日常的恋愛日記
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――物語のはじまりは、バレンタインも間近なある日。

関東に雪予報が出て、案の定の白化粧をした街並み。
吐く息も真っ白な朝、彼女は二階の部屋の窓からそれを眺めた。

「寒っ…」

すっかり目は覚めていたが、あまりの寒さに布団へ舞い戻った。
そこにはまだ寝息をたてている彼がいて、彼女は彼を背中から抱きしめるようにピッタリとくっついた。

「……んぅ…」

彼は目を閉じたまま寝返りをして、彼女をギュッとした。

「あれ、起きた?」
「ん〜…まだねむい…」

どんなに寒くても、二人なら暖かい。

彼女は微笑み、彼の頬に口づけをした。

「ママ…うざい」
「はぁっ?!」



彼女、遠藤百華。22歳。
彼、遠藤和希。3歳。

親子になった日から母子家庭。

両親が遺した都内一等地にある大きな家に二人きりで住み、生活にも困ることなく暮らしている。

まだ、この時までは。
 
 
 
朝食の支度のためにやっとベッドを抜け出し、手早く着替えた。

朝の家事は慌ただしい。
ただでさえ不器用な百華は、慌て過ぎて失敗ばかり。

「いやぁ〜!」

目玉焼きを焦がしたり、トースターに入れるパンを落としたり…
テーブルに運ぶものをひっくり返したり。

そんな中で、「それ」はやってきた。


ピンポーン…

早朝だというのに、インターホンが鳴らされた。

「誰〜こんな時間に…はぁい!」

ドアホンモニターを覗けば、そこには誰もいなくて。

「いたずら?」

彼女が眉をしかめると同時に、声が届いた。

『百華〜!!』

その一言で、彼女はドアを開けに走った。

「のんちゃん!!」
「よっ」

見覚えのある、いつ見ても整った顔。

「どうしたの、こんな朝早く」
「俺は今から帰るの。ちょっと百華と和希の顔見たくなってさ」

色白でゆるいウェーブがかかった長めの茶髪。
ニットパーカにダウンジャケット、黒のダメージデニム。
彼によく似合っているその服装だけど、たぶん彼なりの適当。
なんでもカッコよくなるところが憎たらしい。

「お腹空いてるんでしょ」
「え、なに。飯食わしてくれんの」
「そのために来たくせに〜」
「あっ、のんたん!」

寝惚け眼で階段を降りて来た彼女の愛息子が、一気に笑顔に変わる。

まるでそこだけ花畑のようだ、と例えてしまうくらいとびきりの。

「うぃーっす!」
「うぃ〜しゅ!」

そして彼女をすり抜けてバタバタと駆け寄ったその小さな身体を、彼は笑顔で抱きあげる。

まるで父子みたいな光景……

本当の父親を知らない和希の、ささやかな喜びの時間だ。


彼…《のんちゃん》こと葛西朔斗(カサイノリト)は、百華の幼なじみだ。
幼稚園のときに通った音楽教室で知り合い、もう18年の付き合いになる。

「行ってきまぁす!」

弾むような明るい声で、見送る二人に手を振る和希。
3人で朝食を済ませて、幼稚園まで手を繋いで歩いて来た。
真ん中にいた和希がいなくなれば、百華と朔斗は温もりがなくなった手をそれぞれポケットへしまい込んだ。
他の保護者たちは彼を見てヒソヒソ話をしてるが、彼女は気にも止めない。

「寒いから早く帰ろう」

肩を竦めて、井戸端会議の輪に背を向けた。

「遠藤和希くんのお母様?」

その逃げ足を引き留める声に、百華は小さくため息を吐いた。
仕方なく振り返り、愛想笑いをした。
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