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□ヴィクトル
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チハルは分かりやすい。
嬉しい時は大輪の花が咲いて吹雪いているかのように、全身で喜びを表す。
悲しい時はそのアーモンドアイズに表面張力めいっぱいの涙を溜め、ぼろぼろと大粒の雫を零す。
楽しい時は目を細めて頬を上気させ、明るい声で笑いを振りまく。
怒る場面はほとんど見たことがない。一度だけ見たことがあるが、思い出すのも嫌なほどだ。
チハルは怒るというより、拗ねることの方が圧倒的に断然多い。


皆から愛されるチハルは、可愛らしくおねだりしたり、拗ねてそっぽを向いたりしている。
皆それが嬉しく、だからチハルを甘やかしてしまう。
こういう言い方をするとまるで悪い奴に誑かされているように聞こえるかもしれない。
しかし簡単に言えば、自分にも相手にも正直で、振り回されても良いと思える位の愛嬌があるからこそ、皆に愛されているのだ。
皆に愛されている分、チハルは皆を愛している。


だから、オレはそんなチハルがオレだけのものになってくれた事が嬉しくて、誇らしくて、ずっと舞い上がっているんだ。
もう何年も恋人として傍に居るけれど、倦怠期なんて訪れる様子もない。
オレはいつも新鮮な愛でもってチハルを慈しみ、チハルもそれに応えて、時には期待以上にオレを喜ばせてくれる。
カチリと嵌まった歯車のように、二人は軋むことなく二人の人生を進めて行っている。


あぁ、そうだ、忘れていた。
チハルが一番可愛いのは、拗ねている時なんだ。
小さな唇をつんと尖らせて、たまに頬を膨らませてみせたりしてくる。
そして決まってオレの服の裾を引っ張って、不満や願い事を口にするんだ。


『今日中に帰ってくるって行ったから、寝ないで待ってたのに』
『おいしいワイン買ってくるって言ったのに』
『なんで抱き締めてくれないの』
『ユウリの話ばっかりしないで』
『今日はずっと一緒に居て』

ささやかすぎる不満や願いを、尖った唇を震わせて告げるその様に、ズキュンと胸を撃ち抜かれる。
そんな顔をさせたくてたまに意地悪しているのもわかって、こうやって甘えてくる。
そう、チハルが拗ねる時っていうのはつまり、オレに甘えたい時なんだ。


仕事で疲れている時に、そんな風に甘えられたらもう疲れなんて吹っ飛んでしまう。
そうやって甘いスキンシップを始める合図になっているこのやり取りが、オレ達二人のお気に入りなんだ。


でもオレが悩んでいる時や、本当にまいってしまっている時には、拗ねは鳴りを潜ませる。
何も言わずに、温かい腕でオレを抱き留めてくれる。
頭を撫でて、まるで母のようにオレを包んでくれる。
オレがいつもの調子を取り戻すまで、そうやってオレに寄り添ってくれる、自分よりも大切な存在だ。



「二人とも、遅刻なんて珍しいわね」
チハルに引っ張られて来たオレを見て、ミラがそう発した。
オレが独り身だった時はヤコフの怒鳴り声で起きていたけれど、チハルと恋人になって同棲してからは、チハルがきちんとマネジメントしてくれるから遅刻したことはなかった。

「昨日はヴィチューシュカの帰国を待ってるうちに寝ちゃって、起きたら約束の20分前だったから肝を冷やしたよ」
オレは昨日まで取材の為に外国に行っていて、飛行機が遅延したせいで帰りがかなり遅くなっていた。
シャワーを浴びて力尽きて寝落ちした直後、チハルの叫び声で起きたんだ。
実際は数時間寝れたみたいだったけど、数分にしか感じられなかった。
慌てるチハルに促されるまま洗面所に行って、取るものも取りあえずアイスリンクに来たって感じかな。

「命拾いしたな、ヴィーチャ」
「ふわぁ……おはよう、ヤコフ」
「取材陣は道路が混雑していて、あと20分くらいはかかるそうだ」
「た、助かった……」
げっそりしたチハルの腰を抱いて、オレはリンクに併設されているカフェに足を向けた。

「なら、軽く朝食を食べてくるから、来たら呼んで」
「早く戻って来いよ」

そして二人でモーニングを食べ、リンクで働くチハルとはしばしお別れ。
取材はその後、恙なく終了した。
午後からはユウリのコーチングの予定だ。
しっかりとコーチして、課題を見つけだして、それに取り組むスケジュールを立てる。
録画した滑りを見て、クセを洗い出して指摘する。
そんなことをしているうちに、ロシアの短い日中が終わった。
辺りが暗くなった頃、みんなでリンクから上がった。

今日はリンクメイトの親睦を深めるために飲み会をする予定なんだ。
ユウリをもっと馴染ませたくて、この会を開くことにした。
リンク近くの店を貸し切りにして、酒を飲み尽くす勢いで盛り上がる。
あ、もちろんユリオはお子様用のジュースだよ。


そうこうしているうちに、チハルも店にやってきた。
駆けつけ一杯、っていう言葉が日本にはあるみたいだけど、グイッとヴォトカを飲み干したチハルに、周りからも歓声があがった。
そこからは、スケート談義や人生の話、恋愛の話と様々なグループに分かれて話が弾んでいた。
ユウリには無理に飲ませないようにと周りに釘を刺したから問題ないだろうし、チハルは普段話さない連中と話しているから、そのまましばらく乱入は控えようと近くのグループに顔を出した。


「あっ、ヴィクトルじゃない!」
「うわ、ミラか」
「何よその嫌そうな声〜!チハルがあっちのグループに取られてるからって拗ねてるの?」
「拗ねてなんかないよ」
「ちゃんとしないとチハルに見捨てられるわよ〜」
「はいはい」
「まぁた始まったよ、ミラの絡み酒」
「何よユーリ、文句あるの!?アップルジュースじゃあ酔えないからって」
「酒臭ぇんだよっ、どけババア!」
「ババアなんて、ガキが偉そうな口きいてんじゃないわよ〜?」
「いでででで」
頬を思いっきりつねっているミラに、もっとやれ!と周りが囃し立てる。

「ヴィクトル、チハルが潰れたぞ」
「え?」
「ん〜、ヴィチューシュカぁ」
隣のグループのメンバーがヴィクトルを呼び、そちらに目を向けるとチハルがテーブルに突っ伏していた。

「チハル、飲みすぎだよ、ほら水飲んで」
「水なんかいらない〜」
「そっか、ほら、じゃあヴォトカ飲んで」
ヴォトカと称したただの水をチハルに2杯飲ませる。

「ユリオ、ユウリも潰れないように見張っておいてくれないか。オレはチハルが本格的に寝る前に帰るから」
「面倒くせえからもう帰る。おいカツ丼!帰るぞ、コップ置け!」
「え〜、あと3杯……」
「多すぎだ馬鹿!」

わいわいと騒ぐ皆を背にして、オレは肩にチハルの腕を回して抱えた。
「歩けるもーん」
「はいはい、じゃあ歩こうか」
「いっちにー、さんしー、あはは」
陽気に笑いながらチハルは歩いていたけれど、すぐに黙ってしまった。
「チハル?」
「ヴィチューシュカ、全然酔っ払ってない」
「恋人が千鳥足で酔ってたら、酔いが醒めたよ」
「バンケットで裸で踊り狂ってたのに?」
「完全に語弊だ。噂ってこうやって広まっていくんだね」
「ヴィチューシュカが酔ってないなんておかしい!」
「酔ってるよ、酔ってるから早く帰って寝ないと」
「うんー、寝る。ヴィチューシュカとえっちする。気持ちよくしてね?」
「そっちの『寝る』じゃないんだけど……」
苦笑しながらもオレはチハルを半ば引きずるようにして、どうにか玄関の前まで到着した。


「ほら、着いた」
いくらオレが現役復帰したって、さすがに大の大人を引きずるのは体力が要った。
息を切らしてどうにか玄関にチハルを押し込む。
なだれ込んだチハルの靴紐を解いて、立ち上がるように促すと、石のように頑としてそこから動きだそうとしない。

「ほら、いつまでも玄関に居たら風邪を引いてしまう」
チハルの頬を突くと、途端にチハルは唇を尖らせた。
あれ、何で拗ねてるんだろう。オレ何かした?
座ったまま、オレの服の裾を引っ張る。
これはオレに何かしてほしい時のサインだ。

「どうしたんだい」
手櫛でチハルの髪を梳くけれど、お気に召さなかったようだ。
ぷいっとそっぽを向いてしまった。
「なぁに」
チハルの好きな甘い声で声を掛ける。
酒で朱に染まる目尻が色っぽい。その上、更に上目遣いまでされたら、本当に抱き潰してしまいたくなる。
昨日は帰ってからいちゃいちゃしようと思ったけど、できなかったからね。

「わかんない?」
「ね、教えて?」
分からないと言えばもっと拗ねるから、甘える態でチハルから言葉を引き出す。


「昨日帰って来てから、ずっとキスしてくれてない……」
むっすりと本格的に拗ねてしまった。
「おれは昨日からずっとしたかったのに、ばか……」

詰るように服の裾を何度も引っ張られる。
その動作に、何故だかうさぎのスタンピングを思い出した。
構ってほしくて、こうしてオレの気を引こうと裾を握り締めている。

「そんなに可愛いことされたら、堪らないな」
「おれは怒ってる!」
「あれ、拗ねてるんだろう?」
「怒ってるし、拗ねてるし、キスしたい!」
まったく、素直すぎるのも困りものだ。


「そうやって唇を尖らせるのも、キスして欲しいから?」
「違うもん」
「ふぅん、違うんだ?でも可愛いからキスするけどね」
拗ねている唇を食むように、オレはチハルにかじりついた。

「ン、」
すぐににゅるりと舌を口内に這わせる。
するとチハルはオレの首に腕を回して、より繋がりを深くしてきた。
耳の裏をくすぐるように撫でながら、舌同士を絡め合わせる。

「んんっ、ぁ、んふ……」
酒精の混じった吐息を漏らして、チハルは気持ちよさそうにキスに夢中になっている。
「ヴィチュー、シュカ、ぁふ」
キスの合間にくぐもった声で名前を呼ばれれば、むくりと己の欲が眠りから覚めた。
「さっき、オレとえっちするって言ってたね?さぁ、ベッドに行こう」
耳に息ごと吹き込むように誘いを掛ければ、チハルの瞳がじんわりと揺らぐ。

「ここで良い」
「だぁめ。ほら、オレが連れて行ってあげるから」
「ここでする」
また唇を尖らせたチハルは、オレのベルトをカチャカチャと外し始めた。

普段のチハルからは考えられない大胆な発言に、これはちゃんとベッドに連れて行かないと明日チハルが絶対に後悔すると直感で判断して、有無を言わさずにベッドに連れて行った。

「玄関でするって言ったのにっ」
「チハルを玄関の固い床で寝かせるなんてオレにはできない。ちゃんとベッドに来たから、いっぱい感じて喘いで、気持ちよくなって良いんだよ、ね?」
チハルの顔中に口づけを落とす。
「ヴィチューシュカ、ちゅーする、もっと……」
「ふふ、チハルは本当にキスが好きだな」

むちゅ、と何度も唇を押し付ける。
満足そうに応えるチハルの胸の尖りに手を掛けると、途端に甘い声を出すものだから、もうオレは止まらなかった。

できなかった数日分のキスと時間を埋めるように、肌と愛を重ねて柔らかく温かなベッドに二人で溺れた。


>>>
言いたいことがある時に裾引っ張るの可愛いよな、と思って書いてみました。
いつの間にか酔っ払っていました。
久々?にヴィクトルさんを振り回してる主人公書けて楽しかったです!
あとあまり攻め視点で書いたことがなかったので、新鮮な気持ちで書けました。

澪さま、素敵なリクエストありがとうございました!
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