頂and拍
□受話器越しの君
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予習に復習に追われる美咲の夜は短い。
あれもこれもとすることがあるが、妥協は一切無い。
一心不乱に机に向かう美咲。
すると、脇に置いてある携帯電話がプルルルと鳴った。
ピタリと止まる美咲の手。
未だ鳴り止まない着信音はメールではないことを暗に示している。
現在、23:50。
こんな時間に掛けてくる奴と言ったら――。
「……なんの用だこのアホ碓氷」
電話を取るなり美咲は低く唸るように呟いた。
するとその低い声とはうって変わって「わぉ!」と明るく軽い声が返ってきた。
『ご機嫌斜めだねぇ。俺のお姫様は』
「だ、誰がお姫様だ…っ!」
バカかお前!?
と憤慨する美咲。
受話器越しにくすくすと喉を震わせて笑う気配がして、さらに熱が上がる。
「お前、そんなことのために電話してきたのか!?」
『んー…。とりあえず、そんな大声出しても大丈夫?』
はっ、と美咲は息を呑んだ。
しまった、こんな夜更けに…!
ばっと後ろのドアを振り向く美咲。
すると、ドアはパタンと音を立てて閉まった。
「…す、紗奈か?」
じっとドアを見ていると、またがちゃりとドアが開き、僅かな隙間から紗奈がじーっと物言いた気に美咲を見つめていた。
そして、またパタンと閉まった。
「悪い、紗奈…っ!」
ドアの外にいるであろう妹に謝罪の声を投げ掛けた。
すると、ドアノブががちゃがちゃと左右に回された。
しかしそれだけで、その後は何も無くしーんと静寂に包まれる。
妹は特に気にしていないようだが、せめてドアで会話をするのはやめてくれと思う美咲だった。
『大丈夫?』
「あ?あ、あぁ、大丈夫そうだ。っていうか、お前、本当になんの用だよ…」
ふうと嘆息しながら机に向き直り、美咲はげんなりと言った体で碓氷に尋ねた。
『…最後にちゃんと言っとかなきゃな、って思って』
「え?」
前に屈みがちになっていた体が、思わず起き上がる。
最後?
最後ってなんだ。
…聞け、私。
聞くんだ。
ちゃんと聞かなきゃダメだ。
もう、逃げてばかりはいられない。
ちゃんと向き合うんだ。碓氷と。
「…な、なんだよ」
震える声で先を促がす美咲。
机の上に置いた左手にぐっと握る拳に力が篭る。
『……俺はね、鮎沢。いっつも頑張ってる鮎沢の姿を見て「スゴイな」って、最初は思えなかった』
「……あぁ」
『でも、あのメイド喫茶で会ったときから、その考え方はどんどん変わっていったんだよ」
優しく語り掛けるように囁く碓氷。
聞け、聞け。
ちゃんと、聞け。
そう何度も自分に言い聞かすが、碓氷の言葉を聞くことをどこか拒む自分がいた。
これが最後なのか…?
最後ってなんの最後なんだよ……っ!
ぐるぐると胸のわだかまりが渦を巻く。
それが喉にまでつかえて、声にならない。
美咲は黙って碓氷の言葉を待つしか出来なかった。
『いつの間にか目を離せなくなっていて、鮎沢の隣が本当に心地よかった』
「……なんだよ、何が言いたいんだよ……」
なんとか振り絞って出た言葉は、静かなものだった。
声を荒げることさえ、出来なかった。
力を篭めていたはずの拳。
それがいつの間にか自身のシャツを握り締めていた。
自分の胸を守るようにして。
逸る鼓動を抑えるようにして。
「碓氷…っ」
『ちゃんと、最後に挨拶しとこうと思って。……俺と出会ってくれた16歳の鮎沢に』
「……は?」
『あと3分くらいしかないけどね』
紛らわしい言い方をするな、と一喝したいところだったが、ニヤリと笑う碓氷が想像出来て、悔しさが込み上げ何とかその言葉を飲み込んだ。
そして出たのは弱々しい毒突きの言葉だった。
「…お前はバカじゃないのか」
『そう?結構俺、カッコつけたんだけど』
ひどいなぁ、と笑う碓氷。
電話のはずなのに、嬉しそうに微笑んでいると美咲は思った。
離れているのに。
こんなにも碓氷が近くにいるなんて。
「本当に…、大バカ者だ……」
言葉とは裏腹に、美咲はゆっくりと微笑んだ。
お互いに静かに笑い合い、ゆっくりと時が流れる。
『…12時だね』
「あぁ…」
『お誕生日おめでとう、鮎沢』
「…おぅ」
そっけない返事。
しかし、言葉では表せないほどの想いを胸に抱く美咲。
シャツを握っていた左手はもう片方の手が持つ携帯電話にそっと添えられていた。
「…碓氷」
『ん?』
「ありがと、な…」
『……っ!あー…、なんか激しく後悔してる』
「なんでだ?」
『だって、今 絶対可愛い顔してるもん。見逃して損した気分』
「んな…っ!!」
『その顔、見たいなぁ』
ぶちぶちと声を漏らす碓氷。
誰も知らない碓氷の意外な一面。
気に喰わないことがあると、まるで子どものように駄々をこね甘えたがる。
今だって絶対に口を三角にして本気で残念がっているに違いない。
そんな碓氷の表情も容易に思い浮かんで、美咲はぷと笑ってしまった。
『なぁにがそんなに楽しいの』
「いや?別に…?」
平静を装うが、笑いは抑えようとすればするほど込み上がる。
『ま、いいや。鮎沢は今お勉強中でしょ?ごめんね、邪魔しちゃって』
すっと笑いが引いていく。
この言葉は終わりに続くものだ。
「じゃあ、頑張って」とか「おやすみ」とかに続く、電話を切ってしまうことに続くもの。
急に胸が締め付けられる。
しかし、何も出来ずに美咲の声が出るのを待たずに碓氷はゆっくりと囁いた。
『頑張り過ぎないようにね。じゃあ……』
「う、碓氷!」
ダメだ、それ以上は…、という思いが美咲の喉を振るわせた。
『ど、どうしたの』
いきなりの大声に、さすがの碓氷も驚きと共に返答する。
「あ、いや…、その……」
美咲も思わず出た呼び掛けに後が続かず言い詰まる。
『珍しいね、鮎沢が甘えるなんて』
くすりと笑う碓氷。
美咲はかぁと顔が熱くなるのを自覚した。
『いいよ。何でも聞いてあげる。鮎沢のわがまま』
「わ、わがままって何だよ…っ」
苦し紛れの毒付きも威力を持たず、碓氷に笑われてしまった。
「なんか、ムカつく…っっ」
『わ、怖い。いきなりどうしたの』
「ムカつくから…っ、お前、明日の朝、仕事手伝えよ…っ!」
え?と小さく碓氷の驚きの声がを漏らす。
さらに顔を赤く染める美咲は、半ば自棄になって続けた。
「お前のせいで、生徒会の仕事をする時間がなくなった!お前のせいなんだから、明日の朝、早く来て手伝えっ!!」
ぜーはー、と荒い呼吸を繰り返す美咲の耳に聞こえたのは、喜びの色を含んだ碓氷の「了解」という短い言葉だった。
End.