story

□白緑
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「人間は桜を染めるのかい?」

僅かに首を傾げながら尋ねてきた大妖の髪が、風にたおやかに流れる。目元にまばらな陽を落とす木漏れ日が優しげに揺れた。

突拍子もない問いに、一瞬だけ思考が止まる。ザワザワとざらついた音を奏でる木々が、葉を数枚散らせた。胸中に黒い波紋が打たれ、静かに彼から視線を落とした。同時にその視界には萌ゆるような緑が映る。法衣を思わせる着物に袖を通した腕には、小さな樹妖が抱かれていた。季節が一つ分前の冬に、挿し木したものが上手く育ったものだ。小さな樹妖のボサボサの深い緑の髪は、深く茂った森を思わせる。この子もまた偉大な樹妖へとなるべく生まれたのだろう。時折髪の間から覗く青い瞳が、私をとらえた。

「ああ、露草…起きたようだね…」
「もうずいぶんと前から起きてましたよ」
「おや…そうだったのか」

言いながら穏やかに目を細め、大妖は腕の中の樹妖を撫でた。天座と恐れられても大蛇の妖、獣妖だ。獣に元来から備わる子に対する慈愛や守護本能は、等しく彼にも当てはまるのだろう。ぼんやりと二人の姿を眺めていれば、彼は視線を露草から私に戻す。そして再度彼は同じ問いを、少し語彙を足して同じ抑揚で口にした。

「人間は、その血で桜を染めるのかい?」
「…血では、語弊があります」
「では死体?」

細められる金色の瞳が不穏に揺れた。知識に貪欲な獣の目だ。一体どこでそんな情報を仕入れたのか、桜の樹妖である私に彼は問いかける。その腕に抱かれた樹妖はつり上がった目で、私を不思議そうに見た。
自然に起こる事象の全てを、怪奇的なものにすべきではないと思う。確かに桜とは代々神木として扱われることが多いが、そこには根元に死体が眠っているなどそうそうない。桜の花が薄紅色に染まるのは、桜を桜たらしめる現象であり、怪奇でも何でもないのだ。
小さく吐息をついてからそう返す。すると彼は少しだけ眉を下げて「つまらないな」と子供じみた返答をした。

「あれほどに人を惑わす妖花はなかなかないのに…」
「それは先入観というものですよ。桜に対するただの思い込みだ…。」
「……」

再び風が流れ、木々がざわめく。彼の長い爪が、赤みの強い樹肌に触れた。まるで血を滲ませたような樹木の肌は、不気味で妖艶な冷たさと鼓動を孕んでいる。薄紅色の花弁が数枚宙に舞い、彼の髪にふわりと落ちた。

「お前の花弁は白すぎないかい?桜はもう少し色付いていても良いだろうに」
「…私はこれでいいのですよ」
「何なら私が人の子の一人や二人連れてくるのに」
「それで花弁を染めろと?」
「実に綺麗じゃないか」
「人間の血は貴方と同じく私も嫌いなのですがね…」
「では何がいいかな…」

顎に手を当て考え込む彼の仕草に苦笑を零した。腕の中にいる露草がそんな彼へと視線を向ける。しかしその青く大きな瞳は間をおいて私に向けられた。小さく首を傾げて、高く細い幼子特有の声が言葉を紡ぐ。

「おまえ、きたないのか?」
「!」
「にんげんのちは、きたないんだぞ」
「…そうですね」
「きたないのに、きれいなの?」

矛盾を口にするその瞳に邪気はない。笑いながら花弁を数枚、その子の頭に散らせた。

私は果たしてどちらなのだろう?

気付いた時にはそこにいた。樹齢100を越えた樹木に宿った意志は、それ以前の記憶を持たない。漠然と四季の色を覚えているだけなのだ。私の体を、墓標にした人間は過去にいたのだろうか。花は白くとも樹肌は赤を滲ませている。果たしてこの赤はどこから来たのだろう。

「その時がきたなら、私がお前の色になろうか」
「…あと何百年先の話やら…」
「フフ…枯れてはいけないよ…」
「それはそれで無理な要望でしょう。」
「心配はない…私が毎年こうして会いに来るから。」
「!」
「寂しさで枯れてしまわないように、会いに来るから安心するといいよ…」
「……」

ざらついた樹肌を、冷たい手のひらが撫でる。露草もそれを真似するように私へと手を伸ばした。風に吹かれるがままに花弁を散らしていく。枝を揺らし花を咲かせ、私はあとどれくらいここにいられるだろう。生きる以上いずれこの身は風化し朽ち果てる。それまでに、あと何度花を咲かせられるだろう。あと何度、この人は会いに来てくれるだろう。

静かに額を寄せて、彼は目を閉じる。そしてただ小さく、低い声で言葉を紡いだ。


「お前は綺麗な桜だよ…」












(だからどうか、そんな哀しげに咲いてみせるな)






20100328

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