story

□サソリ
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※現代パロ


「あれ、誰」

鼻孔を突くやたらと甘ったるい匂いに眉をひそめた。おそらくほんの少し前まで女でもいたのだろう。キツい香水の香り。気持ち悪くなりそうな空気に猛烈な嫌悪を抱いた。ベッドの上で気だるそうにこちらを見る彼を一瞥して、窓を全開に開ける。身にしみるような冷気が全身に絡みつくが、特に気にはならない。こんな悪趣味な匂いを部屋に充満させるより幾分ましだと思ったのだ。
ベッドの上でだらしなく横になっていた彼が起き上がり、低い声で「閉めろ」と呟く。

「寒いだろうが」
「臭い」
「ああ?」
「悪趣味な匂いだね。気分が悪くなる。」
「知るかよ」
「気持ち悪い。こんな匂いが充満した部屋にいるなんて拷問だ。」
「人によるだろ」

そんなの知るか。開け放たれた窓の向こう側を眺める。寂れた灰色の空は鬱々と佇んでいた。そしてやたらと派手な格好をした女が歩いているのが見える。ああ、先ほどまでこの部屋にいたのは彼女か。

昔からそうだ。
彼は女遊びが酷い。来る者拒まず、去る者を追わず。それがまた相手にとってもよほど都合がいいのだろう。皮肉にも容姿が綺麗な彼は異性をそれこそ好きなだけとっかえひっかえ遊んでいる。

いい例がソファーに座ると角度からか必然的に視界に入る写真立てだ。それには普段なら彼と見知らぬ女が映されている。少し前まで、来るたびに写真に映された女は変わっていた。あの写真の中は彼が女を変えるたびに変わっていたのだ。

しかし何の気まぐれなのか、ある日を境に写真は変わらなくなった。ここ最近はずっと同じ女がその写真の中に居座っている。今までの女の写真は皆、さっさとゴミ箱に捨てられ灰になってしまったというのに。だからといって彼がその写真の女を一途に想って付き合っているというわけではない。それはこの部屋に充満している香水の匂いが示唆している。
窓から離れてソファーに腰を下ろす。冷たい風に一瞬だけ身震いした。そしてふと視界に映ったものに、私はいつも虚しさを覚えるのだ。


「意味がわからない」

部屋に流れていた冷たい空気がピタリと止む。振り返れば窓の前に先ほどまでベッドの上にいた彼が立っていた。どうやら窓を閉めてしまったようだ。まあ、先ほどまで匂いは酷くないからいいか。どこか怒った様子で佇む彼を視界にチラリと映す。

「何」
「人の家来て好き勝手やるなよ」
「すいませんね」
「あんまふざけると女でも容赦しねえぞ」
「ふざけてるのはどっちさ」
「あ?」
「いい。何でもない。帰る」
「意味わかんねえ」
「……」

言った彼を一瞥する。わからないのはこっちも同じだ。なるべく彼の顔を見ないようにして私は玄関に向かう。形だけの見送りのつもりなのか、後ろから彼が付いてきたが敢えて振り返ろうとはしなかった。綺麗に並べてある自分の靴を履く。やたらとしんとした空間に嫌気すら覚えた。私も彼も、互いに口を開こうとしなかったのだ。しかし沈黙に包まれた空間を唐突に彼が破る。

「おい」
「!」
「奪ってみせろよ。臆病者。」
「は…」
「ストーカーみたいにつきまとうんだったら堂々と奪えよ」
「自惚れないでよ」
「テメェこそ」

この臆病者。
ドアをさっさと閉めて彼との空間を遮断した。
寂れた空の下を自宅を目指して歩いていく。そんな中、彼の臆病者≠ニいう言葉が何度もリフレインした。腹の中からふつふつと熱が湧き上がる。嗚呼、気持ち悪い。

でも確かに私は臆病者ものかもしれない。欲しいものも、好きなものも、自分から取りに行ったことがない。それは物理的なもののみならず恋という曖昧なものに置いてもだ。常に周りに流され、渡されたものを受け取り、取り上げられたものを諦めるだけだった。
彼だってそうだ。私は彼も諦めたのだ。
手に入りそうにもないならと、求めることをやめたのだ。

奪ってみせろよ、臆病者

しかしその日に限って嫌にその言葉が思考に纏わりつく。私に根付いた概念を、ねじ曲げようとでもいうのか。
焼き付いてその言葉が離れない。

(奪う。奪う。私が。)

脳裏によぎる彼の部屋。そこにあった、私と彼が映った写真。無意識に携帯を取り出し、私は電話帳から彼を探した。そして明日の夜、近くの公園で会うことを約束したのだ。



***



キイキイと夜風に吹かれてブランコが揺れた。首に巻いたマフラーに顔を埋める。風が身を切るように冷たかった。
ポケットにある携帯を見れば、約束した時間まであと2分。正直彼が来るという確信はなかった。
…5分待っても来なかった場合は帰ろう。静かに念じて目を瞑る。もちろん彼に言われた奪う≠ニいう言葉も忘れるつもりだった。

ふと息を吐き出して、空を眺める。硝子を砕いて散りばめたような空が、冷え冷えと広がっていた。


「よお」
「……!」

聞き慣れた声に心臓が跳ねた。ジャリッと靴音が聞こえて、息を飲む。ゆっくりとそちらに視線を向ければ、赤い色が揺れた。

「来たんだ…」
「お前が来いって言ったんだろ。」
「そうだね」

寒さからか、ポケットに手を突っ込んだ彼はゆっくりとこちらにやってくる。私はそれに手のひらをギュッと握り締めた。

「私、ずっと考えてた」
「……」
「ずっと、どうすれば手に入るのかって」
「ほお」

彼は私の目の前で立ち止まる。私は少し高い位置にある彼の瞳を見上げた。暗がりの中、彼の琥珀の瞳が揺れた気がした。

「だからもう、……!」
「……」

言いかけた言葉は彼の突然の行動により遮られる。不意に体が傾いたのだ。同時に暖かさに包まれ目を見開いた。背中に回された腕に体が震える。一瞬だけ呼吸を止めて、ゆっくりと吐き出した。

「譲らねえ、か?」
「……」
「オレも、譲らねえよ」

ギュッと抱きすくめられ、目を閉じる。そして私は彼の背中に腕を回し、手のひらに握り締めたカッターを握り直した。
逆さ手に持ったその刃を彼の背中と垂直の位置に合わせる。


「私も、奪うし誰にも譲らない」


私がカッターを彼の背中に突き立てる時、彼も同時に私の背中にナイフを突き刺した。







(刹那的心中)




20100211

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