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□労働
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胸が痛いなんて考えて、ぽろぽろとこぼれるかと思った涙は、最初の一雫だけだったようだ。
ふぅ、と深呼吸をして、気分を落ち着かせた。
「嫌になっちゃう……」
「本当に不器用だな」
「きゃっ!……コンラート兄上、おどかさないで」
「はは、悪い」
「どうかしました?もうお茶会は終わり?」
「可愛い妹が泣いているのに、放っておけないだろう」
「!……兄上がお守りするべきなのは私ではないでしょう」
「頑固なところはヴォルフラムに似てる」
「グウェンダル兄上にはコンラート兄上に似ていると言われましたけど」
「だって俺たちは兄妹だからね」
口がうまい兄をはぐらかそうとしても無駄だ。

「それで……我慢の限界かい」
「私には、あの和やかな場に居る資格なんかないもの。息がしづらくなって」
「浮かべていた笑顔も無理をしているように見えた」
「グレタが嫌いなわけじゃないわ。可愛らしいし、利発だし。彼女のせいではないの、私のせいです」
「そうだな……問題はハルの中にありそうだ」

私のせいであることは確かなのだけど、それを言われるとぐっとつらくなる。
「私……もうこの城に居ない方がいいのかもしれません。兄上たちやヴォルフと一緒に居たいし、グウェンダル兄上のお仕事を手伝いたくてここに留まっているけれど……これ以上みんなに気を遣わせるわけにはいきませんもの」
「ハル、それは根本的な解決にはならないよ」
「だけど、今は私、自分を抑えられる自信がないんです。苦しいの、大好きな人たちと一緒に居るのに、心から笑えない自分が嫌でしかたない……!」
「それは、陛下のせい?」


こくりと声も出せずに首を縦に振る。
長い息を吐いた兄上が、あの手この手で私を諌めようとしていることがわかる。
「ごめんなさい。でも、嫌いなものは嫌いなのよ」






「ハル。お前は陛下のことが好きなんだろう?」



兄上の予想だにしなかった言葉。開いた口が塞がらないとはこのことだ。
「私の話聞いていました?」
「ああ。お前はヴォルフラムみたいに自分の感情を認めたがらないからな」
「私の日頃の愚痴のどこをどう捻じ曲げて解釈したらそんなことに?」
それはさすがに兄上であってもいただけない。

「俺はハル自身よりハルのことをわかっている自信があるよ」
「なぜ兄上が私より私のことを?」
「それじゃあ、陛下のどこが嫌いかもう一度挙げて」
「……誰にでも愛されて、誰にでも平等に愛する博愛なところ。自分が嫌われていると知っているのに、私に他の人と同じように接するところ。完璧といわれるほど人格者である人間なんてこの世にいるわけないでしょう?そんな人は何を考えてるかわからない。信じられるわけがないわ。みんなに愛されているのだから、私一人にくらい嫌われたって構わないでしょ」
「ほら、やっぱり」
「何がやっぱりですか!ただの陰口でしょう!」
「つまりハルは、陛下を独占できなくて、自分だけに優しくしてもらえなくて妬いているわけだ。大嫌いだと言って気を引きたいのに、それに気づかない陛下に他の人と同じように接されて悔しいと思っている。
誰からも愛される人格者の陛下を認めていて、そんな完璧な人間が自分のことをどう思っているのかがわからない。嫌われたくない。そして、嫉妬する相手はハルの大切な人たちだし、人数も多すぎる。だから、その原因である陛下を嫌いだと思い込むことで、その嫉妬の強さを嫌悪に変えて陛下にぶつけているだけだ」


「ち、違います!」
「じゃあ、どうして陛下と話すのが嫌なんだ。自分が陛下と話しているのに、誰かがすぐに加わってくるからだろう?」
違う!と叫ぼうとして、ハーブ畑で彼と出会ったときに、憂鬱になったことを思い出す。
あの時私は何と思った……?

『早くどこかに行ってほしい。そうしないと、また誰かがやってきてー……』
『ああもう、何なの!ギーゼラとずっと喋っていればいいじゃない』

軽食の乗ったトレーを持とうかと言った彼に、
『私なんかに優しくしないで、他の子にすればいいのに』

陛下のお国のお菓子なんですよと笑ったエーフェに、
『陛下。へーかヘーカ。この城の者は本当に彼が好きらしい』

お茶会の場で私が暇をつげたら、
『え、と目を丸くした双黒にまた機嫌が急降下。あなたのせいなのよ』




『みんなが、心から嬉しそうに笑っている。
私は、自分を偽って笑っている』






『あ、もう笑えない』
笑顔の仮面の下には溺れてしまいそうなほどの涙がこぼれていて、それが決壊しそうだった。いや、したのだろう。あの一雫の涙が。
飲み込み切れなかった一雫だけが、こぼれてしまったのだろう。




「っく……ふ、っ」
感情と比例して異常なほど流れ出る滂沱の涙は、飲み込むことすら疲れた涙なのだろう。
私を引き寄せた兄上は、温かく力強い腕でしっかりと抱きしめてくれた。
この行き場のない涙を全て吸い取ってくれるつもりなのだと思った。
「好きなんかじゃ……ないわ」
好きなわけないのよ、私が陛下を。
だって、こんなに嫌いなことがたくさんあるんだから。

「みんっ、な、に平等に、向けられる笑顔が、だ、だいっきらい!無条件に優しいところも、み、んなの中心でっしあわせそうにしてるのも、大嫌い」
だってそれは、私だけに向けられる特別じゃないもの。
「っく、だ、だっれにでも、いいかっこ、して、もっと、人から好かれるのがっ、だいっきらい!」
だってそうしたら、あなたはもっと私のことを見なくなるもの。

「私と話してるのに、他の人と話すところが大嫌い!他の子にしていることを私にされるのも嫌い!私が嫌いって言ってるのに、怒りもせずへらへら笑ってるのが嫌い!私のことを嫌いになってくれないのが一番一番大っ嫌いよ!!」
嫌いになってくれたら、私はこんな苦しみから解放されるのに。
大っ嫌いを連発した私は、上流階級の人間としてはあるまじき行為ではあるけれど、声をあげて泣くということを初めてした。



「っく、ふぅっ……」
兄上の軍服に吸い込まれた、私の捻じ曲がった想いが込められた声と涙は、きっと兄上以外には聞こえやしないから。
今だけは、素直な自分になろう。そう思って、私は長い間、兄上の腕に抱かれていた。
長い時間をかけて嗚咽が収まりかけたころ、私はずっと考えていたことを兄上に告げた。

「私……もうここには居られません。魔王陛下を嫌う臣下は悪評を呼ぶだけです。ビーレフェルトに帰りたいのです」
「ハル、それは……」
眉をひそめた兄上だが、私はもう決めていた。

「もう遅いでしょう?あんなにところ構わず嫌い嫌いと言っているのに、今になって……なんて、迷惑でしかありません」
「さっき言ったことを、陛下に伝えればいい。そうすればー……」


「ユーリ、いつになったら休憩が終わるんだってグウェンが怒ってるよー!」
「ちょ、グレタ、しーっしーっ!声大きいって!」
「えー?ユー、むぐっ」




今の声……まさか。



ひく、と違う意味で喉を鳴らした私に、兄上はくすくすと笑った。
「もしかして、気付いていたんですか?」
「これ以上、二人の悲しそうな顔は見たくなかったからね」
「何だか馬鹿らしくなってきたというか……」
「これで、ビーレフェルトに戻る理由もなくなったな。もう知られてしまったんだから」


私以上に人の悪い笑みで、悪びれずにそう告げる兄上には、一生勝てないと思った。
「こんな意地の悪いことばかりやっていると、本当に嫌いになってしまいますよ!」
仕返しにそういって、涙でびしょ濡れの胸から離れると、声のした方へ歩いていく。

まだ盗み聞きがばれていないと思っているんだろうか、むぐむぐと言っているグレタを抱えた彼が、声が聞こえなくなったことを疑問に思い、こちらにほんの少しだけ顔を出した。
そして、至近距離に居た私と目が合い、飛び跳ねて転げた。

「わぁぁぁぁ!!」
「魔王陛下?」
「は、はい?」
尻もちをついた陛下は、先ほどの告白まがいのものに顔を赤くしていいのやら、盗み聞きがばれたことに顔を青くしていいのやらわからないといった顔で目を泳がせた。

「私、盗み聞きする人は大っ嫌いなんです」
「あ……はい、すみません」
「どこから聞いていました?」

もう全て暴かれた身だ。今更、本当に嫌いだと取り繕う気も、いきなり態度を変えて好きだと告げる気もない。
弱み(?)を握られたのは私のはずなのに、今は私の方が優勢なのはなぜなんだろう。

「えーと、コンラッドが話しかけてから、デス」
「全部ですね」
「……ハイ」
「………」
「………」

しばらく無言の圧力をかけて、降参される直前に言ってやった。
「あの、」
「先ほどの会話の通りなので、よろしくお願いしますね」
「ハイ……って、え?何を?」
「みんなに平等に向けられる笑顔も、私と話している最中に他の人と話すところも……ああそう、私のことが嫌いな陛下も、大嫌いですから!」
もうどうにでもなってしまえ。
コンラート兄上の特技の爽やかスマイルで、そう言って優雅に彼の横を通り過ぎる。


「ユーリ、どういうこと?やっぱりハルはユーリが嫌いなの?」
「………」
「ねー、コンラッドー?どういうことー?」
「つまり、ユーリがハルのことを好きになってくれないなら、ハルはユーリのことを嫌いになってしまうってことだよ」
「それって、ハルはユーリのこと?えーっ、まさかー!だってさっきのお茶会まで絶対ユーリのこと嫌いだったのに!」
「心の中では違っていたっていうことだよ。それより陛下、ハルの笑顔にみとれていないで、立ってください」
「あ、うん……って、えええええええええええええ!?ハルが、お、おおおおおれのこと!?すすすすすすきぃぃぃ!?」



彼の人生の中でも一番に大きかったその声は、血盟城どころか魔族の土地の隅々まで響き渡ったとか響き渡ってないとか。

(え、好きって、どういう意味だっけコンラッド!?)
(嫌いの反対じゃないですか)
(じゃあ嫌いってどういう意味!?)
(好きじゃないって意味ですよ)
(好きじゃないって……)
(もう、ユーリうるさい!好きっていうのは、ユーリがハルに思ってる気持ちだよ!そんなのグレタにだってわかるよー!ダメなお父様!)

>>>>
みんなに愛されてるユーリが好きなのに、ひねまくってユーリが嫌いだと思っちゃう主人公を書きたかったんです……!
ユーリとガチバトルさせようと思ったんですけど、長くなったのでやめました。

でも主人公がマジ切れして、
「顔も見たくないし声も聞きたくないので、挨拶もしてくださらなくて結構です」
「そこまで嫌なら、極力会わないようにするけど……何かあったら絶対ハルを誘うし、廊下で会ったら挨拶もするよ」
っていう頑固ユーリを入れたかったんですけどね!
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