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□英
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※史実とか戦争とか出ますが、曖昧だったり違うこともあると思います。フィクションなので、あまり深く考えずにどうぞ。苦手な方はブラウザバック!
最初はシリアスだけれど、最後はハッピーエンドだと思います。






びりっ。
日めくりの暦を一枚剥がす。
今日も1日が始まりますね。

私の目の前に現れた数字は、6。寒さもいよいよ深まった、師走。

この日を思うと、胸がちくちくと痛む。大昔の出来事なのに、昨日付けられた傷みたいに。


「アーサー、さん……」

一世紀ほど昔、兄さまとアーサーさんは軍事同盟というものを結んだ。
まだ日本が世界と肩を並べる努力をしていた時期だ。
仲間を探していた兄さまが、遠い遠い国の方とお友達になったと聞いて、私も驚いたものだ。



アーサー・カークランドという人は、とても紳士な方だった。
仲間の兄さまだけではなく、私にも気さくに話しかけて下さったり、自宅に招いても下さった。
当時は、同盟を身分違いの結婚と揶揄されたらしいけれど、私はそんなことも知らないまま、アーサーさんとロンドン観光をしていた。
アーサーさんは、私が東洋の人間であり女だからと差別せずに、対等に接してくれるどころか、レディファーストという精神で、丁重にもてなして下さった。


私がそんな彼に惹かれるのは当然のことだった。
いろいろな体験談や知識、知恵どころか、恋の作法まで教えてくれた。
恋が実った時は、嬉しくて嬉しくて泣き出してしまった私を、アーサーさんが抱きしめてくれた。
頻繁には会えないけれど、手紙や電話で連絡を取り、穏やかな時を過ごしていた。


アーサーさんと出逢ってから、数十年が経ち、それでも私たちは互いの性格のせいか、初なカップルだった。
口付けを交わしただけでお互い顔を真っ赤に染めて、ぎこちなく笑いあう。
『好きだ、ハル。愛してる』
『私もです。嬉しい……』

これからもずっとアーサーさんのお側に居られる。
そう信じて疑わなかった私は、何も知らなかった。


会う時間が少なくなったこと、手紙のやりとりが間を置くようになったこと。
兄さまが、ジョーンズさんと行動を共にしはじめたこと。

『同盟を破棄……?』
『はい。ですが彼と敵対した訳ではありません。日米英仏の四カ国で新たな条約を結んだだけです』
ハルは何も気にしないでいいんですよ、と兄さまは言った。
不安そうに瞳を揺らした私を思っての言葉だと気付くのはだいぶ後になってからだった。

その時の私は、アーサーさんと会えなくなるのかという不安でいっぱいだったから。


条約が結ばれてすぐの、寒い寒い冬。
アーサーさんは私に会いに来て下さった。
私は嬉しくて、時間が許す限りアーサーさんと共に居た。
アーサーさんはいつものように紳士然としていて、私を甘やかした。

アーサーさんの温かい指に触れられて、口付けて、体温を分け合う。
そんなことが私たちには不足していて、必要だった。


『アーサーさん。私、これからもアーサーさんとこうして居られますよね?』
こうして居たい、と彼の腕の中で呟く。
『………あぁ。居られるさ』
『アーサーさん、愛しています』
『あぁ。俺も、愛してる』

ぎゅ、と強く抱きしめられて、私は満足のため息をついた。
アーサーさんの瞳の奥の思惑など知らず、幸せな時をたゆたっていた。



国にとっては瞬きをしたくらいの短い時間ではあるが、時はまた二十年ほど経っていた。
同じようなサイクルで毎日を過ごす。
最近は一年に一回アーサーさんと会うくらいで、専ら電話と手紙で交流を保っていた。
彼は世界の情勢のことなど一切触れず、彼の愛する花たちの話や、彼の国の文化について話してくれた。
最近届いた物の中には、彼が手ずから縫ったという薔薇の刺繍つきのハンカチもあった。
刺繍というのはそう簡単に出来ないらしく、長い時間をかけて縫うそうだ。
慣れているためか、緻密でミスがない。

こうして、ささやかではあるけれど、満たされるような心地でいた。


しかし、世界の情勢は危険らしい。
施行されたこと以外は国家機密として、身内の私にすら口外しない兄さまだけれど、世間で飛び交う憶測は、私の不安を駆り立てるばかりだった。

『ドイツと手を組むらしい』
『それではアメリカを敵にするつもりか?』
『アメリカにつくべきだ!』
『ドイツに決まっているだろう!』
そんな言い争いが毎日世間を賑わしていた。


私はひたすらにアーサーさんからの電話を待つばかり。
私の頭には悪い想像しか詰め込まれていなくて、何も手に着かない。
兄さまも責務でここ数週間留守だ。
嫌な予感がする。

リリリリ、
電話が鳴った。

私は弾け飛んだ鉄砲玉のように駆け出して、受話器を取る。
『もしもし!』
『そちらは本田宅か?』
『アーサーさん!ご無沙汰しております!』
『ハルか』
私の名を呼んだ途端に、声音が柔らかくなった気がした。

『お元気でいらっしゃいますか?なんだか物騒な世の中になっていますから、お仕事は激務だとは思いますが、どうかご飯だけはきちんと召し上がってくださいね』
『ああ』
『………』
『………』

いつもなら、アーサーさんが会話を促してくれるのに、今日の彼は無口だ。
『あの……。お仕事、お忙しいでしょうが、庭のお手入れはされてますか?』
『いや』
『そうですか………えぇと、こちらは今、雪が降っていますよ。そちらは日本より北ですから、もっと寒いのでしょうね』
また話題を探す私を切り捨てるように、冷たい声が耳を刺す。
『今日は用件を伝えるためだけに電話した』

何でしょう。動悸が止まりません。
相手はアーサーさんなのに、見知らぬ誰かと話しているような、違和感。

『あ、あの……アーサーさん。最近お会いできませんが、次に来日するご予定は……?』
来月、時間が空いたから行く。
そんな言葉を待っていたけれど、受話器からは何も聞こえない。

ああ、しまった。
そんな言葉が頭をよぎった。

『……用件はひとつだ』

嫌だ、嫌。
何も言わないで……!


『俺は、お前の兄の敵になるだろう』
それは、つまり。
ひいては私の敵になるというわけですか。

『敵と馴れ合うわけにはいかない』
『どういう、意味でー……』
『そのままの意味だ。もうお前とも馴れ合わない。もう関わることもしない』
電話越しの、感情のみえない声。
強張ったそれは、きっと私にはほぐせない。


あなたは今、どんな顔でその残酷な言葉を向けているのですか?
どんな気持ちで、私に別れを告げているのですか?
それは、あなたの本心ですか?


『用件はそれだけだ。失礼する』
『アーサーさん!待ってください!私の話をー……』
『しつこい女は嫌いだ』


ガチャンッ!
受話器の向こうで大げさな音がたつ。
頭の中で、彼の声がリフレインする。


馴れ合い
嫌い

『馬鹿な人……』
嫌いだなんて、今まであなたが愛してきた私をそう評して、自分を貶めているのに気付かない。

『愚かな、私』
それでもあなたの声が聞けたことが嬉しくてしかたがない。

大声で泣き叫びたかったけれど、今までそんな泣き方をしたことがないから、いつものように忍んで泣く。
極力、声を漏らさないように。
滂沱の涙を流しても出せない嗚咽は、胸をいっそう苦しくさせた。
張り裂けそうだ。
いっそ、このまま張り裂けてしまえ。他人事のように頭の片隅で考えていた。


そして、1941年12月9日。
アーサーさんからの最後の電話が来た3日後。
日本は枢軸国として、連合国への開戦を表明した。


私は兄さまのお側にいるようにと、とある場所まで来ていた。
『春』
『はい、何でしょう』
『……春に謝らねばならないことがあります』
『………』

『イギ……いえ、カークランドさんのことで、』
『もう、いいのです』
『私もかつては彼の友人でした。彼がどんなに春を想って下さっていたか、春がどんなに彼を慕っていたか知っています』
『終わったことですから』
『私は連合国の敵となったことについては謝りません。しかし、アーサーさんとあなたを仲違いさせてしまったことに関しては、どう償えばよいかもわからない』

いつも優しく微笑んでいた兄さまが、苦しそうに眉をひそめている。
『兄さま。私、兄さまが苦しそうにしているのは、見たくありません。私が愛想を尽かされてしまっただけです。嫌いだと言われてしまいましたから』
だから、兄さまが気に病むことはしないでほしい。

『いいえ、春。違うんです。私は彼ではないけれど、わかります。彼はあなたを未だ愛しているはず』
優しい彼は、春が彼と私の間で揺れ動くことを予測して、あちらから別れを告げたのだろう。
身内を敵にするか、恋人を敵にするか。
優しいあなたの心が引き裂かれないように、彼はわざと嫌いだと言ったのだ、と兄さまは言った。


『この戦争がいつ終わるかはわかりません。けれど、必ず終わります。そうすれば、いつかまた笑いあえる日が来ます……!』
だから、

彼を諦めないで、
信じて
愛し続けなさい



『………はい。わかりました』
兄さまの視線に答えるように頷いた。
例えそれが偽りの答えでも、私は兄さまに辛そうな顔をさせたくないから。

嘘をつく。
私に、兄さまに。

『いつか平和な世の中になったら、また……』
ひとつの希望を呟いて、心の奥底にしまい込んだ。







負けてしまった。
焼け野原になった。
だだっ広い彼方には瓦礫の山。
赤ん坊の泣く声。
機械を通して聞こえてくる声。
跪いて泣き崩れる人びと。
終戦に安堵する人、現実を受け止められない人、何もわからない子どもたち。


私は朝から晩まで兄さまの世話をした。
重傷を負った兄さまの全身は、大部分が包帯で覆われている。
『春……』
『どうしました?』
『……終わりましたね』
『私は、悔しい』
兄さまはこんなに傷ついたのに勝てなくて、敗者は須く悪者で忌むべき卑下すべき存在になる。
こんなに何もなくなったのに、戦勝国から無理難題を押し付けられて叩き潰されるのだろう。


『私は、安心しましたよ』
『え、』
『もうこれで、無益な殺生は減るでしょう。まだ立ち直ってはいないけれど、私は国民の皆さんを信じていますから、未来に心配はありません』
『兄さま………』
『覚えていますか、私がこの大戦が始まった時に言った言葉。約束、守ってくれていますか』
『やくそく、』
『守ってくれますよね。もう敵や味方など関係のない世の中になるんですから』
まだ差別は減らないだろうけれど、あと30年、40年経てばきっと。
そんな時間、私たちにとっては一瞬でしょう?


兄さまは傷ついた痛々しい腕を持ち上げて、私の頭を撫でた。
『あなたも、自分の心に正直に生きていいんです』

正直に生きても、アーサーさんの気持ちが私に向かなければ、想い続けることは苦痛だ。
想い合っていた10年と片想いの10年は何倍もの差があるだろう。

『アーサーさんの私への気持ちがまだ残っているのならば、私は……』
待ちます、と言い切れなかった。
兄さまは悲しげに微笑んで『彼を信じてあげなさい』とだけ言った。
10年経った。
彼からの連絡はない。
20年経った。
彼はきっと、違う女性と腕を組み、歩いているはずだ。

半世紀経って、世界がどんどん近く狭くなっていって、戦争を知らない人が増えた。
旅行や異文化交流がより盛んになり、国境などないと思えるほどだ。

けれど、イギリスと日本に絶対的な距離があるように、私と彼の間にも縮まりようのない距離があった。
きっと遠い遠い未来に大陸が移動して、この島国が大陸とひとつになってしまっても、私たちの距離は変わらないんだろう。






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