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□夏目貴志
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・主人公も妖が見えます

千晴から森に出掛けようと誘われた。
森とはいえ、普段からよく出掛けている場所だ。
千晴は自然の多い場所が好きで、こういった所にはよく誘われる。
それに自然の多い場所は総じて人が少なく、万が一、妖に遭遇した時でも人間に怪しまれにくいから好きなんだという。

暑い夏の盛りには、道ばたのアスファルトより森の方が涼しいから、俺は二つ返事で了承した。
塔子さんが持たせてくれた冷たい麦茶入りの水筒を持って、千晴と共に森へ入っていく。
案の定、森の中は少しひんやりしていて、和らいだ暑さにほっと息を吐いた。
生い茂った葉たちが直射日光を遮ってくれるおかげで、太陽熱を感じにくくなっている。

いつも通っている獣道を歩いて、森の中間あたりまでひたすらに歩いた。
森というには少し険しいそこを、時折ぽつぽつと話ながら、二人で息を弾ませて進んでいく。

蝉の大合唱に耳をやられつつ、時々出会う小さな妖の世間話を聞いて、二人で目配せをして笑い合うのもよくある光景だ。
大きな妖の影が見えると、二人で息を潜めて身を寄せ合って見つからないように隠れたり、回り道をして避けたり。

そしてようやく、小高い丘のような開けた場所に出る。
ここがゴールだ。
途端に、谷あいから昇ってくる風を目を閉じて受け止めて、大きくふうっと息を吐いた。

「気持ちいいー」
「そうだな」
千晴は上気した頬をニコリとあげて、平らな所を探して寝転んだ。
「夏目も」
「あぁ」
来い来いと手招きをされたから、歩を進めて千晴の隣に同じように寝転ぶ。
水分を補給して、千晴は大きく伸びをした。

「あ、にゃーさん」
にゃーさんとは、千晴がニャンコ先生を呼ぶ時の呼び方だ。
いつの間にか付いてきていたのだろうかと、きょろきょろ探すけれど姿は見当たらない。
「あはは、違う違う。雲の形がにゃーさんそっくりなんだ」
ほらあそこ、と指し示された先には、猫に見えなくもない耳と、ぶっくり下ぶくれた顔のようなそれがあった。

「似てるでしょ」
「に、似てなくもない」
笑いを堪えきれずに肩が震える。
やっぱり誰の目から見てもニャンコ先生は不細工なんだな。

「似てるかこのあほうどもがー!」
「ぐはっ」
聞き覚えのありすぎる声と共に頭に衝撃が走る。
しゅたっと華麗に着地した先生は、目を釣り上げて怒っている。

「私のこのプリティーな顔と、あんな水蒸気の塊を一緒にするな!ったく、」
「あ、にゃーさんこんにちは」
「言い出しっぺが暢気に挨拶しとる場合か!」
「にゃーさん、お饅頭食べる?」
「何っ?七辻屋の饅頭か」
「そうそう。たくさん買ったから、たくさん食べて」
目の色が変わった先生は、千晴の胡座の間に座って饅頭を貪りだした。

「はい、夏目も」
「ありがとう」
貰った饅頭を食べると、疲れた身体には嬉しい甘みが口いっぱいに広がった。
食べ慣れている物でも、こうも違うのか。
「うまいな」
「風も気持ちいいし、木陰は涼しいし、夏目が隣に居るし。だから美味しいんだ」
衒いの無い言葉を紡がれて、俺は照れてしまう。
千晴の中に俺という存在が少しでも居場所を取っていたらいいな、なんて行き過ぎた願い。

「ふぅ、満足満足」
お腹いっぱいになってごろんと草の上に横たわった先生は、瞬く間に寝入ってしまう。
「にゃーさん、可愛いな」
千晴の手はゆったりと先生の頭を撫でている。
それが気持ちいいのか、時々ぴくりと耳を震わせて、先生は寝息を立てる。

幸せだな、と思った。
理由はわからないけれど、胸の辺りがもぞもぞして、自然とにやけてきてしまう。
頬を撫でていく風も、耳を浚っていく草の擦れ合うさらさらとした音も、ぽっかりと浮かぶ白い雲が深い青に映える様も。
全部がその刹那しか存在しないもので、刻々とその表情を変えていく。

千晴の首筋に踊る木漏れ日を見ると更に清涼感が増して、熱を持つ身体は思わず身震いする。
「夏目?汗が冷えた?」
「あ、いや、大丈夫だ」
「寒かったら日に当たりに行こう」
「いや、今がちょうどいい」
「そう?」
「ああ、ありがとう」
なら良かった、と微笑む千晴は、にゅっと腕をこちらに伸ばしてきたかと思うと、俺の手を握った。

「っ、」
「暑かったら離すから、教えて」
「あ、暑くない」
自分より少し熱い体温がたかだか左手に触れてきただけなのに、一気にそこに感覚が集中する。
そこに意識の全てがあるような気さえして、雲も風も音も消え去ってしまった。
汗をかいているはずだけど、嫌じゃないかとドキドキする。


前より少しだけ、人との関わりが深くなった。
しかし身体の接触が増えたわけもなく。
まだ戸惑いがちな俺を千晴はゆっくり導いてくれる。

(……あ、千晴も少し汗を掻いてる)

手に汗なんか掻いてたって、したければこうしていいんだって。
だから臆することはないんだって、言葉じゃないもので示して、実感させてくれる。

好きだな。
千晴が好きだ。

他の人には理解しづらい俺の行動や心情を理解してくれて、汲んでくれて、受け止めてくれる。
多軋や田沼のように、見えなくても知ってくれようと努力してくれるのも嬉しいし助かっている。
見えない人たちにもこうやって、少しずつでいいから理解して貰えるように勇気や希望を貰えている。
それでもやはり、同じ物を見ることのできる人と悩みを共有できるのは、俺にとっては貴重だ。

その上、自分を好きになってくれる存在がいるだなんて、前の俺は考えもつかなかっただろう。
大人になるまでずっと親戚の家を転々として、嘘つきと呼ばれたり気味悪がられたり。
そんなことが普通だった俺が、他愛のない「日常」を送れている。
それは他の人から見たらきっと当然で、でも俺には掛け替えのないものだ。
ずっとここに居たい。ずっとこうしていたい。

時が止まればいいのになんて陳腐な願いを一瞬でも本気で思ってしまうほど、この素晴らしくも美しい日常が愛しくて堪らない。


「ずっと、こうしていられればいいのにな」
ぽつり、と思わず声に出してしまった願望は宙に放られた。
あっ、と思う間もなくそれは空気に溶けていく。
慌てて千晴を見遣るけれど、千晴は目を閉じていた。
寝たのか?と、千晴を見つめていると、ちらりと大きな瞳がこちらに向いた。

「おれも、こうしていたいよ」
少しだけあがった口角。
真夏の太陽を反射する白い肌。
握った指先の爪の硬さ。
頬に影を落とすけぶる睫毛。

全てが遠い出来事のような、古いフィルムを見ているような錯覚に陥る。

「夏目。約束はできないかもしれないけど、できるだけ一緒に居よう」
風にかき消されそうな声は、しかしハッキリと俺の鼓膜を揺らす。
「春にはお花見して、夏はこうして森に出掛けて、秋は魚釣りをして、冬は積もる雪を見よう」
少しだけ離れていた距離を、千晴がひと息に詰めた。
「今までしたかったこと、これからしてみたいこと、今まで考えてもみなかったことをしてみよう、一緒に」
肩に触れる千晴の熱が、伝播する。

「……あぁ、しよう。全部したい、千晴と一緒に」
「うん、しようよ。まぁ、人がいい夏目は一年中、妖に追いかけ回されてるかもしれないけどさ」
「それは勘弁してほしいな」
「あはは。その時はおれも一緒に追いかけ回されてあげるよ」
「できれば避けたいけど、頼りにしてる」

そんなことを言っていたら、千晴が「あっ」と声をあげた。

「おれのしたいことも、していいかな」
「当たり前だろ。千晴のしたいこと教えてく、」
俺の言葉が終わる前に、千晴の顔が視界いっぱいに広がった。
一瞬、なにかの熱が触れた。そう思った瞬間に消えた。


「しちゃった」
「今のは、」
直前の状況をうまく言語化できない。
柔らかいけど適度に弾力のあるそれが、俺の唇に触れた。
唇と唇が触れ合って、離れて。

2文字の言葉が頭に浮かんだ瞬間、皮膚の薄い頬や耳の辺りがヒリつくほどの熱が体内を駆け巡った。

「夏目、真っ赤だ」
くすくすと笑う千晴も同じように耳が赤くなっていて、それでも俺がそれを指摘できるほど平常心を取り戻していなかった。
「はー、意外と恥ずかしい」
パタパタと手で顔を扇ぐ千晴を見て、更に恥ずかしくなってしまった。
どんな顔をすればいいのかわからなくて、とりあえず何か話さないとと焦った。

「あ、暑いな」
「……夏だからかな?」
悪戯っこみたいな、思わせぶりな言動。
「そ、そうだな。夏だから」
キャパシティがいっぱいいっぱいの俺は、千晴の言葉に同調して、夏のせいにすることにした。
「夏は暑いものだしな」
「うん。暑いし、アイス食べにいこっか」

この気恥ずかしさをどうにかしたくて、千晴の提案に乗った。
二人して起き上がって、繋いでいた手を解いて立ち上がる。
暑いのに恋しくなったその体温を、拳を握ることで紛らわせた。

アイスを食べ終えた後に合わせた唇のせいで、暑くなったのは夏のせいじゃなかったと思い知らされるのは、数十分後のことだった。

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夏目くんは女主人公ではちらほら書いていましたが、男主人公では初でした。
夏目くんのお話は、いつもほっこりを目指しています。

今回もそんな風に書けていたら嬉しいです。
泉様、企画へのご参加ありがとうございました!
 

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