無双の間

□夏は流れる
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〇諸葛誕+



心頭滅却すれば火もまた涼し、だ。

繰り返し自分にそう言い聞かせながら、諸葛誕はひたすら眼下の教科書に意識を集中させる。

簾が陽射しを遮ってくれるし(元々日当たりの悪い部屋だが)窓も玄関も全開にしているから少しは風も通るし(藪蚊もブンブン入ってくるが)勉強するのに全く不都合は無い。

全く不都合は無い筈なのだが、頭がボーッとしてくるのは何故だろうか。
額を伝い落ちた汗が机に染みを作るのを見て、誕はちょっとだけ挫けそうになった。


「うわ、何だこの部屋は…蒸し風呂か?」

背後からかけられた声に誕が驚いて振り向くと、秀麗な顔立ちに自尊心と厭味で化粧をしたような男が開け放った玄関から此方を覗いていた。

「…鍾会?」

「鍾会先輩、と呼べ」

ニヤリと口の端を上げてみせる鍾会に、誕は憮然とする。

同い年で高校の同級生、今も同じ大学に通う二人だが、鍾会が一発で合格した(しかも首席で)のに対し、誕は一浪して入学を果たした。

以来、鍾会は事あるごとにその話題を持ち出して誕を小馬鹿にする。

全く腹立たしいことこの上無いのだが、それでも何とか我慢していられるのは鍾会が小馬鹿にしているのは誕だけではないからだった。

年齢も性別も目上も目下も関係なく、鍾会は自分以外の全人類を見下している節がある。
ある意味、平等な接し方と言えなくもないのかも知れない。

しかし、誕を馬鹿にする為にわざわざ部屋に来た訳でも無いだろう。

「何をしに来たんだ」と言いかけて、誕は鍾会が浴衣を着ているのに気がついた。見慣れぬ格好に一瞬、面喰らう。

「あ…今日は夏祭りか」

その姿で思い出す。
道理で普段より外が騒がしいと思った、と呟く誕に鍾会はわざとらしく肩を竦めて言い放つ。

「成果の上がらない勉強に夢中で、季節の移ろいも気がつかなかったか?期待を裏切らん奴だな」

お前は私にどんな期待をしていたんだ。

流石に誕はムッとしたが鍾会はその様子に構わぬ風に言葉を続けた。

「こんなサウナみたいな部屋で机に囓りついていても頭に入らんだろう。…夕涼みでもして、その石頭の風通しを良くした方がいいぞ」

「…は?」

鍾会の言わんとすることが分からず、困惑する誕に闖入者は苛立たしげな眼差しを向ける。

「…ええい!物分かりの悪い奴だな。祭りに行く私の供をさせてやる、と言ってるんだよ!光栄に思うがいいっ」

…どんだけ上から目線のお誘いなんだ。

清々しいばかりの横暴さに呆れ返り、誘いを一蹴しようとした誕だが。

考えてみると、祭りなどここ数年行っていない。
彼の夏は大概が塾や法事で予定が埋まっていたし稀に暇でも、一緒に行く相手がいなかった。
中学の頃には、クラスで誕一人だけが祭りに誘われなかったという哀しい思い出もある。

口上は最悪だが、傲岸な鍾会がらしくもなく部屋まで足を運び誘ってくれたのである。

偶には私も、らしくない夏を過ごしてみようか。

「私は浴衣を持ってないのだが…この格好で良いだろうか」

「構わん。皆に注目される私ならともかく、お前など誰も見やしない」

「……」

…やっぱり一緒に行くのは止そうかなー、と誕は思った。



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