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□西
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※この主人公は耳が聞こえなくて、声もでません。このような方たちに対しての差別や侮蔑を目的とした作品ではありません。ご理解頂ける方のみどうぞ。




雨がひどく降っていた夜だった。
ロヴィーノと久しぶりに飲んだ帰り、近道の細道を早足で歩く。
夜中のこの付近は、お世辞にも治安が良いとは言い難い。
雨が降っているからここにたまっている奴らも少ないんだろうけれど、急ぐに越したことはないとアントーニョは速度を落とさずに駆け抜ける。


この道を曲がってまっすぐ行けば、大通りにでることが出来る。
くるりと右に身体を向けたら足下に何かがあって、急停止した。
暗くていまいち輪郭の掴めないそれは、しかし人間の足だとわかった。

まずい。
そう思ったアントーニョがその人間を跨いでも何の反応もない。
ちらっとその人間を見ると、身なりは良いようだった。
つまりそれは、普段はこの道に出没しないという意味だ。

まさかこんなどしゃ降りの道に、好き好んで座り込んでいるはずがない。
アントーニョが完全に足を止めて、その人間の顔をのぞき込む。
なんとその人は女だった。少女というよりは大人だが、成人してるとも言い難い。

「お嬢ちゃん、起きてや。こんなとこで寝とったら危ないで?」
肩を揺すると、ぴくりと目蓋を震わせて、その子ははくはくと口を動かす。
「うん?」
耳をそばだてても、その声は聞こえずに、ついには意識を失ってしまった。

関わってしまった手前、ここで放っておくこともできない。
酔いも醒めたと、アントーニョは羽のように軽いその女の子を抱き上げて、自宅に向かう。


その通りからさほど遠くない自宅の鍵を開け、すぐさまメイドに連絡を取った。
この女の子が着る服と、そして着替えをさせてほしいと頼み、メイドは20分後にアントーニョの自宅を訪れた。

とりあえず、メイドが来る前に脱がせられるところまでは脱がして、あとはバスタオルで身体を覆ったアントーニョは、急いで来てくれたメイドに役目をチェンジした。

コーヒーを二人前淹れて、あの女の子をベッドに寝かせてくれたメイドに勧める。
その子の容態を話したメイドは10分ほどで帰っていった。

客間に寝かせたその子の様子を見ると、よく眠っていた。
明日はいつもより早く起きて、いきさつを説明しよう。
アントーニョもシャワーを浴びて、ベッドに向かった。


***

開けたままのカーテンから陽が差して眩しい。
どうやら今日は晴れるようだ。
洗面所に行って顔を洗うと、見たことのない女物の服があった。
「(なんやっけ、これ)」
昨日はロヴィーノと酒を飲んで……と行動を思い出すと、いっきに記憶がよみがえった。
「(あの子……!)」

客間まで走りドアを開けると、その子はまだ寝ていた。
……真っ赤な顔で。

「もしかしなくても、風邪やな」
額に手をあてると燃えそうなほどに熱く、アントーニョは顔をしかめた。
急いで氷枕と濡れタオルを用意した。
気持ちよさそうに身じろいだ彼女に、ホッと息を吐く。

「よっし、病人には野菜とトマトたっぷりリゾットや」
近くの薬屋で風邪薬を買い、トマト畑から採ったトマトと野菜でリゾットを作る。腹が減ったのでアントーニョも軽くそれを食べて、客間に運ぶ。


一応ノックをしてドアを開ける。
まだ彼女は眠っていたけれど、何か口にした方が良いだろうと、起こした。

「お嬢ちゃん、リゾット作ったから食べぇや」
昨日のように起こすと、彼女はだるそうに目蓋を開き、アントーニョを見つけると驚いたようだった。
ベッドから抜け出そうとして、けれど力の入らない彼女の身体は動かない。
「ああ、お嬢ちゃん風邪ひいとるんやから無理したらあかんで。具合はどう?どっか痛いとこないか?」
黙ってアントーニョを見つめる彼女に、とりあえずリゾットを勧める。
「栄養満点のリゾットやで」

ロヴィーノを世話していた時のように、食べさせてやろうと、ふーふーしてスプーンを差し出した。
彼女はしばらくアントーニョとリゾットを見比べていたけれど、「うまいで?俺の畑で作った野菜やからなっ」とアントーニョが茶目っ気たっぷりでウィンクすると、彼女は小さな口を本当に少しだけ開けた。
「もうちょい開いて」
スプーンをやや強引に入れると、もくもくと咀嚼を始めた。
こくり、と飲み込んだのを見計らってまたスプーンを差し出すと、今度はさっきよりも大きく口を開いた。
何往復もしたスプーンは空になった皿に置いて、風邪薬を飲ませる。

「にっがいから、よう効くで」
飲んだ瞬間に眉を潜めた彼女に笑ったのは言うまでもない。
「よし、薬飲んだらまた寝るんがええ。熱が下がったらいろいろ聞きたいことあるんや」
こくりと頷いた彼女の頭を撫でて、部屋を出た。


昼まではトマト畑の世話をして、オートミールを作る。
それを彼女の部屋まで持って行く。
また彼女は寝ていたから朝と同じ事を繰り返して、また部屋から出てくる。
氷枕とタオルを換えて、汗をたくさん出すようにと軽い上掛けを1枚増やした。

アントーニョも自分の昼食を作り、シエスタを取った。
日が落ちるころに起きて、またリゾットを作った。

今度も寝ているかと思った彼女だったが、アントーニョがノックをしてドアを開けると、彼女は顔をこちらに向けた。
「おはようさん。熱はどうや?」
額に手を当てると、心なしかまだ少し熱い気がする。
体温計を脇に挟んで、またひよこにエサをやる要領でリゾットを食べさせた。

「お、もう微熱やな」
体温計をチェックして、また薬を飲ませる。
彼女はとても嫌な顔をしたけれど、今度はオブラートを用意したから、嫌がらずに飲んでくれた。

「念のため、明日もベッドに居るとええで」
彼女は何も答えない。
「熱もだいぶ下がったみたいやし、君んこと教えてくれん?名前はなんて言うの?」
彼女は昨日のようにはくはくと口を動かした。

「ん?喉渇いた?」
ふるふると横に首を振る。水が欲しいわけではないらしい。
手を一生懸命に動かしている。その動きは何か意味を持っているようで、何回か同じ動作を繰り返した。
アントーニョが反応せずにいると、アントーニョの腕を取って、手のひらに『ハル』と指で書いた。

「ハルっていうん?俺はアントーニョやで」
こくこくと頷くハルは続いてこう書いた。

『紙とペンを下さい』



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