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□西
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私は、目が悪い。それでもコンタクトレンズという進歩した異物を目に入れることは、バンジージャンプして下さいと言われるくらい恐ろしいことで。

少し前まで分厚かったレンズ付きの眼鏡を掛けていた。
しかし、これもまた進歩したもので(この進歩は嬉しい)、薄くても視力が落ちないレンズの眼鏡を買った。



新しく、しかも便利なものを付けることは、心にも幸せを運ぶらしい。
アントーニョさんのお宅にお邪魔すると、アントーニョさんはすぐに「あれ、眼鏡変えたん?」と変化に気付いてくれた。
好きな人が自分の些細な変化に気付いてくれることは、かなり上等な幸せではないだろうか。
褒め上手な彼は、新しいのも似合うなぁ、可愛えよ。と褒めてくれた。


「ありがとうございます」
「俺の周りはあんまり眼鏡掛けてる奴おらへんから、なんや新鮮やな」
最近の眼鏡はデザイン性に富んだものが多く、これもかなりカジュアルなものだった。


「なあなあ、眼鏡ってどんな風に見えるん?」
「掛けてみます?」
キラキラした目に負けて、アントーニョさんに眼鏡を渡す。
「……うわぁ、度、きつっ」
「かなり強いですよ」
せっかくアントーニョさんが眼鏡を掛けているのに、目が悪い私はそれを見れない。
なんて残念なんだろう!


それにしても、私は裸眼では本当に何も見えない。
目から10センチ以内に物がないと、はっきりと見えない。
だからもちろんアントーニョさんが今どんな表情をしているのかもわからなくて。
動いている、ということはわかっても、モザイクがかかったようにしか情報が捉えられない。


アントーニョさんは、私の見る世界がわからないと言った。
私も、アントーニョさんの見ている世界はぼやけて見えない。

同じでないことが何故か悲しくて、儚く感じる。


だって私は、この眼鏡がないと何もできなくて。
彼がいなくなっても探し出すことは不可能だ。

ああ、見えないことがこんなにもつらいなんて。


寂しくて、ついアントーニョさんの方に手を伸ばしてしまう。
願わくは、彼が私の手を取ってくれるように。



「ハル?眼鏡返すわ」
伸ばした手には大切な眼鏡が置かれた。
「まだくらくらするわぁ。眼鏡ないと何も見えへんの?」
この気持ちは通じなかったんだな、と落胆してこくりと頷く。
「どないしたん?元気あらへん」
「いえ、別に……」


アントーニョさんは悪くないのに、こんなそっけない態度の自分が許せない。
だけど、今笑ったら確実にアントーニョさんに無理していることが知られてしまう。


むんず、と予想していなかった場面で手を握られて、ソファに移動させられた。


「今、何考えとる?言わんとわからんやん」
「くだらなくて、どうしようもないことですから」
「ハルのくだらなくて、どうしようもないことを俺は知りたいんやけど?」
「……きっと、呆れますよ」


いやいや、と首を振ると、アントーニョさんは私に眼鏡をかけるよう促した。
「ハル、俺んことちゃんと見て」
だけど原因のそれを掛ける気にもならなくて、私はソファ横のローテーブルに眼鏡を置いた。


「そうだ。私、手土産持ってきたんです。おいしいお茶請け。せっかくですし、食べー……」
「ハル」

私は眼鏡を掛けてないから、何も見えないはずなのに。
アントーニョさんが私を見つめていることがわかってしまう。
きゅっと握られた手が必死で、私は胸が苦しくなった。



「なぁハル。それ、俺に言えへんこと?俺、そんなに頼りないか?」
こんなことで仲違いしたくない。
彼は何にも悪くない。ここまで引っ張らずに最初に言えば笑い話で済んだかもしれないのに。


「呆れないで下さい」
「うん」
「笑わないで下さい」
「笑わへんよ」
「……本当に?」
「ほんまに」

本当にくだらないですからね、とまた念を押してようやく胸の内を吐露した。

するとアントーニョさんは、ポカンと口を開けて私を見ている(はず。多分)。


「言ったでしょう。くだらないと」
だから言いたくなかったんです、と眼鏡に手を伸ばす。
「待って」
アントーニョさんが私の腕を掴んで、行動を遮る。


「こっち、おいで」
そのまま腕を引っ張られて、私はつんのめってアントーニョさんの身体に覆い被さる形になった。
「っ、アントーニョさん!」



「見える?」


唇が触れ合いそうなほど近くにアントーニョさんの顔がある。
「ち、近いですっ」
「な、俺の顔ちゃんと見える?」
「はい?」


至近距離で深緑の瞳と視線が交じり合う。
確かに近くなら見えると言ったけれど、これじゃあ近すぎて全体が見えない。

「……アントーニョさんの顔しか見えません」
「ええことやね」
「良いんですか?」
「だってな、ハルが眼鏡を取ったら、こうしてずっと見つめ合えるやろ」
ハルの本当の視界で見えるもんが、俺の顔って嬉しいやん。

にこにこ笑ってアントーニョさんは顔を少し近づける。
そうしたら、唇が触れ合って。

こんなに近くにいるんだ、と自覚した途端に恥ずかしくなってしまう。



「でも、ちょっと損ですよっ」
「どこがぁ?」
「だって、アントーニョさんは遠くても私が見えるのに、私はアントーニョさんの全身も見れないから……」
「あーっ、ハルかわええ!」
かわええ!と顔中にキスの嵐。


「俺は、ハルを独占できて幸せやで!」
けどな、とアントーニョさんが悪戯っぽく笑って。

「これ以上綺麗な目に見つめられたら、キスだけで終われる自信ないわ」
ぼそりと耳元で囁かれてしまった。


「ほな、いつものハルちゃんに戻ろうなー」
顔を真っ赤にしている私に、アントーニョさんは眼鏡をそっと掛けてくれた。

そして、ちゅっと可愛らしいキスをくれて、ふにゃりといつものアントーニョさんらしく微笑んだのでした。




(今度、アントーニョさんが眼鏡を掛けた写真、撮ってもいいですか?)
(ええでー。男前に撮ってな!)
(もちろん!)
(そしたら、ハルが眼鏡外した写真も撮ろうなー)
(えっ!?)


>>>
無駄に眼鏡連呼。
親分の眼鏡見たいです!
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