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□遙
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・幼少期捏造あり


「えーっ!ハルちゃん絶対言ったよ!」
「言ってない」
「言った!」
「言ってない」

むむむ、と渚が白い頬を膨らます。

「わかった!こうなったら千晴ちゃんに聞こ!」
「好きにしろ」
ツンとそっけない遙がそっぽを向くと、より渚はぶーぶーと文句を垂れる。


二人の諍いなど全くもって知らない千晴は、部室に入るやいなや渚にべったりとまとわりつかれることになった。
「千晴ちゃん、聞いて!」
「どうした?」

千晴は遙のように、喧騒とは縁遠い人間だ。
あるひとつのことを除いて、何にも興味がない。
約束を守らないことなど当たり前。待ち合わせの約束に関しては、むしろ来れば奇跡だ。
どういう思考回路なのかはわからないが、覚えていればきっちり約束の時間ジャストには約束の場所に来るため、周りの人間も時間を過ぎると千晴を待つことはなくなった。

なぜ約束を守らないのかと問うても、「忘れていた」の一点張り。
ではメモでも持ち歩けと口酸っぱく言い付けても、メモを持ち歩くことを忘れる。
だからといって、健忘症などではないらしい。
どんなに大切なことだと周りの人間が説いても、千晴は初めて聞きましたといわんばかりに飄々としている。
最初はどうにかこの性格を治そうといろいろ試してみたが、いかんせん本人に全くやる気がないのだから致し方ない。
千晴の親も千晴が小学生の中学年になる頃にはすっかり矯正を諦めていた。



きっと千晴の記憶力は常にキャパシティが一杯なのだ。

人は忘れることによって新しいことを覚える生き物である。
それに反し、千晴はかなり昔からの記憶がある。
千晴の記憶の大部分を占めている、「あるひとつのこと」。

それは千晴の幼馴染みである遙のことだった。



千晴の遙への執着は凄まじい。
遙の言動のほぼ全てを千晴は記憶しているのだ。
遙に関連する、見聞きしたもの全てを少しも浚巡することなくそらで答えることができる。

そのことを知っている渚が、
「ねぇ、去年ハルちゃんが僕の誕生日にケーキ買ってくれるって言ったよね!?」
「言ってない」
「僕は千晴ちゃんに聞いてるの!ね、言ったよね?」
期待の眼差しをキラキラと向けてくる渚に、千晴は瞬時に引き出した正解を紡ぐ。
「言ってないな」
「えぇ〜っ!?」
「遙の家で誕生日会をしてもいいと言ったけど、ケーキを買うとは言ってない」
「そうだったっけ?うーん、じゃあマコちゃんが言ったのかな?」

ハルちゃんごめんっ、と軽く頭を下げる渚を、遙は小さなため息ひとつで許した。

「それにしても、ほんっとに千晴ちゃんはハルちゃんのことなら何でも覚えてるよねぇ」
「遙のことならどんな些細なことでも覚えてる」
「その才能を他のことに使えばいいのに」
「必要ない。それに面倒だ」
「ハルちゃんにかけてる愛情の少しでも他のことにかけてみればってこと!」
「だから、それが面倒。遙以外どうでもいい」

こともなげに言い切る千晴に渚は、まあいっか千晴ちゃんだし、と持ち前の能天気さで場を収束させた。



『遙以外どうでもいい』とは、千晴がよく使う言い訳のような文句だった。
物事を覚えない千晴は、「遙のこと以外で覚える価値はない」だの、「遙がしないからやらない」だのとことごとく遙を盾に拒絶する。
すると次に周りからターゲットにされるのは遙だ。

遙くんお願い、千晴に言ってやって。遙くんの言葉じゃなきゃ聞いてくれないの。

クラスメイトから担任、果ては千晴の親までが千晴の世話役に遙をあてがおうとする。
遙は自分の言葉がそんなに絶大だとは思っておらず、毎度毎度伝言役になるのは面倒だと断るのだが、実際に千晴は遙との記憶を驚くほど鮮明に覚えているのだ。




遙は小さな頃のことまで覚えているという千晴を試したことだってある。
真琴の母親が持っていた、幼い遙と千晴と真琴が写っているビデオテープには、遙がスイミングスクールに通い始める前の映像だった。
その頃橘家はハンディカメラを新調したらしく、たまたま試し撮りの映像が残っていたそうだ。

『お母さん、見て!四ツ葉のクローバー!』
真琴が満面の笑みでクローバーをカメラの前にかざす。
『あら、本当だ。すごいわね』
『でも、ハルちゃんは四ツ葉すごくないって。三ツ葉のがすごいって』

拗ねたように唇を尖らせた真琴の後ろには、真琴を追ってきた遙と千晴が居た。
『ハルちゃんは四ツ葉嫌いなの?』
『……嫌いじゃない。でも三つ葉の方がすごい』
『あら、どうして?』
『だって、三つ葉はおれたちと同じで葉っぱがみっつついてるから』
真琴と千晴と遙を表しているという三枚の葉をきゅっと握って、真琴は『じゃあぼくも三つ葉が好き!』とせっかく見つけた四ツ葉の葉を一枚ちぎった。
『これでおそろい!ね!』

嬉しそうな真琴と、相変わらずクールな遙の隣で千晴は特にコメントもなくただ遙を見つめていた。


その映像に真琴は覚えてないなぁとこぼした。
撮影されたものだからそれは確かに過去に起こった出来事で、けれどこんな些細なことは誰も覚えていないのが普通だ。


このビデオテープの存在を知らない千晴にその存在を隠したまま(もちろん真琴には口止めをした)、遙は千晴に聞いた。
四ツ葉のクローバーは好きか、と。

『三つ葉の方が好きだ。だって遙が好きだから。『三つ葉はおれたちと同じで葉っぱがみっつついてるから』だろ?』
一言一句違わないそれに遙は面食らった。
もちろんポーカーフェイスゆえにそれは顔に出さなかったが。

『……好きじゃないし、そんなこと言ってない』
『ううん。言ったよ』
『言ってない』
『遙は覚えてないかもしれないな』

仕方ないなと苦笑する千晴は、甘ったるい声で遙に告げる。
『遙のことなら、全部覚えてる。間違いないよ』


嘘ではなかったその言葉に、遙はようやく千晴の想いを悟ったのだった。




***

「遙。そろそろ思い出してくれた?」
とある放課後、用事があるという真琴と別れて二人で帰り道に着く。
「……思い出すもなにも、言ってない」
「ふふ、小さな頃から本当に頑固だよな」
可愛い、と髪越しに遙のこめかみに口づける千晴の顔を張り手で遠ざける。

「俺はすごくすごく嬉しかったんだ。遙は真琴にばかり頼ってたから、俺なんか眼中にないと思ってて」
無愛想な遙と二人きりの時、千晴はよく喋る。
言葉の端々から滲んで溢れる遙に対する愛情はどこから来るのだろうかというほど駄々漏れだ。

「遙が『千晴と結婚する』って言ってくれた時、遙とずっと一緒に居ようって決めたんだ」
心底嬉しそうなとろけそうな顔で千晴はふにゃりと笑う。

言ってないし記憶にない、と自分の意見を押し付けても千晴は柳のようにするりするりとかわして遙に迫ってくる。


「万が一言ったとしても、何も知らない子供の約束だ」
「うん、でも遙は思ってないことを口にしたりしないから。あの時の気持ちを思い出してくれたら、またきっと俺のこと好きになってくれるかもしれないだろ」

子供のような無邪気な笑みで遙にまっすぐすぎる想いをぶつけてくる千晴に遙ができることは、顔を逸らすことだけだ。

「思い出してね、遙」

じわりじわりと毒のような蠱惑的な声で、遙のなかを浸食していく。




「ただいま」
「あら、お帰り。ハルちゃん、千晴、ちょうど良いもの見つけたの!」
千晴の家に寄ることにした遙は、千晴の母親の言葉に首を傾げる。
「良いものって?」
遙の気持ちを代弁するように訊ねる千晴に、母親は浮かれた声で答えた。

「マコちゃんのお母さんに借りたんだけど、あんたらが小さい頃のビデオテープが出てきたのよ!見てみる?」
「見る」
千晴が即答した理由は、小さな遙を見たいという即物的なものであった。
さっきまでマコちゃんのお母さんと見てたんだけどと言いながら千晴の母親はビデオテープを再生する。
買い物に行ってくるという母親を見送って、ソファに二人で座った。


真琴の誕生会や海水浴などの懐かしい映像が次々と流れてくる。
映像の中の遙が言葉をする直前に千晴が全く同じ言葉をなぞるものだから、遙はただただ舌を巻くしかない。


「あ、」
楽しそうに解説をしていた千晴が、真剣な顔つきになって画面を食い入るように見始めた。
何事だろうかと遙もそれに倣って画面に目を移す。

幼稚園の帰りに撮られたのだろう、水色のスモック姿の三人が映っている。

『ねぇ、今日ね、ハルちゃんがミカちゃんに結婚しよって言われてたんだよ』
『良かったじゃないの、ハルちゃん。ハルちゃんはミカちゃんと結婚したい?』
コトリ、と首を傾げた遙はしかしすぐに首を振った。

『しない。千晴と結婚する』

子供特有の高い無邪気な声。
その無防備な言葉を聞いただけで、遙はゾワリと背筋を震わせた。


その後、真琴の母親は何やらコメントをしていたようだが、遙の耳には何も入ってこなかった。


「はるか、」
いつの間にか腕を密着させていた千晴は、今まで遙ですら聞いたことのない形容しがたい声音で遙の名前を呼んだ。
バクンッと心臓の音がして、ドクドクと血が一気に身体中を駆け巡る。

自我の無い幼い頃から隣に居ることが当然だった千晴という人間が、まるで生まれ変わって別人になったかのように思えた。



「ずっと昔から遙だけ。俺には遙さえ居れば構わないから……」
切なげに瞳を眇ないでほしい、と遙は頭の端で考える。


自分の気持ちがわからなくなる。

この気持ちが、なんなのか。



遙がふと気付いた時には、しっとりと唇が重なりあっていた。
予想すらしていなかった千晴の行動に呆気に取られてしまい、拒絶もできなかった。

きゅう、と心臓が苦しくなってぐっと自分の胸を掴む遙に千晴は小さく囁いた。
「俺の言う通りだっただろ?遙は、ミカちゃんじゃなくて俺を選んでくれた」
ありがとう、愛してる。
そんな気障なせりふを臆面もなく吐く千晴を見て、遙はぐいっと千晴を押し退けた。


悔しい。
ほんの数分前まではただの幼馴染み兼親友だったこの男に、どうしてこんなにも胸を掻き乱され翻弄されなければならないのか。


あぁ、水に浸かりたい。
遙はぼんやりと考えて、それから負け惜しみのように変わらない事実をこのように評した。

「それでも俺は言ってない」

肩を竦めて、はいはいと遙の気持ちを簡単に見透かして許す男に、遙はぐりぐりと頭を押し付けたのだった。



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遙のお話をとコメントいただいたので書いてみましたが、ハルちゃんのことしか興味ない主人公になってしまいました。
ハルちゃん難しい……。
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