Fate

□信じたい人
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 花岡瑞希は沢山のワークブックを手に抱え、A組を前に迷っていた。六限目の授業が終わり教室に戻る際、職員室から顔を出した化学担当の教師に捕まった。そして「ついでにA組へ返しておいてくれないか」と渡されたのがこのワークブックだったというわけだ。瑞希はA組ではないのだが、教師にとってはそんなことは関係ないのだろう。拒否するのは気が引けたので、二つ返事で承諾した。


 ホームルームに間に合いそうになかったため一旦自分の教室へと持ち帰り、帰り支度を済ませてからA組の前へとやって来た。ただ、教師に渡された時のそれとは少しの違いがあった。それが瑞希に入室を迷わせる原因でもあった。


「何か用でもあんのか、サッカー部のマネージャー」

「えっ?」

「由衣に宣戦布告でもしに来たんじゃねぇだろうな?」

「…………」


 背後から聞こえてきた声に振り返る。彼女は確か、練習試合の日に手伝いに来てくれた……会長の有川恵。由衣と親しげに話していた。瑞希に向けられた瞳からは、自分を快く思っていないということが感じ取れた。やはり先日の放課後のことが原因だろうか。それとも、由衣が何か話したのだろうか。弱弱しい彼女のことだから、周りの人間に相談することは充分にありえそうだ。


「黙ってるってことは図星か?」

「やだなっ、有川さんってば! 私たちそんなんじゃないよ?」

「……本当かよ」

「うん! 今日だって、ただ先生に頼まれて宿題の返却に来ただけだしね」


 瑞希は手に抱えたワークブックの表紙を見せ、ニコッと微笑んだ。恵は納得したのかしていないのか、そうかよ、と言って道を開けた。中へ入れという意味だろう。きっともう逃げられない。


「つーかそれ渡されたのいつだよ? ホームルームも終わっちまって、もう居ない連中もいるぞ」

「だよねっ、ごめんごめん。教卓の上に置いておいて、各自で取りに行くよう黒板に書いといても良いー?」

「勝手にしろ。良いから中入れよ」


 恵に言われA組の教室へと足を踏み入れる。教卓へと直行し、ズシリと重いワークブックをそこへ置いた。黒板には赤のチョークで「取りに来ること!」と書いておいた。これで帰ってしまった者も明日確認しに来るだろう。


 後ろを振り返ると、黒板を見た生徒たちがフライングで教卓の前に集まってきていた。皆名前を確認し、自分のワークブックを選んでいる。その後ろには控え目に順番を待っている由衣の姿もあった。暫く見つめていると一瞬目が合い、気まずそうに逸らされた。


「上原さん! 久しぶりー」

「あ……う、うん。久しぶり」

「あのね」

「……! な、何……?」

「そんな身構えなくても……単に先生から伝言預かっただけだから」

「伝言……?」


 由衣は目を丸くした。瑞希は教卓の方へと目を移し、上原由衣と書かれたワークブックを素早く見つけ出すとそれを彼女へ手渡した。ありがとう、そんな言葉が返ってくる。


「あのね、上原さん、二十一ページと二十二ページ飛ばしてたみたいよ。先生ってばヒス起こしてた」

「え!? ほ、本当に?」

「うん。確認してみて。先生が帰るまでに埋めて持っていけば特に減点はしないとか言ってたけど」

「今日中ってこと、だよね……?」

「そうでしょ」


 由衣の顔色が変わる。急いで瑞希に言われたページを確認しているようだ。困るよね、困るに決まってる。放課後は大事な用事があるのだから。瑞希はそれを知っている。


「ほ、ほんとだ……! 飛ばしてる……」

「やっちゃったね」

「おかしいな……わたし、ボーっとしちゃってたのかな……」

「どうしたの、由衣」

「あ、ナツ……見てこれ。ここのページ飛ばしてたらしいんだぁ……先生帰るまでに再提出しないと成績下げられちゃう!」


 生徒会のお仲間登場か。彼女は以前B組で見かけたことがある。童顔のくせにどこか大人びたクールな表情と、何もかも見透かしているような大きな瞳が印象的で、少し苦手なタイプだ。


「……二ページくらいなら、頑張れば間に合う」

「で、でも……放課後はわたし、用事が……」

「用事?」

「約束してるの……」


 黙って二人の会話を聞く。放課後の約束、瑞希はそれを知っていた。どうにかしなくてはと思っていた。



story40.信じたい人



『断るってどういうこと……?』

『熱心に勧誘してくれた君には悪いけど……やっぱり俺は、生徒会を辞める気にはなれないから』

『何で? 何がいけなかったの?』

『花岡さんが悪いとか、サッカー部が悪いとか、そんなんじゃないよ。みんな良い奴だし………』

『じゃあ……』

『それでも、俺が居たいのは生徒会だから』

『……上原さんにはもう報告したの?』

『いや、まだ……今日の放課後話そうと思ってる』


 颯太との昼休みの会話を思い出す。由衣を彼の元へ行かせてしまえば、生徒会的には全て丸く収まるのだろう。しかし瑞希にしてみれば、そんな結果は到底納得できるものではなかった。何とかしなければ、そう思った。


 何故だろう。最初は冗談混じりだった。生徒会に所属している颯太が、サッカー部に来てくれるはずないと、心の何処かで分かっていたから。それでも期待してしまったのは、彼の優しさがあったからだろう。そして今では、生徒会には、由衣には負けたくないと思うようになってしまった。瑞希はポケットの中へと手を突っ込み、弾力のある白いゴムの存在を確かめた。


「どうしよう……」

「……約束のことなら気にすることないよ?」

「えっ……?」

「彼には私から伝えといてあげる。事態は一刻を争うでしょ? 先生帰っちゃうよ?」

「な、何で花岡さんが約束のこと……?」

「私も関係者だもん。あなたにとって良くない報告を、森山くん一人に押し付けるわけにはいかないでしょ?」


 由衣は目を見開いた。良くない報告、その一言で全てを察したのだろう。瞳に涙が浮かんできている。颯太はサッカー部を選んだのだと、そう思い込んだに違いない。


「約束とか良くない報告とか、どういう意味。由衣は何故落ち込んでるの」

「日野さんだっけ? 人はみんな、誰しも悩みや秘密を持って生きてるのよ」

「……誤魔化さないで」


 やはりナツの瞳は苦手だ。瑞希は「じゃあ頑張って」と由衣に声を掛けると、足早に教室を後にした。颯太の元へ行かなくては。
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