草書

□憐愛
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『イヅル…こっちきぃや。』

はっと我にかえった。耳元で聞こえる筈の無い幻聴、ある筈の無い温もり…。

ほんの何時間前まで感じていた霊圧が今は欠片も感じられない…。

ずっと傍にあると信じていた。たまに冗談混じりに呟かれた戯れ…『ボクの嫁さんになればぁ?なぁ、イヅル?』

軽く流していつも終わっていた会話…隊長、僕はホントは凄く嬉しかったんです…。あの時、『はい。』と答えていたら何か変わっただろうか…。

松本さんは『ごめんな』って言われたのに…。僕は、僕には…。 これは嫉妬なんかじゃない!松本さんは悪くない!彼女だって置いて行かれた…。
 …じゃあ僕は…?
醜い自分の思考に、頭を抱えて俯くと今にも市丸隊長が頭を撫でてくれそうで『嘘やん、ゴメンなぁ〜』って抱き締めてくれそうで…。
「…でも僕には何も残してくださらなかった…。」
松本さんには絶対ワザと捕まってまで別れの言葉をかけたのに!
…僕は情けない事にその場にいる事すら許されなかった。

何故!何故ですか?隊長…。『おいで、イヅル』っていつものように言ってくれれば、僕は喜んでついて行っただろう!何を棄てても、ただ貴方への忠誠心だけ持って!
「はぁ…。」
意味の無い後悔から今日何度目かの溜め息を吐き、僕は自分自身をゆっくりと両手で抱き締めた。

市丸隊長がしてくれてたように…右手で首筋をなぞり、左手は腰をキュッと掴む。

さっきまでの悲しい想いを拭き消すように、丁寧にあの人の愛撫を思い出す。バカな事をしている自覚は充分あるのに止められ無い…。

せめて市丸隊長を思い出したかった。何も残されず、最後の瞬間まで一緒にいれなかった自分。
誤魔化す為だけに、彼の手を思い出しながら自分の左頬に右手を添えたらまるで市丸隊長と口づけをする直前みたいで胸の辺りがキュンとした。
「あ、あぁ…。」
頬に添えた右手の親指で唇をなぞれば、もう彼で頭がいっぱいになった。

自慰なんてした事も無い。気が付けば、彼に全てを仕込まれていた。なのに…あぁ、瞼に口づけてくれない!あやすように背中を撫でてくれる手も!何よりすがる胸元も!
 悲しくなんて、無い…。悔しいんだ!隊長は僕を裏切った…。なのに…なのに!何故まだこんなにも愛しいのか!

「…っ、くっ…。」
食い縛った口元にしょっぱい雫が落ちて来る。…止めどなく溢れた雫は頬を濡らし余計虚しくなる。
「い、市丸隊長ぉ…」
泣き叫びたい!僕には何も無い!

だからせめて思い出したいのに、どうしても一歩が踏み出せない。自分で慰めるという行為に及べない…。

『イヅルぅ、ボク以外に触らせたらアカンよ、もちろん…イヅル自身もな…?』そう言って優しく捕まれた感触を此処が覚えているから…どこまで僕はあの人に囚われているのか…。

少し反応している自分自身と、右手を交互に見る。
「…市丸隊長…。貴方じゃなきゃ、ダメなんです…。」

パタタッと右手に落ちた涙をぼんやり眺めた。

イッてもいないのに虚しさと脱力感に襲われ、そっと体を畳に横たえた。
「市丸隊長…。」

それしか呟く言葉を持たない自分。何故こんな自分を置いて行った!
いなくなるんだったらあんなに愛されてる錯覚を植え付け無いで欲しかった!
「市丸隊長…何故、置いて行ったんですか…?
…僕はもう、っ…貴方にとって、い、いら、ない、存在に…っく。」
本格的に泣き出しそうになった、すぐ傍でいきなり人の声がした。
「…イヅルぅ…こら、参った。」

「…は?」


感極まって呟いた言葉に返事が帰って来た…。
「はぁ?隊長?!」
あんぐりと口を開けた僕に近づいて隊長は、頭を撫でる。

「いやぁ、遅うなってゴメンなぁ、思うたより入り込むの難しくて…。」

でも来たったよ〜と、満面の笑みで僕に話かけてくる。

…え?この人、出てったんだよね…?
さっきまでの深刻な雰囲気を一掃する様に隊長に抱き締められた僕は、状況についていけずとりあえず目の前の糸目の鼻を摘まんだ。
「ちょお、何すんの、痛いやん、イヅル。」
摘ままれた鼻を振りほどいて瞼に口づけて来た…この人は…。
「ホントに隊長…?」
恐る恐る相手の首に手を回し、キュッと抱きつく。それに気を良くしたのか、よいしょと僕を膝の上に抱えあげ、更に深く抱き締めてきた。

「そや〜、もうちょいでイヅルのヤラシイとこ見れると思て楽しみにしてたのに…。」
泣くんやもん、と僕の唇を啄むように何度も吸ってまた頭を撫でた。
「…見て、たん、ですか?」
…疑問も全て吹っ飛ぶ位の衝撃が走った。…あの一人よがりな行為を…見てたのか?は、恥ずかし過ぎる!

「酷いじゃないですか!隊長!」

熱い顔のまま怒りで思わず隊長の肩を叩く。
「もう…、隊長や無いやろ?」
…少し切なそうに、コツンと額を合わせて言った。
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