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□WJ
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あたしは一生懸命逃げていた。
神宗一郎という人間から。


校舎をジグザグに逃げ回ってから、後ろに誰も居ないことを確認して安堵の息を洩らす。
これでよかったんだ。息を切らしながら真っ白な頭で考えた。

あたしは1年ほど前から神くんが好きだった。もちろん今も好きだけれど。
一昨日、クラスでも可愛いと評判の女の子が神くんに告白をしたらしい。
昨日はその女の子が振られたという話題で噂話は絶えなかった。
あたしの胸にはホッとしたのと一緒に悲しさもこみあげてきた。
だって、あんな可愛い子ならフラッといっちゃいそうだ。
なのに、神くんはあの女の子さえも断れちゃうくらいに誰かに夢中なのかもしれない。

そんな考えをふと浮かべてしまったから、あたしは軽い恐慌状態に陥った。
あたしがこの想いを受け入れてもらえるはずがないんだ。
あたしの恋を知っている友達もいつものように「チャンスだよ!」とは言わなかった。みんなわかってる。

今日も朝からブルーな気分に浸りまくって、やっと放課後になった時だった。
えーっ!という驚きの声に続いて、きゃあきゃあと数人の女の子がおしゃべりに夢中になっている。
耳をそばだてなくたって興奮した声は聞こえてきた。

「だってあの子も振られたんだよ!?度胸あるねぇ」
「だからだよ!あんな可愛い子が振られちゃったんだから、きっと顔は関係ないんだよ」
告白の相手は名前にあがらなかったものの、あたしにはその人が神くんだとすぐわかった。
「それに、きっぱり振ってもらった方が諦めつきそうだしね」
あはは、と空笑いでその話を終わらせた子は席を立った。
いってきますと残った子たちに言って、まるで当たって砕けることを知っている兵隊みたいだと思った。
あたしにはそんな勇気がない。
だって諦めつかないと思うんだ、いくら神くんがあたしを振ったとしたって。
そうしたらもうどうしようもないじゃない?
一方通行すぎる恋ができるほど強くないんだ。

「かーえろっと」
しばらく教室でぼーっとしていたけど、声だけでも強がっていたくて、あたしは大股で昇降口まで降りた。
曲がり角にある学校で飼育しているウーパールーパーに目を落として、コツンと水槽の淵をつつく。
いつもはあまり可愛いとは感じないその子も、一人寂しくみんなの下校を見守っているのかと思ったらなんだか親近感がわいた。
「一緒だね、あたしもおまえも」

かわいそう。
そんな呟きが沈黙に交じったら、続いて誰かの声が聞こえた。
「私、私ね……神くんのことが……好きなんです」
頭をガーンッととても大きな鈍器で殴られたみたいだった。
教室で話してたあの子だ。

ああなんてあたしは間の悪い女なんだろう。
最近ツイてないな、なんか悪いことしたっけ?
この前はバスでおばあさんに席を譲ってあげたし、昨日なんて弟があたしのアイス食べちゃってても怒らなかったのに!(怒る元気がなかっただけともいうけど)
下らないことばかりが頭に浮かんだけど、そんなことを考えてなきゃ頭がパンクしそうだった。
神くんの答えを聞きたくなくて、走ったら気付かれることなんて普段ならわかるのに、あたしは構わず走りだした。

少し遠くなった神くんの声があたしの名前を呼んで、更に混乱した。
何で神くんはあたしの名前を知ってるの!?
なんであたしを呼んだりしたの!?
そうしてあたしは逃げまくった末に神くんをまくことに成功した。

はぁはぁと荒い息遣いが静かな廊下に響く。
緊張と焦りと走ったことで出たいろんな汗がべたついていたから、近くの水道で思い切り顔を洗った。
呼吸を整えながらハンカチで顔を拭く。

「日高さん!」
諦めたのかと思ったのに、神くんはまだあたしを探してたらしい。
廊下にこだました声に反射的に足が動く。
かといってスポーツマンの神くんだ。
こんな至近距離でしかも疲れ切っているあたしに追い付くのは簡単だった。
がしりと二の腕を掴まれて、逃げたくても逃げられない。

「日高さん……」
「な、なに?」
「どうして逃げたの?」
追い掛けてまで聞くことかと思ったら、顔が一気に熱くなった。
「神くんこそ!なんで追い掛けてきたの」
告白されてたでしょ、とは言えずに言い淀むと神くんは息ひとつ切らさずに飄々と言った。
「日高さんが逃げたから」
「告白聞かれていい気分になる人はいないでしょ」

冷たく言い放つと、神くんがそうだねと相づちを打った。
「あたしを追い掛けるより、あの子の話をちゃんと聞いてあげなよ」
だから、離してよ。早く、早く。
神くんの手が、あたしの腕を掴むその手が熱すぎて困るの。
「あの子には悪いけど……断ったから」
「……え?」
「オレは他に好きな人がいるから、付き合うことはできないって断ったんだ」
やっぱりそうだとは思ってた。
そうじゃなかったら、あんな可愛い子たちを振れるわけがないもんね。
「そう……なんだ。って、何でそれをあたしに言うの?」
わからないのはそこだと言えば、神くんは困ったように苦笑した。
「好きな人に変に誤解されたらどうしようって思うでしょ?」
だからオレは日高さんを追い掛けて来たんだよ。

神くんの熱い手はいつのまにかあたしの二の腕から手首に近い腕まで下がっていた。
「変なって……」
それを意識した自分が恥ずかしくて、かっと熱がたまる。
「オレ、日高さんが好きなんだ」
あたしは神くんの顔なんか全然見てなくて、だから声が余計に響いて混乱した。
「ずっと、好きだったんだ」
あれ、神くんの声ってこんなんだったっけ?
もしかしてもしかしたら、違う誰かが神くんの振りをしてるのかも?
そんな馬鹿げた考えは、顔を反対に向けたらなくなった。

だって、本物だ。
本当に本物の神宗一郎が、自分の腕を握って自分に告白している。
神くんと目があったら、神くんは少し緊張した面持ちで、まっすぐあたしを見ていた。
こんな夢みたいなこと信じられなくて、だけど現実に起こっているからあたしはいくぶん落ち着けた。
(落ち着けたと思ってただけで実際はかなりテンパっていたんだけど)

「日高さん?ダメ……かな?」
ずっと黙り込んでいたあたしに弱い声があがった。
あたしはとっさに首を振る。
「ダメじゃ、ない!あたしもずっと……ずっと、」

これ以上は言葉が出てこなかった。
代わりにあったかい泪がじんわりと視界をぼやかす。
くっ、と息が漏れた瞬間に温かい何かに包まれた。
「え?神く……」
「泣かないで。悲しくないんだからさ」
神くんに抱き締められながら、そうだね、とくすくす笑った。
ほんの数分そうしていたと思う。
二言、三言ほど言葉をかわしたら神くんがあたしの手を握った。

「今日の練習、見に来てくれないかな?」
「見に行ってもいいの?」
「うん。今までで一番のプレーするから、見に来てよ」

肉厚の神くんの手の温かみをたくさん受けとめながら、あたしは勢いよく頷いた。

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With me, with me, with me!より『01. 二の腕から掌へ』

『揺らぎ』様より拝借。
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