ブラッディクロス

□二章
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   第二章 月と獣と踊る


 日はいつの間にか沈んでいた。夜の帳が世界を覆う。目の前にあるのは太陽の忘れ物のような存在。暗い中でもその赤はよく目立っていた。彼女、カリナはこちらに微笑みかけている。
 僕はただその微笑みを見ていることしかできなかった。
「……ねえ、このままだと私すごくまぬけに見えるんだけど」
 手を差し出したままの格好でカリナは少し不満そうにそう言った。
「あっ、えとその、ごめん」
 すぐに謝る。だが、手はどうしても動かなかった。それはおそらく戸惑い。知らないことを話す彼女への、そして自分の心がなぜか落ち着かないことへの。
 彼女の印象はどこか強烈でありながら曖昧でこちらを惹きつけるような魅力があった。おそらく一度惹きこまれればもう脱出できないような。
 それが、なぜだかとてもなつかしく思えた。
「うーん、まあ不審に思うか。今のところまだよく知らない人だからね、私」
 そう言って残念そうに手を引っ込める。
「とりあえず接触はできたからよしとしましょう」
 自分を納得させるようにそう言い腕を組む。なんだか僕が悪いような気がするのは気のせいだろうか。でもしょうがないじゃないか。見ず知らずの人にいきなり挨拶されれば誰でも戸惑ってしまう。
「えっと、カリナさん?」
 自分でそう言ってひどく違和感を覚えた。
「カリナでいいわ」
「あ、じゃあカリナ」
 今度は、違和感がなかった。
「僕に、一体なんの用?」
 僕はカリナと初対面だけど、向こうは僕のことを知っている。そうでなければ話しかけてこないはずだ。そして、話しかけてきたとすれば何か用事があるはずで。
「あなたに伝えないといけないことがあるの」 
 カリナはやはり僕への用事を語る。瞳に真剣さが宿っていた。その雰囲気に目を逸らすことができない。
「伝えるって、何を?」
 その様子に只ならぬもの感じ、出た声は少し震えたかもしれない。今のところ彼女は予想外の存在。一体どんな内容なのか全くわからない。
「よーく覚えておいて」
 ぐいっと顔をこちらへと近づけてくる。目と鼻の先、お互いの息遣いが感じられそうな距離。それに思わずどきっとしてしまう。しかしそれもカリナの次の言葉で吹き飛んだ。
「あなたは狙われている」
 本当に予想外。その言葉の意味を理解するのに数秒かかった。
「……僕が、狙われている?」
 嘘でも冗談でもないように彼女は真剣にそれを伝えてきた。狙われているって僕が? 誰に? 知らない誰かが僕の命を狙っているとでも?
 疑問が頭の中で渦巻いていると、それが表情に出ていたのか彼女は少し考えるような仕草をみせた。
「話すと長くなるし、それに今のあなたには理解できない話になるでしょう。だから、この場はとりあえずそのことだけを伝えておくわ」
 身を引いて早々とそう伝える。その返答にますますわけがわからなくなる。
「いや、そんなこと言われても。詳しい内容もわからないままじゃどうしたらいいのか……」
 カリナの話には具体的なものが何一つない。ただ狙われているとしかわからない。それすらも信じられるような話ではないのに。でも、僕はそれが真実であると、なんとなくそう思った。
「内容を受け取れない人に内容を伝えても無駄。それには全く意味がないから」
 どうやらなんと言っても説明する気はないようだ。その明らかな拒絶に次に言おうとした言葉が出なかった。
「まずはその身で実際に経験してみることね。だから、気をつけておきなさい。もう、すぐそこまで近づいているはずだから」
 言いたいことは言い尽くしたのかくるりと背を向けて歩き出す。薄暗い中、赤い髪がゆらゆらと揺れ動いているのを僕は黙って見送るしかなかった。カリナの姿が闇に完全に消えるまで、僕はずっと立ち尽くしていた。
「一体、どういうことなんだろう……」
 彼女の姿が消えてから一人呟く。それに答えるものは誰もいなかった。
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