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□うたぷり
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夜も更けてきた頃、私はベッドに入らずに愛しい人のもとへ向かっていた。
手に持っているのは、ふんわりと湯気の立つクッキーに、香り高いブレンドティーを載せたトレー。

小さな明かりが灯った道の先には、セシルの執務室がある。
扉の前に居る衛兵に挨拶をして扉を開けてもらい、私についてきてくれた侍女には、セシルと一緒に部屋に帰るので今日は休むようお願いした。
かしこまりましたと恭しく下げる侍女におやすみと告げ、中に入った。


「セシル」
「春。こんなに遅くにどうかしましたか」
「セシル、今日はずっと執務室に閉じこもっているでしょう?少し休憩しない?このクッキー、私が焼いたの」
アグナパレスに来てから、お菓子作りに目覚めた私はこうしてよくセシルや皆に振舞っている。

「春が?それは、冷める前に食べなくては。ありがとうございます」
「知ってる?こんな静かな夜に食べるとね、特別美味しいんだよ」
焼きたてはホロッと崩れて舌に馴染む。冷めた物よりも何倍も美味しく感じるから不思議だ。
私がサイドテーブルにトレーを置いて椅子を運んでくる間に、手早く書類を片したセシルは、カップへと紅茶を注いでくれた。

「ミルクは多めにしておきました」
「砂糖も控えよう。ミルクとクッキーの甘みで十分おいしいから」
「賛成です。……いただきます」
「召し上がれ」

先に紅茶で喉を潤して、クッキーを食べる。
サクサクでバターの風味がふんわり香ってくる控えめの甘さに、上出来だと自画自賛した。
「……! とても美味しいです!温かいクッキーは初めて食べました」
少年のように目をキラキラと輝かせるセシルに、作った甲斐があったと私まで嬉しくなった。
「喜んでもらえてよかった。……ねぇセシル。今が忙しい時期っていうことはわかってるけど、少し根を詰めすぎじゃない?」
物憂げな表情で机に向かっていることが多く、執務では手伝えることのない私はこうしてひたすら心配することしかできない。


「心配をかけてしまいましたか?ワタシは平気です。こうして春がワタシのためにクッキーを焼いてくれる。それだけで元気が出てきます」
そっと私の手を握るセシルは嘘や冗談を言っているようには見えない。それでも、こんなに長時間机に向かっていれば疲労は蓄積する一方だ。
「……あとどのくらいで終わりそうなの?」
「明日には終わります。今ちょうど、キリの良いところまで終わりました」
「よかった!じゃあ、今日はもう休める?」
「はい。書類を少し整理するので、春はクッキーを食べて待っていてください」
「私も手伝うよ。機密書類じゃなければ」
「本当ですか?ありがとうございます」

「じゃ、この一杯が終わったら片付けよう」
「そうしましょう」
ゆっくりと話をしながら、急ぐことなく一杯を楽しんだ私たちは、さっそく書類の整理に取り掛かった。

「このくらいでいいでしょう。ありがとう。とても助かりました」
「このくらいの手伝いだったらいくらでもするから、言ってね」
こくりと頷いたセシルに、それじゃあ寝室に帰ろうかと促すと。

「春、もう眠いですか?」
「ううん、セシルと話してたら眠気なんて吹き飛んじゃった」
「少しだけ寄り道をしませんか。春に見せたい所があります」
「わぁ、楽しみ!連れて行って!」

「それでは参りましょう、My princess」
恭しく手を差し伸べられ、私もお上品に手を預ける。
一人だけ護衛がついたようだけれど、彼らはいつも気配を消すのが上手いから気にならなかった。

長い通路を二人で歩く。仄かな光に照らされているセシルの横顔は相変わらず端正で見惚れてしまう。
私の熱視線に気づいたセシルが小首を傾げてふんわりと微笑む。
それにつられて私も笑い、空いている左手をセシルの左腕に添えてそっと身体を寄せる。
ふっと吐息だけで笑ったセシルは腕に懐いている私の頭に軽くキスをする。

「春、こちらです」
中庭にある細道を抜けた先にあったのは、豪華な噴水だった。
周りより少しひんやりとした空気が心地いい。
「わぁ、すごい!噴水!」
セシルの手を引っ張って石造りの噴水に駆け寄り、水に手を伸ばす。
「ここに座ってください」

幅の広い縁に足を乗せて座ると、私の腰に回った手に引き寄せられ、二人の身体は距離をなくした。
ロマンティックな雰囲気に酔って、セシルの肩に頭を預ける。
どちらからともなく絡めた指をくすぐられ、ひっこめようとするとやんわりと掴まれる。
「離してあげません」
「くすぐるのは無しだよ〜。苦手なの知ってるくせに」
「すみません。春が可愛らしいのでつい」

ちゅ、と額にセシルのぬくもりが触れる。
いつもそんなことばかり言って誤魔化すんだから……。


「春、水面を見てください」
「ん?……うわぁ!きれーい」
「水面に満天の星が映って美しいでしょう?」
「うん、とっても!」
日本ではほとんど見られないであろう、満天の星たち。
「水面から見る星空というのも素敵だと思い、春をここへ誘いました」
「ありがとう、セシル!とってもとっても素敵!」
嬉しくなって空いている手でセシルの身体を抱きしめた。
セシルも面映そうにはにかむ。

「この燦々と輝く星々と可憐なアナタを映す水面……ワタシの想像通りです。この世の何よりも美しく汚しがたい。ワタシに愛されてより輝きを増したアナタの傍にこうして居られることが、ワタシにとっては何よりもの喜びです」
「私も嬉しい。セシルが溢れちゃうくらい私に愛を注いでくれて、そんなセシルに愛されることができることが」
「美しく気高い春を狙う男はたくさん居ました。それでも、春とワタシはミューズに選ばれた運命の恋人。何があっても春を愛し続けます」

そっと頤をすくわれ、私は夢心地のまま目を閉じた。
温かい唇が、壊れ物を扱うかのように丁寧に触れてくる。
小さなキスを何度も何度も繰り返して、いつのまにか熱を持った頬をセシルの指がなぞる。
睫毛の触れ合いそうな距離で見つめ合うと、もうお互いのことしか見えなくなって、外だということも忘れて口付けを深くした。

「ん……セシル、私」
「春。アナタをもっと感じたい。もっと愛したい。アナタの全てを見せてほしい……いいですか?」
情熱的なキスに息を乱した私は、セシルの熱のこもった瞳に当てられて頷いた。
「もっと愛して……?」
ぐっと衝動を堪えるようなセシルはいきなり私を抱き上げて、足早に歩き出した。
「っ、セシル?」
「すみません……早く春をワタシの腕に閉じ込めてしまいたくなってしまいました」

寝室へと向かいながらも、雰囲気を壊すことの無いようにと甘いキスを繰り返した。
「愛しています、春。こんなにも胸が震えるのはアナタだけ。アナタの愛でワタシを満たしてください」
返事の代わりにセシルの頬を撫でると、セシルは愛情に満ちた目を細めた。

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なかなか難産でした……!
甘くならない!セシルさんのキャラ違いすぎる誰これ!スランプ!
アグナパレスでファンタジックな恋をさせようと思って撃沈です(泣)
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