おはなし

□落日の来訪者
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立ち止まったら終わりだと、本能が警鐘を鳴らす。もうどのくらい走っているのだろう。それはそれは気が遠くなるような時間だった。がむしゃらに進む道は薄暗く、見慣れたはずの近所の街並みは死んだように静まり返っている。
これは、夢だ。
有り得ない光景、有り得ない状況、有り得ない空間。そうだと理解するのは容易く、けれどもいつまでたっても私の頭は覚醒しない。一種の生き地獄か。余裕なんてあるはずもないのに、唇からは自嘲が零れた。

「ほら、笑ってる余裕なんてねえだろう?」

ああ、死神の声が聞こえる。振り返るな、振り返るな。念じる言葉は一つ。生き物に備わった生存本能が悲鳴をあげる。しかしそれも虚しく、私の体はピタリと動きを止めた。同時に首筋にひやりとした鋭い何かが触れる。プツリと音を立ててそこには何かが突き刺さり、体の熱が急激にそれに奪われていった。

いつも悪夢は、ここで終わる。






「………」

うっすらと瞼を持ち上げる。大量の光が視界を飲み込み、その眩しすぎる明るさに思わず再び目を閉じた。…そういえば今日は土曜日だったか。まだ寝てても大丈夫だな、なんて息を吐き出しながら寝返りを打つ。それから私が再び目を覚ましたのは、一時間先のことだった。





「よ、また来たのか」
「まだいたんだエセ神父」
「んだとテメエ!」

秋の柔らかな日差しが差し込む教会の広間。時計の針は14時を指していた。毎週土曜日、私は家の近くの教会に足を運ぶ。とは言っても信者だとかそういうのじゃない。ただ単にここの教会の神父とは顔見知りだから、という暇つぶし程度の話なのだ。

「ったく、本当に口の減らねえ女だな。そんなんじゃ男なんかできねえぜ。」
「頭が足りない飛段神父には言われたくないでーす」
「ハッ!テメエみたいな無神論者は今晩辺りにハロウィンの仮装した本物の化け物に食われちまいな!」
「あんた何歳ですか」

盛大にため息をつく。まったく、どんだけ幼稚な発想ですか。近くの椅子にドスンと腰を下ろして、意味もなく天井を見上げる。視界の片隅にはステンドグラスの鮮やかな極彩色がチラついた。

「…飛段神父、」
「あ?」
「本当にいるんですか?」
「はあ?何が」
「だから……、…その、人間じゃないもの?」
「何言ってんだお前」
「だって神父さんでしょう。信じてるんですか?」

お化け、とかを。
むくりと起き上がりながら彼を見る。すると彼はうーんと唸りながら眉を寄せた。

「さあな。神は信じるが化け物は知らねえ。」
「何ですかそれ」
「仕方ねえだろ。見たことなんかねえし」
「はああ…」

頼りないやつ。椅子から立ち上がり、ゆっくりと入り口に歩き出す。

「なんだ。もう帰るのか。」
「まあ、」
「……おい」
「?」
「お前、気をつけた方がいいぜ」
「はい?」



人間って餌になりやすいから



何、どういうこと。不意打ちに近い感じで言われたそれにゾッとした。足元を見つめながら帰路をたどる。その途中何度も脳裏にその言葉がよぎり、思わず眉をひそめた。

「!」

あれ…?
ふと、自分の進行方向に人影が見えて顔を上げる。フードを目深に被り、壁に寄りかかっている姿は細身ながらも男性のように見えた。歩を止めず進めていれば、必然的に縮まる距離。見慣れない人。すれ違い様にチラリと横目で見れば、派手な赤い髪と琥珀色の瞳が覗く。

「……あんた…」
「!?」

同時に紡がれた言葉にビクッと体が震えた。それに一瞬足を止めて振り返れば、琥珀の瞳と視線が合う。
するとつり上がる、彼の口端。

「……っ!」

反射的に走り出す。何あれ、何、あれ。一体何。背筋を氷塊が滑り落ち、血の気が引いた。まるであの悪夢の再現じゃないか。ただまだ陽の高い昼間という事実とすれ違う人々のおかげで、かろうじて安心できる何かがあった。がむしゃらに走って家に辿り着いたところで、やっと呼吸が落ち着いてできる。

「はあ…」

何なんだ。一体。何なのあの人。呼吸を整えるために数度深呼吸をしてから、リビングに向かう。走ってきたせいか喉が乾いた。コップに水を注いで一気に飲み干しては椅子に座った。

「教会なんか行くんじゃなかった…」

変な夢は見るし気味悪いことは言われるし変な人に会うし。おまけにカレンダーの日付はハロウィン当日。ただの子供たちの楽しいイベントのように思えるのに、何だか13日の金曜日並みに薄気味悪い。これも全てあのバカ神父のせいだ。深くため息を吐き出してはソファーに向かい倒れ込む。とにかく今さっきあったことを忘れたくて、ギュッと目を閉じた。それから私が眠りに落ちるまで、そんなに時間は必要なかった。





次に目を覚ましたのは、真っ赤な夕陽が部屋を染めているときだった。時計は5時を指している。…寝過ぎた…。急いで夕飯の支度をと思い、慌てて起き上がった。

瞬間。

「は…?」

え、何これ。どういうこと。
ゾッとした何かが背筋を這い上がる。途端に襲ってくる恐怖に息を呑んだ。赤い夕陽に照らされ、いるはずのない赤い髪の彼が佇む。意味分からない。愕然と突如として部屋に現れた彼に恐怖の視線を向けた。

「け、警察呼びますよ!」
「…ふうん…?」
「なんなんですかアナタ、一体どこから入って…」
「クク…」
「……っ」

ニヤリと笑むその表情。それに恐怖のあまり鳥肌がたつ。逃げないとマズい。訴えかける本能に反射的に踵を返した。刹那。

ドサッ

「!?」
「……」

不意に傾いた視界。目の前には天井とあの男の顔が映る。ちょ、ちょっと待って、本当にこれヤバいって。混乱する思考の中、唯一残っている防御本能で抵抗を試みる。しかしビクともしない男の体は、容赦なく私の体を床に押さえつけた。そして。


「……!!」


見下ろす彼の口元が開く。そこからは、鋭利に輝く尖った犬歯が覗いていた。



/後編へ続きます!

2009104
 

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