短編2[BL]
□黒磯
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「ジャンプ?」
「違いますよ。ジャンピングです。茶葉の中から美味しさを引き出すために、まずしなければならないことです」
「ほうほう」
「茶葉をしっかりと開かせることが大切で…って聞いていますか?しんのすけ様」
ポットの中で茶葉がのびのびと動くことが、しっかり開くのに大切なことなのだ、と動く自分の言葉とは正反対にしんのすけは湯気ばかりを眺めていた。
「聞こえてるぞ」
「そうですか、それには注ぐ湯が空気をたくさん含んでいて高温であることが…しんのす、」
「俺、黒磯さんからは何も奪えなかったぞ」
「…聞こえてたのですか。ああ温度ですが100℃の熱湯じゃなくてはいけません」
「黒磯さん」
黒磯は自分の放った言葉の意味さえも知らないフリをしたかった。だって、貴方はズルイじゃないですか。
心を奪い、感情を奪い、そして大切なお嬢様も奪い。何もかも。いや最初から私には何もなかったのかもしれない。
今、此処で好きなのですと伝えても貴方なら笑い話にしてくれるのでしょうか。お嬢さまを大切にしてくれと頼んだのは自分なのに。
そんな歯痒さと悲しみから黒磯は知らず、自分よりも、まだ幼さを残すだろうしんのすけの手を握りしめていた。
「…貴方は、私の欲しかったものを全てお持ちですよ。私が影なら貴方は太陽です」
「そんなことないぞ。俺はまだ黒磯さんに教わることばかりでしょ」
「そんなことは」
「紅茶の美味しい入れ方、まだ途中だぞ?次はどうするの」
にこり、微笑んだしんのすけに黒磯は自分が目の前の紅茶のようにいつか飲み干されてしまうのではないかと思った。
まだまだ恋を語る男でもなければ大切な人の恋人を盗むこともできない小心者で、でも愛されたい願望は人並みだ。
「お嬢さまを宜しくお願いします」
「…はは、黒磯さんってばお父さんみたいだぞ」
けれど好きな人の幸せを願うだけの馬鹿な男がいたことを今はカップに融け込んでいく紅茶のようにいつか甘さと少しの苦味で笑い話になればいいと思うのだ。
end.