SHORT
□Brownie
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『―――しんじらんない。敵をここまで連れてくるなんて』
見た目より意外と櫛が通るその髪を触るのは5年ぶりで。
それでもあたしが髪を結ぶという役目は変わってなくて。
「来たもんは仕方ねぇだろ。迎え撃つのみだ」
あたしに背を向けたまま、大人しくあたしに頭を預けたままでルッチが言った。
束ねるために持っていたこいつの髪を思いっきり引っ張ったら、果たしてこいつは痛がるんだろうか?
5年ぶりに会ったっていうのに、また彼は戦場へ出ていく。
あんたが戦場から帰って来ないことなんてなかった。
だけど、その背中を見送る度に、胸が裂けそうに痛むんだ。
あんたを信じてないわけじゃないけど、もしかしたら、と思うと遠のいてゆく背中に縋り付きたくなる。
『…その箱開けてみ』
手が使えないんで、テーブルに置いていた紙の箱を顎で指した。
「なんだ」
『いいから開けてよ』
めんどくさそうにルッチが箱を引き寄せて、蓋を開けた。
「…これ」
『あんたが出発する前言ってたから』
箱にはあたしが作ったブラウニー。
5年前の出発する直前、ルッチがぼそっと言った言葉。
『《俺が帰ってくるまでにそのまずい焼菓子上達させとけ》』
「言ったかそんなこと」
『言ったよ覚えてるもん。だからはい、リベンジ』
ルッチはじっと箱の中のブラウニーを見つめていたけど、急に上を見上げるようにして背後のあたしに顔を向けた。
「今はいい」
『は?なんで』
「帰ってきてからゆっくり食べたい」
『せっかくの作り立てなのに』
「そしたらまた作れ」
なんて自分勝手、と少し髪の毛を引っ張ってやったけど、全然痛がるそぶりを見せない。それがまた悔しい。
『…わかったわよ』
渋々頷くと、彼は満足げな笑みを浮かべ、再び前を向いた。
もうこの5年間で何百回と作ってるから、今更一回増えたところで変わりはしない。
彼が食べてくれるなら何千回だって作る。
『…5年間、浮気しなかったでしょうね』
「生憎、男だらけの職場だったんでな、浮気しようにも相手がいなかった」
『何それ、女性がいたら浮気してたってこと?』
「さあ、結果何も無かったんだからいいんじゃねぇのか」
この男は女心を全くわかってない。いつも事実と嘘偽りない意思しか言わない。正直者と言えば聞こえはいいけど、性格がほれ、こんなだから、辛辣なことも眉根ぴくり動かさずに淡々とおっしゃる。あたしは慣れちゃったけど、他の給仕さんは泣かされた人も数多い。
「…お前はどうなんだ」
『…は、え?』
「何だ今の間は」
『聞いてなかった、なんて?』
「だから、お前はこの5年間何も無かったかと聞いてるんだ」
『えー何なに、気になっちゃう感じ?』
「ああ気になる。さっさと言え」
もう嫌だ。
唐突にそんなこと言わないでほしい。
何に関しても無関心なあんたから気になるなんて言われたら、自惚れちゃうじゃん。
『ふふ、秘密』
「…何でだ」
『帰ってきてから話すよ』
結び終わった髪の毛を離し、ぐいと頭を押してやると、奴の首がカクーンってなった。おもしれ。
『だからさくさくっと仕事終わらせて来て下さいな』
そしたらまたチョコレート色のお菓子を焼いて、この5年間にあったこと、全部全部話すから。
奴は立ち上がってあたしの体を引き寄せると、頬に音を立てて唇を落とした。
Brownie
(その後の未来を誰が予測できただろうか)