父親の残した劇場を潰したくなくて頑張ってるだけ」
漫画でよくありそうなシチュエーションだ。そんな事が本当に現実に起こり得るのだろうかと千晴は首を捻った。
「昨日初めて会った人なのに、」
どうしてそこまで肩入れできるんだ、とは聞かなかった。
真澄にとって心躍るものではなかった現実が変わろうとしている。それに水を差せないことは千晴は重々理解していた。
「千晴は会ってすらないだろ。あいつのこと何も知らないのに、詐欺師扱いは許さない」

真澄のすげない言葉に、さっくりと胸を切り裂かれた。
真澄を心配して出た言葉だったのに、昨日会ったばかりの素性も知れない人間を擁護された。
十数年ずっと隣に居て築いた時間と信頼は、昨日のドラマチックな出会いに負けたということなのか。

もし心に血が通っていたら、今頃きっと辺りは血の海だ。
鋭い言葉のナイフがザクザクと心に刺さって、抉られて、血の涙を流している。
所詮、真澄にとって千晴はその程度の存在だということなのか。
確かに、真澄は千晴のことを好きだなんて一度も言ったことがない。
真澄の行動を千晴が勝手に勘違いして、真澄は自分が好きだと決めつけていただけなのだ。
そして勝手に浮かれて、いつか真澄と結ばれるなどとおかしな妄想に浸った。
真澄にそんな気はさらさらなかったというのに、だ。

「ん、そうだな。ごめん」
へらりと締まりのない笑みを浮かべて、思っても無い言葉が口から放たれる。
「千晴?」
「でもさ、友達として心配してるってことだけは知っててほしい。真澄の人生を邪魔する気なんてないけど、それだけは覚えてて。な?」
「千晴……」
そう、真澄と千晴は最初から友達でしかなかった。
毎日一緒に居ることも、お互いの家に泊まることも、ベッドで一緒に寝ることも。
それはきっと真澄にとっては友達として普通のことなのだ。

その『普通のこと』を、千晴が勝手に大仰なこととして扱って、勘違いの幸せに浸っていただけだった。


「トイレ行ってくる」
教室から駆けだして、トイレの個室に入る。
目を覚ませと真澄を諭そうとしたけれど、夢から覚めなければいけないのは、本当は千晴の方だった。
じわりと歪んだ視界は、何度か瞼を瞬かせることで無理やりクリアにさせた。
数粒零れた液体の正体は、千晴にはよくわからない。
よし、と小さく気合を入れて教室に戻り、”いつもの” 千晴を真澄に見せた。
真澄はふと目元を綻ばせて、また監督の話を始める。


たぶんこれが日常になる。
こういう嫌な勘に限っては当たってしまうのだ、人生というやつは。








「引っ越ししたから、明日から一緒に行けない」
「え、引っ越し?」
「そう。団員は寮に住める。監督と同じ屋根の下で生活できる……最高」
桃色に頬を紅潮させる真澄はまさに恋する少年だ。
「しかも、毎日手料理が食べられるなんてもう結婚と同じ。他の奴らも居るのが気に食わないけど……」
他の人が居るのならばそれは結婚とは違うのでは、という言葉は呑み込んだ。
こういう状態の人間は普通聞く耳を持たないし、真澄に至っては尚更その傾向が顕著だ。
「ん、わかった」
登校は一緒にできなくなった。ということはつまり下校も一緒にできなくなったわけだが、帰りは寄り道くらいならできるだろうと己に言い聞かせる。
「稽古とか、してんだ?」
「帰ってから夜までずっと基礎練習だけでつまらないけど、監督が見てくれてるからやってる」
「ふぅん」
ということは、泊まりに来ることもほとんどなくなるのか。
劇団の存続をかけた公演をしようとしてるのに、劇と関係ない友人の家に泊まるなんて監督が許すはずもないだろう。
落胆の顔を見せないように、千晴はそのまま真澄の劇団の話を聞いた。


放課後、寮に帰るのだという真澄と校門で別れた。
「んー……暇だなぁ」
毎日真澄と放課後どこかに出かけたりお互いの家に行ったりしていたから、急にぽっかりと時間が空いてしまった。
本屋の漫画コーナーに寄ってみたものの、どれもいまいち食指が動かない。
仕方がないので家で時間を潰した。
録画された番組を流し見しながらも頭の片隅には真澄が居る。
写真で見た監督と楽しそうに話している真澄の姿だ。膝枕くらいならねだっているかもしれない。
いやでも、膝枕くらいおれだってしたし。真澄は好きな人じゃなくても膝枕をねだるんだから、特別じゃない。
そんなつまらない意地を張る。言葉にしないから誰も知らないけれど、千晴は心のなかで監督にそう宣言していた。


そうして千晴の予想通り、千晴にとっては辛い日常が繰り広げられることになる。
「編み込みしてる監督が可愛かった。俺が褒めたら嬉しそうにニコニコしてた」
「へぇ」


「発声練習の時に『監督好き』って言ったら他の奴らに怒られた……。好きな言葉で練習して良いっていうからやったのに」
「それは真面目な練習とは取れないんじゃない」


「昨日、学校帰りにLIMEしたらたまたま学校の近くに居たらしくて、デートして帰った」
「……ふぅん」
「スパイス専門店と、スーパーに行った。付き合ってくれたからって飲み物奢ってくれた。勿体なくて飲めない」
「それはデートというか……買い出し?」


真澄はさまざまな監督との思い出を千晴に話す。
千晴が乗ってしまっているから仕方ないのだが、溢れる想いを零したくてたまらなくて、それの捌け口がたまたま千晴だっただけなのだろう。
『友達』である手前、監督の話ばかりするなと拗ねてむくれる事もできない。


ふと、真澄の声が遠くなった。まるで水中に居るみたいに声が揺れて聞こえづらい。

目の前に居るのは確かに真澄なのに、まるで知らない人みたいだ。
ついこの間まで、好きな音楽や本、テレビや学校の話ばかりしていた。
それが今、真澄が話していることがすっかりわからない。
言語としては理解できるけれど今まで知らなかった初めての情報ばかりで、頭と心がチグハグなのだ。

舞台?演劇?
映画はよく見るけれど、舞台は学校行事でたった一回だけ見に行った経験しかない。
発声練習、エチュード、ストリートACT。
馴染みの薄い単語が真澄の口からするすると出てくるのに違和感を強く覚えた。

きっとそれらの意味を聞いたら、真澄は嬉々として説明してくれるだろう。
けれど上辺だけの意味を知っても、千晴には意味がない。
だって千晴は真澄の隣に立って一緒に演じることはないから、知ったところで仕方がない。


「遠い、なぁ」


知らない人みたいだ。
小さく呟いた声は、真澄が監督の魅力について話している言葉に沈んで消えていった。

監督や劇団ばかりの話をする真澄の隣で、心ここに在らずの相槌を打つ千晴。
何かを掛け違えたまま、日々は確かに進んでいた。





時間を共有することが減った分、心理的距離が遠くなった気がする。
真澄とは学校では相変わらずくっついて行動しているから、傍から見た二人は何も変わらないように見えるだろう。

今日も今日とて演劇の話と寮の話、それと一番は監督の話だ。
公演が目前に迫っているため、通し稽古を何度もやるのだそうだ。
監督の厳しい指導の甲斐もあって、形になってきたそれらは真澄を虜にしてやまない。
夜の練習のハードさを物語るように真澄は学校で寝てばかりいる。
授業の時はさすがに起こすのだが休憩中はすぐに寝入ってしまうので、最近は真澄の寝顔ばかりが記憶に新しい。

前も真澄の寝顔をよく見ていた。
その時は微笑ましい気持ちで胸をときめかせていたのに、今は気持ちが全然違う。
真澄は少し精悍な顔つきになったように思う。いろんな経験を通して確実に成長している。

自分だけが取り残されたような漠然とした不安が千晴を強く襲ってきた。
真澄はもう振り返ってくれないんじゃないか、真澄の隣に居る仲間や監督に笑顔を向けて、もう千晴のことなんか――……。
「千晴?」
「へっ、あ?」
思考の海に浸っているうちに真澄が目を覚ましたようだ。
きっと難しい顔をしていたのだろう、真澄は小首を傾げてどうしたのだと問う。
「眉間に皺が寄ってる。何かあった?」
「いや、なんでもない」
「何でもないわけないだろ」
「今度出るゲーム欲しいけど、お小遣い足りないなって思ってただけ」
「……本当に?」
千晴の真意を探るように目を見つめられ、ぐっと顎骨をしめた。
「嘘つく必要ないだろ」
嘘で塗り固められた笑みを見せると、真澄は一応納得してくれたようだった。

また一歩分、距離が遠くなった。そんな気がした。
遠ざかったのは、果たしてどちらなのだろう。



***



気付いたら、立ち上がって拍手をしていた。
汗を掻きながら舞台上で観客に挨拶をする春組のメンバー。
ダブル主演の一人、咲也は目に涙を浮かべながら何度も観客にお辞儀をする。
もう一人の主演である真澄はまっすぐ千晴を見たので、笑顔で頷いた。
とろりと蕩けた笑みが真澄から零れ、綴がぐりぐりと頭を撫でたことでその視線は千晴から外れた。
いつもならうざったいと払う手も興奮のまま受け入れた真澄は、舞台袖のいづみをしっかりと見た。
客席からちらりと見えた彼女は、涙を滲ませながらも満開の笑みで力いっぱい手を叩いている。


真澄は、しっかりと主演を務めあげた。
地味にきついとぼやいていた基礎練習や何度も指導を受けながら磨いた演技の集大成を、この千秋楽で見せてくれた。
最初は観劇に乗り気でなかった千晴も、いつのまにか手に汗を握って食い入るように観ていたのだ。
仲間にもみくちゃにされている真澄を見るのは新鮮で、千晴の胸は感動と共に温かな気持ちに包まれていた。

真澄の、いや春組全員のたゆまぬ努力がこんなにも千晴の胸を揺り動かしたのだ。
こんなに心躍らせるもの、千晴が太刀打ちできる相手ではなかった。真澄が夢中になるのは当然だ。
一度取りつかれてしまったから、きっともう真澄はこの情熱を燃やし続けるのだろうという確信があった。
ならば、友達の千晴にできるのはただ一つ。
これからも真澄の活躍を陰ながら応援しようと決めた。




「本当に、すごかった。殺陣のシーンは本当に緊迫した情景が出てた」
翌日になっても興奮冷めやらぬ千晴は、真澄に賛辞の言葉をこれでもかと送りつける。
「ロミオが敵だって知った時のジュリアスの辛そうな表情で泣きそうになったし」
「千晴、」
「ティボルトとのやりとりも気心知れてる感じあって好きだったな」
「千晴、も、いい……」
「え、どうして。まだ好きなシーンあるけど」
「手放しで褒められると……むずがゆい」
耳まで赤くした真澄が顔の前に手を翳してストップをかける。
そんな姿にキュンとしてしまう千晴はもう重症だ。
もっと恥ずかしがる真澄を見たくて、千晴は上機嫌に舌を回す。
「最後のところなんかロミオとにっこり笑い合って可愛かっ、んぐ!?」
「言わなくていいっ……!」
羞恥に堪えきれず真澄が千晴の口を自分の手で覆った。
勢いあまって真澄の顔が千晴の顔に近づいた。
常とは違う距離感に千晴が目を見開く。
前髪が触れ合ってしまいそうな近さで、真澄の瞳に自分が小さく映っているのが見て取れた。

ばっと顔を逸らした千晴は、「近すぎだって、あはは」と茶化す。
「千晴がからかうのが悪い」
「からかってないって。本心だからさ」
「また、そんなこと……」
自分の顔がどうか赤くなっていませんように、と背中では冷や汗を掻きながら普通の顔を装った。
真澄が顔を伏せていて良かった。多分千晴の挙動には気づいていない。

「真澄は、すごいよ」
自分で思っているより真剣な口調になってしまった。
パッと顔をあげた真澄は、首を軽く傾げた。
「そんなに夢中になれるものって、案外少ないだろうから。真澄の世界が広がってよかった。大変なこともあるけど、毎日楽しいぞきっと」

これは本心だ。劇団に嫉妬していた気持ちは完全には消えてはいないが、真澄にとって幸せな出会いだったことは確かだと、きちんと認めることができている。
「千晴」
「ん?」
「熱でもある?いつもの千晴じゃない」
「おい、せっかく褒めたのにその言いぐさはなんだ!おれだって成長してるんですー」
ぶーぶーと文句を言うと、真澄は冗談だと笑った。


違うよ真澄。
変わったのは、真澄なんだ。


始業のチャイムが鳴ってくるりと前を向いた真澄の背中にそんな思考をぶつけてみたけど、もちろん真澄は気づかない。
少し手を伸ばせば届いていた距離が、今やすっかり遠くなってしまっている。


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