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□那月
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「っぎゃーーー!!」
辺り一面に響くのは、ある意味有名人の来栖翔くんだ。
ある意味というのは、彼の同室の生徒から被害を受けているという意味で、だ。
来栖くんの同室の生徒は、私と同じAクラスの四ノ宮那月くんである。
四ノ宮くんは小さいものと可愛いものが大好きで、来栖くんがそれに当てはまる。
いつも遠くから、「翔ちゃ〜ん!」と呼ぶ声が聞こえると、その他の生徒はまたかと嘆息する。
抱きつき癖でもあるのだろうか、四ノ宮くんは来栖くんを見つけると突き飛ばさんばかりの勢いで来栖くんが雄叫びを上げるほどにきつく締め上げる。
呼吸が出来なくてくったりとする来栖くんを見て騒ぐのもいつものことだ。
周りから憐れみの視線にさらされ続ける来栖くんのもうひとつの悲劇。
それは、四ノ宮那月くんの手料理だ。

前に食堂で猫や豚を模ったクッキーを来栖くんにむりやり食べさせていた四ノ宮くん。
その問題のクッキーは異臭を放ち、丸こげといっても差し支えないほどの出来だった。
口に含んだが最後、顔を青紫に変えた来栖くんは予想に違わず気を失った。

恐ろしい技術をお持ちだなぁと、その他生徒の一人である私は特に感慨もなく眺めていた。
どうすればあそこまで問題のある食べ物を作れるのだろうか。しかも彼は、わざとではなく本気で作っているそうだ。
お菓子作りが趣味である私としては、ケーキのスポンジが膨らまなかったりする一般的な失敗以外はしたことがなく、あんな兵器のようなものは作ったことがない。
不思議なものだなぁ〜とほわほわ考えて、中庭を抜けて友達と待ち合わせをしている空き教室を目指す。

週に1、2回はお菓子を作る私だけれどさすがに全部自分で食べるわけじゃない。
私だって年頃の女子なわけだから、体重とかニキビとかも気になるものだ。
人見知りなせいで緊張してあまり口を開かない私が他人と関わることはあまりないから、みてくれを気にしても無駄だと言われれば返す言葉もないのだけれど。

昨日はそんなに時間が取れなかったから、混ぜて焼くだけの簡単パウンドケーキ。林檎先生に高級茶葉を貰ったから、紅茶葉を刻んで生地に練りこんだ。
あとはバナナを少し粗めに砕いてオレンジピールと一緒に生地に練りこんだバナナパウンドケーキもある。
質の良いバターを使うとより口当たりがまろやかになって美味しい匂いが気に入っているから、パウンドケーキはよく作るほうだ。

お菓子は私の担当、お菓子に合うお茶は友達担当で互いに持ち寄り、お茶会を開いている。
腕に抱えている袋からは作りたてでなくてもふんわり甘い匂いが漂ってくる。
この匂いを嗅ぐだけで幸せになれるんだよねぇ〜。


もうすぐ十字路という時、横から騒がしい声が聞こえた。
「来るなぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「え」
目の前をまるで台風かのような勢いで駆け抜ける誰かは目には見えなかったけれど、声はよく馴染んだものだった。
あれ、来栖くんだよね?………ということ、は?
十字路の中央に立ちつくした私に地響きが襲う。
「翔ちゃぁ〜ん!待ってくださいよぉ〜!」
ドドドドド、という音と共に一気に距離を詰められて、私は怖くて目をぎゅっと瞑った。

こ、こわい!吹き飛ばされちゃう!?

狭い通路じゃぶつかってしまうと身体を強張らせた私だけど、警戒していた衝撃はこなかった。

「……?」
ぎゅっと瞑っていた目を開くと、目の前には金色。
「っ、」
「あ、日高さん。こんにちは」
来栖くんを追いかけていたはずの四ノ宮くんが、立ち止まって私に挨拶している。私以外の誰かかとも思ったけれど、名指しで言われたから確実に私だ。
え。っていうか私を知ってるの?いやそりゃ同じクラスだけど、話したことなんか一度もないし……。
驚きに固まる私はハッと我に返って会釈した。あ、危ない危ない。無視されたと思われる前で良かった。

「こんな所でどうしたんですか?」
この先は空き教室ばかりだということは生徒全員が知っていることなので、四ノ宮くんも不思議に思ったんだろう。
でもそれ私のセリフ……。いや、四ノ宮くんは来栖くんを追って来ただけだったね、そういえば。
場を濁すように、苦笑気味ではあったけれど笑みを返しておいた。

「日高さんも翔ちゃんを追いかけに来たんですか〜?」
誰がどう考えても思いつかないであろうその考えにあんぐりとしてしまった。
四ノ宮くんは自分の世界で生きていると友達が言っていた意味がようやくわかった。
ぶんぶんと頭を振って否定する。

ていうかちょっと待って!!!
四ノ宮くん、近くで見るとすごくかっこよくない!?
ふわふわの金色の髪と、きりっとしているのに笑みをかたどる唇のおかげで雰囲気が柔らかくなる顔立ち。ばさばさの睫毛に縁取られている瞳はとろりと蜂蜜がとろけているようなハニーブラウン。
こういう落ち着いた雰囲気を醸し出している時の四ノ宮くんって大人っぽくて素敵だ。

「ん?甘くて良い匂いがしますね」
「っ、」
くんくんと鼻を動かす四ノ宮くんからつい隠すようにケーキを抱き直すと、そのせいで見つかってしまった。
「あっ、ここからです」
目を閉じてうっとりと甘い香りを堪能している四ノ宮くんは私の顔の近くまで首を伸ばしてきていて、私は固まったまま動けずにふるふると震えるばかりだ。
「う〜ん、バターの上品な香りと、砂糖の焼けた甘い香りが合わさってとても良い匂いですね。紅茶のパウンドケーキですか?」
アルミに包まれているそれは中身が見えないようになっているので、一発で当てた四ノ宮くんにちょっと驚く。
合ってますか?と言いたげに私を上目遣いで見つめる四ノ宮くんに、顔が赤くなるのを自覚しながら頷いた。

「日高さんが作ったんですか?」
こくこくと頷いた私を見るとパッと華やいだ表情になった四ノ宮くんが、更に身を乗り出してきた。
「わっ」
「すごいですっ!とーっても美味しそうですね!僕もお菓子を作るのがだぁい好きなんですよ」
あぁ、あの毒のような………。
「パウンドケーキは作ったことがないんですが、簡単ですか?」
こくっと首を振って、おずおずと口を開く。

「同じ分量の材料を入れて混ぜて焼くだけ」
小麦粉、砂糖、卵、バターを1ポンド、つまり約450グラムずつ混ぜて焼くだけの簡単なケーキがパウンドケーキだ。
初心者でも失敗が少なく、生地になんでも練りこめるので種類も豊富なのでいろいろなパウンドケーキが楽しめる。
四ノ宮くんにぜひ作ってみてと言いたかったけれど、来栖くんの体調を壊す機会を増やすのは忍びない。


ニコニコと私を見る四ノ宮くんに、私は混乱した。
会話はひと段落ついたはずだ。どうして来栖くんを捕獲する作業に戻らないんだろう。
あ、四ノ宮くんから話し掛けた手前、自分から去るのは失礼だと思っているタイプとか?
じゃあ私が暇を告げようとペコリと会釈をしようとすると、また四ノ宮くんの顔がケーキに近づいた。

「茶葉の匂いが上品ですねぇ。匂いを嗅いでいるだけで幸せな気分になってしまいます」
屈託のない笑顔に負けた私は、バッグから紅茶のパウンドケーキを入れてある袋を取り出して四ノ宮くんに差し出した。

「良かったら……」
そう言いながら崩れない程度の強さでパウンドケーキを押し付けた。

「えぇっ?良いんですかぁ!」
あんなにふにゃふにゃの笑顔を見せられたらあげたくもなっちゃうよね。
「ありがとうございます!とーっても嬉しいです!」
両手をいきなり掴まれて、四ノ宮くんに覗き込まれてしまった。
ドアップの四ノ宮くんは睫毛もキラキラと輝いていて、艶やかな瞳に吸い込まれそうだと思った。
こんなに人と顔を近づけたのは初めてで、緊張しているのに目を逸らせない。
私の両手を包む大きくて少し骨ばった手。とろけるように甘い声。
感覚全てが四ノ宮くんでいっぱいになって、何も考えられなかった。
はっと我に返ったのは四ノ宮くんが「それじゃあ皆でいただきますね。ありがとうございました」と去って行った後だった。


ぶわぁっと身体に熱が回りきって、ふぅと深呼吸した私は落ち着いた足取りで約束していた教室へと向かった。
落ち着いたと思っていたのは私だけで、実際はふらふらと教室にやってきて友達が淹れてくれた紅茶をびちゃびちゃと零して、パウンドケーキを見るたびに顔を赤らめていたとは友達の談だ。




部屋に帰った私は興奮冷めやらぬまま、頭に流れ続ける音楽をそのまま楽譜に書き連ねる。
アップテンポな曲は休むことを知らずに音符を連なり続けていた。それは、混乱と興奮を表していたように思う。
ポンッと、ひと音飛び出たそれは私の心臓の高鳴り。スタッカートばかりの音たちは、飛び跳ねるように喜んだ心。
言葉よりも雄弁な音で心情を全て吐露しきった。
この曲を書いている間に思い描き続けていたのは、ふわふわとした金色の髪を持つ彼だ。


曲を完成させた後でもまだ鼓動が落ち着かないのは何故だろう。
わからないけれど、久しぶりに疾走感のある作曲活動だった。達成感も一入だ。
気づいたらもう時計の短針は3を指していて、早く寝なくちゃとベッドに入った。



次の日、教室で眠た目をこすっていた私の目の前に現れたのは四ノ宮くんだ。
「春ちゃん!おはようございます〜っ」

え、名前?と私が驚いている間に目の前が暗くなって、すぐ後に鼻に硬いものがぶつかる。
そして締め付けられるような感覚がして、私はようやく自分が抱きしめられていることを理解した。

な、なんで!?どうして!?
静かにパニックに陥る私にかまわず、四ノ宮くんは抱きしめる力を強くした。


「今まで食べたどんなパウンドケーキより、春ちゃんの作ったものが美味しかったです!素晴らしいです!」
どうやったらあんなに美味しいパウンドケーキを作ることができるんですかぁっ!と興奮している四ノ宮くんは私を馬鹿力で締め上げる。
し、死ぬ……!!
意識が飛びそうになった瞬間に、パッと拘束が解かれてめいっぱい新鮮な息を吸う私をよそに四ノ宮くんは楽譜をずいっと私の目の前に突き出した。

「え」
なにこれ。もう展開速くてついていけない。

「春ちゃんのケーキを食べたら、星空からピピピーって音楽が降ってきたんです!」
パウンドケーキの歌、という全く捻りのないタイトルの下には、綺麗に連なる音符が躍っていた。


「春ちゃんが楽しそうにパウンドケーキを作っているイメージで書きましたぁ」
リズミカルで歯切れのいい音が続いているその音符たちは、楽譜を見ているだけでも楽しそうに舞っていた。
さすが才能がある人は違うなぁ。こんなに素敵な曲を書けるんだ……。
だけどそのモチーフが私だなんて、恐れ多いにも程がある。
「どう?気に入ってくれましたか?」
こてんと小首を傾げて、私と同じ目線で聞いてくる四ノ宮くんに首肯する。

「す、すごく」
ほとんど吐息で告げたその言葉に、キラキラと瞳を輝かせた四ノ宮くんは、さっきみたいにガッチリと私を抱きしめた。

「春ちゃん、キュートです〜!」
「ああぁっ、那月っ!そんなにぎゅうぎゅうしたら、日高が苦しいって!」
「えぇ?だけどもっとぎゅーってしたいです」
「ほ、抱擁とは想い合う者同士がやるべきものであってだな……そのように一方的にするものではないと思うぞ、四ノ宮」
四ノ宮くんの腕の中で一十木くんと聖川くんの制止する声が聞こえた。
聖川くんの言葉を聞いたのか、四ノ宮くんは私の肩を持ったまま腕一本分離れて、私の顔を覗き込んできた。
「春ちゃんっ!僕のこと嫌いですか?」
むむっと真剣な顔つきになった四ノ宮くんに、私はブンブンと首を横に振る。
「じゃあ好きですか?」
今度はにっこりといつもの四ノ宮くんの笑顔で言われて、私は慌てて数度頷いた。
「真斗くんっ!僕と春ちゃんは両想いでした!」
満面の笑みと大きな声でそう宣言されて、私は卒倒しそうになった。
「そ、そうなのか、日高……?」
今のやり取りでどうして納得したかは謎だけれど、聖川くんは窺うような目つきで私を見据えた。

力いっぱい否定しようとして、それでも自分の感情に従った私の首は全く動かなかった。
ぶわっと顔に熱が集まるのを感じて、元々うまく回らない口は貝みたいに閉ざされている。

「え?##NAME#1##って、もしかして……」
一十木くんまでつられて赤くなって、パクパクと何か言おうとしていた。
それにすら私は何も返さず、ただただ俯いて顔から火を出すばかり。

「春ちゃんっ、良かったら今度、僕と一緒にお菓子を作りませんか?」
さすが四ノ宮くん。自分のペースで生きている。
困ったことだけれど、今回だけは助かった。
こくり、とようやく首を動かすと、四ノ宮くんの華やいだ雰囲気がより強くなった。
「わぁい!嬉しいです!パウンドケーキ、教えてくださいね」
ぎゅうっとまた抱き込まれることにも何だか慣れてきたな。
四ノ宮くんの幸せそうな顔を見るとこちらまで胸が温かくなる。
一緒にお菓子作りかぁ。ちょっぴり不安だけど、私が見守っていれば大丈夫だよね。
一緒に作ったパウンドケーキで二人でお茶会をしたいなぁと妄想をしている私は気がつかなかったのだ。


(これが初恋ってやつなのです)


>>>
無口少女らしくほとんど発言はなかったですが、那月のマイペースさでどんどん展開していきました。
突飛な展開になってしまいましたが、那月ならこういうのもアリかなぁと思います。

雪乃様のご期待に沿えていれば嬉しいです!
10万打企画へのご参加、ありがとうございました。
また機会があったらぜひお越しください。
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