短編[BL]

□拍手文SS
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<しん←あい+黒磯>



雨の音は貴方の心臓の音に似て、声に似ている。

とても、とても悲しいですわ。




「お嬢様、髪を切られないのですか」

「…ええ」

「ですが」

薔薇の浮いた、浴槽に浮く黒い髪の毛を黒磯がくしで梳く。もう何年も続いている光景に感謝の言葉も出なかった。

黒髪が自分にどれほど似合うか、よく理解している。だからと言ってそれが、のばし続けているわけでもない。


ただ、昔。あいのことを可愛いとも好きだとも言ってくれなかったあの人が一度だけ、褒めてくれたからだ。

「あいちゃんの髪はとても綺麗だと思うぞ」

「しん様は長い髪の方がお好きですの?」

「…好きだぞ」



今に思えば、しん様にとっては珍しくも無いお世辞だったのかもしれない

それでも、嬉しかった。嬉しくて死ぬかと思った。しん様の指があいの髪に触れることが何よりも幸せだった。


「お嬢様、目を閉じて下さい。泡が目に入ります。痛いですよ」

「…分かってますわ」

綺麗だと言われた髪を今も、大切にしているなんて。黒磯にも母にも一度切ってみてはどうかと言われたのだけれど。

それでも首を縦に振ることができなかった。誰かに芸術品のように綺麗だと褒められても嬉しくはないのに。

「しん様に会いたいですわ、黒磯」

「いけません。会ってどうするのですか」

「…どうもしませんわ。ただ、またあの指が触れてくれれば」

「お嬢様」

黒磯の、大きな指が髪を掬う。あいを守ってきてくれた好きな手だ。

でも一番、触れて欲しいと思うのは、いつだって一人だけ。

「…っ、しん様」


黒磯の指先が離れ、自分の髪を見れば所々痛んだ毛先が目に飛び込んできた。しん様が褒めてくれたのに。

心は雨の音に似て、しん様の声に似て、涙だけがゆっくりと落ちていく。


綺麗だと、たった一つ褒めてくれた髪も、心のように痛んでしまう。悲しくて切なくて。

それでも、しん様が褒めてくれたときから、あいの心臓(髪)に刃物が触れたことはない。

傷つけもしないで


end.
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