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□氷室
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頭の中で音が洪水のように鳴り響く。
それを吐き出したくて、叩きつけるように音楽ソフトに音データを入れていく。



あ、朝だ。
学校に行かなきゃ。

「……千晴、おはよう。また、朝まで?」
「大丈夫、眠くない」
「今日で何日徹夜してる?」
「……さぁ」
「3日だよ」
「いつもと変わらない」

コーヒーをよそいながら、氷室は千晴用のコーヒーに牛乳をたっぷり入れた。
「少し顔色が悪いな」
「大丈夫、おれは」
「眠らなくても平気だから、ね」
千晴の言葉を遮って続きを言えるほどには耳慣れた文句だ。



千晴は、あまり眠りを欲しない体質だった。
一日に一回でも眠れば良い方で、二、三日完徹なんてざらだ。


寮生が眠っている間、千晴は作曲に勤しむ。
この少し変わった少年は、クラシック音楽界では知らない奴がいたら潜りだと言われるほどに著名だった。
ドビュッシーの生まれ変わりだとかなんとか言われているらしいけれど、そんなことは千晴には関係なかった。
頭の中を駆け巡る音楽を追い出せればそれでよかった。



実は千晴は氷室が苦手な時期もあった。
転入生と同室になるということは必然的に世話をすることになるし、だいたい千晴はあまり他人と接するのが得意ではなかったからだ。

それでも、氷室は澄んだ瞳で千晴の心に入り込んできた。
純粋な心配で千晴の身体を労り、半ば強引にでもベッドへ連れて行った。


氷室の甘く低い声に囁かれ、長く綺麗な指に髪をすかれると、もうだめだ。
とろんと瞼が落ちる感覚を知ったのは、氷室が来てからだ。

氷室の、バスケットボールを持つ手は卑怯だと千晴は常々思っていた。
氷室の指はするりと千晴の頬を撫で上げたかと思えば、甘やかすように頭を撫でる。

胸に何か熱いものが灯って、夢見心地でうっとりとする千晴から、気持ちのいい指がすっと離れていく。




「ほら、千晴」
ぽん、と氷室が座っているベッドの空いているところを叩く。

「眠いならこっちにおいで」
つやつやの髪をさらりと掻きあげて、氷室は逆らう気が起きないほどの綻んだ笑みを千晴に見せる。



「まだ眠くない……」
「でももう3日も起きてるんだろ?ならそろそろ寝ないと」
「まだ曲できてないし」
「寝てからでも間に合うんだろう?」
なぜそれを知っているんだ。


「千晴」
低いくせに甘ったるい声に名前を呼ばれて、千晴は作り途中の曲のことを考えつつもその声には逆らえない。

両手を広げて胸へと誘われたら、後ろ髪を引かれながらも身体は勝手にその胸へと向かってしまう。
そして柔らかく抱き込まれて、赤ん坊のように一定のリズムで身体をぽんぽんとたたかれれば、たちまち瞼は重力に従うのだ。

「寝ない……」
もう夢うつつ気味な声で千晴がぐずると、氷室は何やら囁いたが千晴にはもう聞こえなかった。




「良かった、寝てくれたか」
これで一仕事終えたと言わんばかりにふぅと息をつく。
氷室は日頃から千晴の不眠を気遣っていた。
ひどい隈を作っても一心不乱に楽譜に音符を刻み込む千晴の一生懸命さや、その代わりに睡眠を犠牲にしている姿にどことなく自分と通じたものを感じたからだった。
バスケに熱をあげて、紫原には頭おかしいねと言われても居残り練習をしていた自分と千晴を重ねていた。

違う点は、千晴は音楽の神の寵愛を受けていて、自分はバスケの神にそっぽを向かれているところだが。

ともかく、何かに打ち込むことの楽しさと辛さを知っている氷室は、氷室が部活仲間と交流することでリラックスするように、千晴にも息をつく場所が必要だと考えたいた。
チームプレーが重要なバスケでは仲間が不可欠だが、作曲などの内面から滲み出る何かを形にする作業はたいてい一人だ。

だから、千晴の止まり木のような存在になりたかった。


休憩するように告げるたびにはっきりと嫌悪の表情を浮かべる千晴に負ける氷室ではない。
にこにこと人が良いと言われる笑みを絶やさずに、時には強引にベッドに横にさせたりしているうちに慣れたのだろうか、千晴は氷室に言われれば苦言は呈しても特に抵抗することなく従うようになった。
自分に抱き締められるとすとんと眠りに落ちるようになったことが予想外だったが、猫になつかれたようで少し嬉しい。

無表情でガリガリと楽譜を埋めていく姿からは想像もできないけれど、寝顔は年相応だ。
「たっぷり寝るんだよ」
千晴の髪を手ですきながら、氷室は寝顔を見つめる。
つい我慢できずに額に口付けた。


そうこうしているうちに氷室も眠くなって一緒に寝るのが習慣化してきている。
千晴は3時間寝れば良い方なので、氷室が目を覚ますと腕の中にいることはまずない。
それでも、この温もりはなかなかに手放しがたい。


人の体温は、温かい。
果たして、この体温を希っているのはどちらなのだろうか。
無防備な千晴の大人しい寝顔を見つめながら、氷室もすぐにまどろみに引き込まれていった。


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不思議っ子の不眠設定を生かしきれなかった感が満載です(泣)

桔梗様、リクエストありがとうございました!!
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