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コンコン。
執事が声を掛けて部屋に入る。
豪奢なベッドの真ん中にポツンと、大きいとは言えない身体が鎮座している。

「ユーラチカ」
チハルの白い頬が笑みで釣り上がる。
「久しぶり、会いに来てくれたんだね」
「おう」
「ありがとう。嬉しいよ」
使用人がティーセットを運び、ベッドサイドのローテーブルにセッティングした。
無駄のない動きで退室した後、チハルがユーリにお茶を勧める。
「最近はこのフレーバーが好きでね」
「いまいちわかんねえけど、美味い」
「ふふ、そうか。よかった」

バサバサと音でもしそうな程に目蓋を縁取る長い睫毛が揺れる。
透き通るような肌、という形容詞はチハルのためにあるのではないだろうか。
しかし健康的とは言えない色白さだ。
骨格も同年代の男よりかなり華奢で、一見女性にも間違われそうな体躯をしている。
唇はほのかに淡い桃色に発色していて、倒錯的な感情に駆られる輩も多く居るだろう。
そんなチハルがこうして今も無事で居られるのは、チハルが屋敷の外にほとんど出ないからだ。
重い病気に掛かっているチハルは、過度な運動どころか日常生活の運動すらままならないのだという。


ロシアの中でも指折りの財閥の末っ子であるチハルは、この広大な屋敷の一室にある大きな自室の大きなベッドで一日のほとんどを過ごしている。
チハルとユーリは幼馴染みだ。
とはいえ、チハルはユーリより年上で、ユーリとチハルが初めて会った時はすでに少年から青年への過渡期を迎えていた。
チハルに同年代の友人を、と両親が願ったものの周りに居らず、チハルは孤独な生活を送っていた。
ユーリの祖父がチハルの家の庭師と友人だったため、年は下だがユーリがチハルの遊び相手として宛がわれたのだ。

チハルは子供好きなこともあり、ユーリを歓迎した。
ユーリも穏やかな性格のチハルをすぐに好きになった。
チハルはユーリに絵本を読んでやったり、流行りのアニメを一緒に見たりしていた。
ユーリは週に3、4回くらいはチハルの家に遊びに来ていた。
仕事をしているユーリの祖父にとっては安全な預かり場所を見つけて、相互にとってメリットばかりだったのだ。


そんな生活が暫く続いたが、ユーリがスケートを始めたのをきっかけに、チハルとの時間が少なくなっていった。
もちろん、練習がない日はチハルの家に遊びに行っていた。
練習で新技をどうにか出来るようになったとチハルに報告すれば、チハルは自分のことのように喜んだ。
チハルはいつもユーリの前で笑っている。
子供特有の要領を得ない話にも根気強く付き合って、ふんふんと頷いたり喜んだりと、ユーリの話し相手をしてやっていた。

『ユーラチカはすごいな。僕にできないことをたくさんやってる』
『でもオレんち貧乏だし……こんな良い家に住んで毎日チョコとかケーキとか食べられるチハルの方が羨ましい!』
子供らしい言い分に、チハルはくすりと笑う。
『いつでも来て、お菓子もご飯もいっぱい食べて行けばいい。泊まりたかったら、ユーラチカのお祖父様にお願いして、このベッドで一緒に寝よう』
『本当か!?』
『うん、本当』
『じゃあ、今日泊まる!』
『なら、お祖父様に伺ってみようか』
『やった!』
その日、外泊許可を取ったユーリとチハルがシャワーを終えて二人で髪を乾かしていると、チハルがゴホゴホと咳をし始めた。
最初は気にしていなかったユーリも、あまりにひどい咳に狼狽える。
しまいには咳と共に血が出てきて、ユーリは慌てて使用人を呼びに行ったのだ。
チハルは使用人によってベッドに横たえられ、駐在している医者に処方された咳止めをどうにか飲んで、落ち着くまで胸を掻きむしっていた。
バタバタと大人たちが慌てて対処する様を見て、ユーリはボロボロと涙を零しながら部屋の隅で縮こまっていた。

このままユーリを帰そうかとの話も出ていたようだが、時間が遅かったのもあり、客室に案内された。
しかしどうしてもチハルが心配で、こっそりと部屋を抜け出してチハルのベッドに潜り込んだのだ。
この時初めて、ユーリはチハルの病気を目の当たりにした。
だから、もしかしてこのまま死んでしまうのではないかと思ったのだ。
ユーリがいきなり泊まりたいだなんて我が儘を言ったから、チハルの身体がびっくりして咳が出たのだ、と。
チハルの手を握ると、体温は低かったけれどちゃんと温かかったことに心底安堵した。
そして翌日、回復したチハルに謝られ、これに懲りずにまた泊まって欲しいとお願いされた。
ユーリは何も言えず、ただ頷いた。
そしてそれから、その恐怖の記憶を無くすように何度もチハルの家に泊まったのだ。

どうやら季節や一日の温度の変化に反応して症状が表れやすいようで、季節の変わり目などは面会謝絶を言い渡されたことも少なくない。
風の噂で、長くは生きられないかもしれないと聞いた。
それでもユーリは、時間があればチハルの元に通った。
才能が認められてノービスの頃から注目され、いずれは五輪を期待されているユーリは、練習の合間を縫ってチハルに会いに行っていたのだ。
それでも週に2回行ければ良い方で、どんどんとチハルとの時間は無くなっていた。


***

ジュニア最後の大会で華々しい優勝を飾ったユーリをテレビの前で応援していたチハルは、さっそく祝辞を述べた。
「美しい演技だったよ。僕が外を歩けたら、ユーラチカの事を自慢して歩きたいくらい」
「恥ずかしいからやめろって」
「お祖父様も皆からお祝いされたんじゃない?」
「ん、嬉しそうにしてた」
「ふふ、やっぱり」
ころころと笑ったチハルは、じんわりと染みたように呟いた。
「ユーラチカは、本当にすごいよ。僕の幼馴染みが五輪選手も夢じゃないアスリートになったなんて、信じられない」
「まだジュニア優勝しただけだって。まあ、シニアデビューも全部優勝するに決まってるけどな。ヴィクトルに振り付けしてもらう約束してるんだ」
「あのヴィクトル・ニキフォロフ?」
「おう」
「リビング・レジェンドと同門ってだけでもすごいのに、振り付けまで……。本当に雲の上の人になっちゃうなぁ」
寂しげな呟きを、いつもならばフォローするユーリだったが、キュッと唇を噛みしめた。

「あ、そうだ。これ食べて」
ベッドサイドのローテーブルの隣にあるチェストから何かを掴んだチハルが、ユーリの掌にバラバラとそれらを落とす。
「ユーラチカが大好きだったお菓子。たくさん食べて」
個包装されているチョコレートは、ユーリが子供の頃に好きだったお菓子だ。
チハルの家では絶対に食べないような、庶民が食べる安いものだ。


裕福ではないとはいえ、国から援助を貰っている身である。
さすがにこの年齢になってまで食べたい駄菓子では無かったが、チハルにとってはユーリは絵本を読んでやった頃と同じ存在なのだろう。
「もうガキじゃねえっつうの」
「ん?ごめん、聞こえなかった」
「何でもねえよ」

ユーリは、今の今まで迷っていた懸案に腹をくくった。
「チハル」
「どうかした?」
「オレ、本格的にヤコフの所に住み込みで練習することになった。今よりもっと練習時間とか、スケートに充てる時間が増えると思う。だから、もっと会いに来る時間がなくなる」
一度でも止まればその先を続けられない気がして、一息で言い切った。
きょとん顔をしていたチハルは、ゆっくりとユーリの言葉を噛み砕いた後、ぽつりと呟いた。
「そっかぁ……」

そこにどんな感情があったかは読み取れない。
ひと呼吸置いて、チハルは「おめでとう」と言った。
「は?」
「もっと好きなスケートが出来るんだね。僕の想像もつかないほど、大変な事をしようとしているんだな。応援するよ」
生気の薄い笑みを作るチハルに、ユーリは苛立ちを抑えられなかった。
自分はチハルにとって特別な存在だと思っていた。
だから、会えないと言ったらチハルは取り乱すかと思ったのだ。
ユーリの予想とは大きくかけ離れた反応に、悔しさが込み上げる。

ユーリにとっては、チハルは誰よりも大切な存在なのに。
か弱いけれども優しくて、穏やかで、守ってやりたくなるような愛しい相手だ。
時間が許される限り一緒に居たいのに、その熱量を持っているのは自分だけだったのだろうか。

チハルがユーリに向ける愛情は、小さな幼馴染みに向けるもので、会えなくても仕方ないと割り切れるようなちっぽけな人間だというのだろうか。

「絶対優勝するから、見てろよ」
掌に乗せられたチョコをベッドに置いて、ユーリは立ち上がる。
「え、もう帰るのか?それにチョコ……」
「いらねえ」
「ユーラチカ……?」
最後かもしれないのに、好きな人に優しくできない自分にも腹が立つ。
一歩踏み出そうとしたところで、弱い力に引っ張られた。

「ちょっと待っ……ゴホッ、」
慌てて声を掛けたせいだろうか、チハルが咽せた。
その対処にも慣れているユーリは、いつも置いてある水差しを手に取り、注ぎ口をチハルの口に当てて少し容器を傾けさせた。
こくりと弱く喉が動いて、背中をさする体温にチハルがホッと息を吐くのを見守る。
「ごめ……っ、」
ユーリの腕にそっと手を置いたチハルは、何度か深呼吸して呼吸を整えた。

弱々しい声と、苦しみで潤んだ目を見てしまえば、先ほどまでの怒りは立ち消えてしまった。

「ユーラチカ……怒ってる?」
「怒ってねえよ」
「……本当に?」
「いいから、横になれ」
「うん……」
空咳をしたチハルは、ふうとカウチに寄りかかった。
先ほどのやり取りで不安になったのだろう、チハルがユーリの手を離さず握ったままの状態で横になっているため、ユーリは椅子ではなくベッドに腰掛けた。
この手が、今だけでもユーリを求めているのが堪らなく嬉しい。

「落ち着いたか?」
「うん……ありがとう」
しばしの沈黙の後、チハルが口を開いた。
「ユーラチカ、チョコ嫌いになった?」
「あれは……子供が食うものだろ」
「でも、あれ好きだっただろう?」
「オレはもうガキじゃない」
「だけど……」
「お前の目の前にいるのは、5歳のオレじゃなくて15のオレだ。いつまでも子供扱いすんなってことだよ」
ユーリがぶっきらぼうに伝えると、チハルはパチクリと長い睫毛をしばたかせた。
ほら、やっぱり。チハルにとってはユーリはまだ5歳の愛らしい幼子なのだ。


「ごめん、そんなつもりじゃなかったけど……」
「とりあえず今はそれだけ分かってればいい」
ピリリ、受信音が鳴る。
「げっ、ヤコフだ……。早くリンク来て練習しろってよ」
「もっと忙しくなったら、ユーラチカは僕のことなんて忘れちゃうかなぁ」
トンチンカンなことを言うチハルに、ユーリはついに大きなため息を吐いた。
「忘れるわけねーだろ」
「うん、ありがとう。へへ」
チハルの前髪を掻き分けて、額にキスを落とした。

「これ、忘れてた」
椅子の横に置いていたお見舞いの花をチハルに渡す。
「花なんて、ユーラチカから初めてもらった」
「初めて渡したからな」
「名前は?」
「Amur adonis」
「アドニス?」
神話の美少年から取ったその花は、小さな花ながらも立派に咲き誇っている。
悲劇の美少年とチハルが重なって、つい買ったのだ。

「綺麗な花だ」
ドーム状にプラスチックの蓋がされていて、その蓋越しに薄く黄色かかったその花をしげしげと見つめるチハルは、「ユーラチカみたいだ」と笑った。
「は?どこがだよ」
「黄色い花弁は金髪に似てるし、一生懸命咲いてて好感が持てる」
同じ花にお互いを投影していて、なんだか気が抜けてしまった。

「また連絡する。試合の日程も連絡するから、絶対見ろよな。あ、でも時差ある時は無理すんなよ」
「わかった。その時は録画して見る」
「そうしろ」
「ユーラチカ」
「ん?」
お返しと言わんばかりに、チハルはユーリの額に口づけた。
「ユーラチカがこれからも頑張れるように、おまじないだ」
「……ばぁか」

照れてそっけない言葉を吐いたが、チハルはそれも察してニコリと笑った。

>>>
ちょっと暗めになってしまいました、が!
福寿草の花言葉は「永久の幸福」です。
二人が会える=幸せな時間を切り取ってみました。

深紅様、リクエストありがとうございました!
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