鋼鉄の間

□雲の行方
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『雲の行方』


「はぁ…」

風の吹き渡る草原に立ち尽くして、趙雲は吐息を洩らした。

数日前は雪と氷に覆われていたこの場所も、今は一面草が生い茂り、合間には薄紫の花がちらちらと顔を覗かせている。

「…生き延びちゃったねぇ…」

自分も、世界も。
あの忌々しい陸遜のせいで。
…おかげで、と言うべきなのだろうか?

いずこともなく去る孔明の背を、趙雲はただ見送った。
追いかけてゆくことは、出来なかった。
陸遜のために悲しむ孔明など、見たくはなかったから。

世界は救われ、だが趙雲は飛ぶ空を失くした。

「本っ当、余計なことしてくれちゃうよねえ?」

腹が立つほどに青い空を見上げ、趙雲は呟く。

その時―

「……?」

どこからか聴こえてくる微かな声に、趙雲は辺りを見回した。
少し離れた場所に、まだ細い若木が生えている。声は、その辺りから聞こえるようだった。

興味に駆られて近づいた趙雲の目に飛びこんできたものは。

「赤ん坊…?」

木の根元でか細い泣き声を上げていたのは、生後間もないと見える赤子であった。頬はふくふくとして血色が良く、真白いお包みにも汚れは見当たらない。
人里からも離れたこんな場所に何故、赤子がいるのだろう。

趙雲が戯れに抱き上げて顔を覗き込むと、途端に赤子は泣き止んで笑顔を見せた。

「…何笑ってんのさ。僕が助けてくれるとでも思ってんの?」

思わずそう問いかけるが無論赤子は答えない。

ただ笑うばかり。
その小さな手が何か握りしめているのに気づき、趙雲は指を開かせた。

刹那。風が、手から零れたものを吹き上げる。
三片の、桃の花弁―

「あ…」

花の中で笑う、少年の幻を見たような気がした。


暫し呆然となった趙雲は突如背後に現れた気配に我に返る。

「…まさかそれで隠れてるつもりじゃないよねえ?」

揶揄うような趙雲の言葉に応える如く、複数の影が姿を現した。

何れも暗色の長衣を纏い仮面を着けた男たち。

「おやァ…見るからに胡散臭いねえ」

「貴様も人のことは言えんと思うが?」

衣の下に武器を隠した男たちはじりじりと距離を詰め、趙雲を囲む。

「その赤子、こちらに渡して貰おう」

ふうんと趙雲は鼻を鳴らした。理由は知らぬが、狙いはこの赤子らしい。

「ヤダ、て言ったら?」

「殺す」

予想通りの返答。
趙雲は覆面の下で笑みを洩らす。

「こんなガキ、どうせ放っておくつもりだったんだけどねえ」

「ならば…」

進み出て赤子を抱きとろうとした男の首を、趙雲は円邪鋼を一閃して斬り落とす!

「なっ…貴様!?」

殺気立って詰め寄る男達を平然と見遣り、趙雲は赤子を抱え直した。

「渡せって言われると渡したくなくなっちゃうよねえ…僕って天邪鬼だし?」

言うが早いが死体を踏みつけ、頭上を飛び越えて駆け出した。

「待て!」
「追え、逃すな!」

すかさず男達も後を追って来る。

走りながら、趙雲は久々に血が沸き立つのを感じていた。
赤子の素性も、仮面達が何故この子を狙うのかも知らないし興味も無い。
一つ確かなことは、この赤子を連れていれば当分は退屈せずにすみそうだという事。

怒号と血臭の中で、赤子笑っていた。新しい玩具を手にしたような気分。
楽しみをくれる礼に、名くらいつけてやろうか?

そうだな…。

「アンタの名…『阿斗』ってのはどお?」

趙雲に斗いを与えてくれる子ー。

龍は雲を得て天へ昇り、雲は龍を得て、再び空を流れる。

その行方はまだ誰も知らない。



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