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□真澄
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・片想い拗らせている主人公が恋を諦めようと頑張るお話です
・最後はたぶんハッピーエンド
・全7ページ


1.恋はもう始まっていた


碓氷真澄は、恋を知らない。


「千晴」
口癖のように名前を呼ばれる。
「ん?」
「眠い……」
「お昼の後の数学は辛いよなぁ」
真澄が舟を漕ぎそうになるのを後ろからつついて阻止してやっていた千晴も同意する。
次の授業までの休み時間、真澄は千晴の机に突っ伏した。
「この次歴史とか、もう寝ろって言ってる……」
「たしかに、意識飛びかけるかも」
真澄を起こすのは自分が寝ないようにするためでもある。
まだ風は冷たいけれど日差しは暖かい。
窓を閉め切れば、日差しの温もりだけが届くわけで。まさしく昼寝日和というやつだ。
寝るなと言う方が酷な陽だまりに包まれ、二人とも目がとろんとしてしまっている。
「真澄、ねるなー」
「も、むり、ねる……」
美しい瞳が隠れると、一気にあどけない表情になった。
怜悧な顔立ちが少し和らいだ印象に変わる。


まじまじと真澄を見ていた千晴の胸がきゅんと高鳴った。
ああやっぱり、真澄の寝顔は可愛い。好きだ。



千晴は、気づいた時には真澄が好きだった。
幼稚園から高校までずっと一緒で、いつも千晴の隣には真澄が居た。
親が海外を飛び回っているので寂しがる真澄を自宅に呼んで、よくお泊り会をしたものだ。
一緒にお風呂に入って、一緒の布団で寝て、家族よりも真澄の隣に居る時間の方がずっと長かった。
お互いが隣に居るのが当然で、それはこれからもずっと続いていくのだと疑う余地はない。

真澄だってそうだ。
小さい頃は千晴が一人でどこかに行こうとすると、服の裾を引っ張って止めた。
トイレに行くだけだと言ってもついて行くと聞かず、仲良く二人でトイレまで駆けたものだ。
年を追うごとに少しずつ別行動もできるようにはなったけれど、まだ千晴が居なくてはダメだなと思う部分が多々ある。
『千晴じゃなきゃやだ』は真澄のお約束の言葉だった。
それに気を良くして甘やかしすぎたかもしれない。

千晴以外にほとんど笑みを見せないからか、真澄は女子にクールビューティーだの学園の王子様だのと呼ばれている。
男子からはメルヘンな呼び方こそされないものの、千晴にしか懐かない真澄を飼い犬と呼び、千晴を飼い主と呼んでからかっている。
からかうなと千晴が笑うのを、真澄はじいっと見つめてばかりいる。
真澄をよく知らない人間からすれば、興味なくぼんやり見ているだけだと思うだろう。
しかし、実は気安く触るなと思っていることを千晴は知っている。
以前クラスメイトがスキンシップをしてきた後、真澄は不機嫌なオーラを撒き散らして千晴をぎゅうと抱きしめたのだ。
触られ過ぎだと口を尖らせた真澄の言葉ににやけてしまったのは惚れた弱みである。
真澄は口にしないまでも千晴のことが大好きだと態度で示してくれる。
それが嬉しくて、そう実感させてくれる真澄が愛おしくて、やに下がりそうになる顔を必死で隠しているのだ。

「真澄、チャイム鳴った。先生もう来るぞ」
「適当にごまかして……」
「無理に決まってんじゃん」
「授業中起きていられたら、帰りに新譜探すの手伝ってあげる」
「新譜……ほんと?」
「ん」
「……起きる」
だるそうな真澄はふわぁとひとつ欠伸をした。
欠伸をしたせいか瞳がうっすらと涙の膜で覆われていて、キラキラと光彩が輝いている。
美人は三日で飽きるというけれど、真澄と千晴にそれは当てはまらない。
十年以上も毎日見ている顔なのに、いつも新鮮なトキメキを千晴に与えてくれるのだから。

放課後、ご褒美として千晴は真澄とCDショップに立ち寄った。
試し聞きできるスペースで、二人でひとつのヘッドフォンを使って聞いてみる。
これはいいだの、あの曲と似てるだのと話しているうちにお腹がすいたのでバーガーショップまで足を伸ばした。

新商品を二人してオーダーして、揚げたてのポテトを頬張る。
「揚げたての中にふにゃふにゃポテトがあると得した気分になるよな」
「ん。じゃあ、ふにゃふにゃあげる」
自分のポテトを掴んだ真澄が、千晴の口元まで指を運んだ。
「やった、ラッキー」
千晴も動じることなくパクリと真澄の手ずからポテトを食む。
「千晴のバーガーちょうだい」
「同じのじゃんか」
「でも千晴のが食べたい」
「はいはい」
真澄のこうしたささやかなお願いに慣れている千晴は、半分だけ包装を剥いて真澄の口元にバーガーを寄せた。
「うん、美味しい」
「同じ物でも、人が食べてるの見るとそっちの方が美味しそうに見えるのってなんでだろ?」
「俺は千晴のしか美味しそうに見えない」
「そっか」
真澄の発言を心のうちで反芻する。
こんな我儘を言うのも千晴だけなんだと知れば、困ったもんだと思いながら実は満更でもない。


「真澄、今日うちに泊まる?前見たがってた映画の地上波放送、録画できてたけど」
「行く」
「じゃ、母さんに真澄の分のご飯も頼んどく……よし、オッケー」
LIMEで母親にメッセージを送った千晴の隣で、真澄が画面を覗き込む。
「今日の夕飯なに?」
「なんだろ……あ、豚汁!あと、焼き魚だって」
豚汁好きの千晴は、テンションをあげて真澄に報告する。
同じ画面を見ているのだから言う必要は無いのだが、これも二人の常である。
「鮭だと良いなー、アジの開きかも」
「おじさん鯖好きだから、鯖かもしれない」
「え〜……じゃあ、『真澄が鮭食べたい、だって』……と」
真澄はそんなこと一言も言っていないのに、千晴が勝手にメッセージを送る。
真澄は何でも良いので特に不満の声は無かった。
「『じゃあ二切れ買ってきて』、か」
どうやら真澄の読み通り、おかずは鯖の予定だったのかもしれない。
「やっぱり『真澄のお願い』って効果抜群だ」
遺伝かは知らないが、千晴の家族はみんな真澄が好きだ。
昔からこの顔でのおねだりに弱く、これはもう血筋に違いないと千晴は勝手に結論付けている。

「千晴が嬉しいなら、それで良い」
目元を綻ばせて花を飛ばす真澄を見てドキリとした。
そんな大好きだ〜って顔をされたら、こっちだって蕩けてしまうじゃないか。
顔が赤くなっているのを気づかれないように、千晴は真澄の背を押してスーパーに向かった。

鮭とは別に、ジュースとお菓子を選ぶ。
真澄は迷う素振りすらなく、千晴がいま一番気に入っているジュースを二本手に取った。
「真澄、自分の好きなの飲みなよ。一口欲しい」
「……わかった」
一本を棚に戻し、代わりに炭酸飲料を手に取った。
千晴も好きな物にしてくれたのがわかって、ついにやけそうになる。
スナック菓子は満場一致でチップスを買った。二人とも大好きな味なので文句はない。



家に帰って真澄と千晴が交互に風呂に入っている間に、テーブルには夕飯が準備されていた。
千晴の母親が真澄にいろいろ話しかけながらも、和やかなムードで夕食が終わる。

冷蔵庫で冷やしておいたジュースを取り、部屋に戻った。
映画館の雰囲気を出すため、部屋の電気は付けずにリモコンを操作する。
その間に真澄が菓子の袋を開け、ジュースをコップに注いでくれる。
言葉にしなくてもお互いの挙動を察して、上映の準備は完璧だ。
再生ボタンを押すと映像が流れ始め、二人は映画の世界に引き込まれていく。
二時間半の上映の後、二人は感想を言い合いながら歯を磨いて布団に入った。

「千晴、寒い」
「上掛けもらってこようか?」
「……ちがう」
むくりと起き上がった真澄は、ベッドで寝ている千晴を真っ直ぐに見た。
暗闇なので目が合ったわけではないが、真澄がこちらを見ていることが千晴には分かった。
「ますみ?」
電気を付けようと千晴が頭上に手を伸ばすと、ギシリとベッドが軋んだ。
「千晴」
次いで耳元で真澄の声が聞こえ、思わずびくりと身体を跳ねさせる。
「もっと詰めて」
どうやら枕持参でやって来たようだ。千晴は大人しく壁際に移動する。
真澄は暫くもぞもぞとしていたが、じきにふぅと息を吐いて身体を落ち着けてしまう。
「あったかい……」
千晴に寄り添うような体勢で真澄が呟く。吐息が耳に当たるのがくすぐったい。
真澄にとってこれは他意のない行動なのだと自分に言い聞かせる。
自分だけ動揺しているのが何だか悔しくて、千晴も真澄を驚かせたくなった。
当たりを付けて腕を伸ばせば、そこには違わず真澄の頭があった。
そのまま撫でるように手を動かすと、真澄が驚いたのかピクリと反応した。
撫でるなだとか、子供じゃないだとか、そういった言葉を期待していたのに。
真澄は満足げに千晴の手を享受してしまっている。
むしろどこか嬉しそうにさえ見えて、千晴の方が面食らってしまった。

この手をどうしようかと悩んでいると規則的な寝息が聞こえてきた。
千晴の戸惑いなど知らず、真澄はマイペースに夢の中に旅立ってしまう。
手を引っ込めた千晴は、カーテンから漏れる幽かな月明かりで見える真澄の寝顔をしばらく見つめて、自分も目を閉じた。



翌日、千晴は母親に頼まれたおつかいを遂行すべく、真澄と学校で別れた。
真澄はついていくと駄々をこねたが、遠くまでのおつかいだったので断ったのだ。

それが運命の日だと知っていれば、千晴はこの時真澄を意地でも放さなかったというのに。
何も知らない二人は、互いに背を向けて歩き出してしまった。


「MANKAIカンパニーです!宜しくお願いします!」
「………っ」
真澄は吸い込まれるように声のする方に視線を送って――……。














「おはよう、真澄」
いつもの通学路、いつもの挨拶。
いつもの通り始まるはずだった『今日』のなかで、真澄だけがどこか違っていた。
「真澄?おーい」
「あ……おはよう」
「どうした?具合でも悪い?」
「千晴、俺、見つけた」
「うん?何を?」

真澄は、恋を知らない。

まだ自覚のない秘めた恋の蕾が、真澄の心の底で開花を今か今かと待っているのだ。
今はそれで良い。きっといつか、何かのタイミングでその花は立派に咲き誇るはずだから。
寒い冬を越えて春に美しい姿を見せる菫のように。
その時まで、いや、その後もずっと、真澄の隣に居るのは千晴だとずっと思い込んでいた。
それなのに、そのはずだったのに。


「運命の人、見つけたんだ」


恋はもう、始まっていた。



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