駄文(更新)

□有利な不覚
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「それは頼りになります。
とても心強いです。」

照れる与四郎に対して、仙蔵は何の不審も抱かずに、柔らかな表情で応じる。

その肢体に、幾つかの火傷の痕を見つけて、ほとんど反射的に口を開いていた。

「荷の中に、風魔の疵薬があんべ」



手渡された貝殻の中のそれを、観察するように眺めて、仙蔵は少しずつ掬った指で、傷跡をなぞる。

そのまま背中へ回された手を、正しい場所へ導くと、与四郎はくすりと笑った。

「さすがに後ろに目はついてねーべよ。
任されよーか?」

「お願いします」

いっそ無頓着な程、素直に頷く。

「……。」

全く意識すらされていない事に、これは打つ手無しか、と残念な気持ちを押し隠して、他愛もない話を振ってみれば、

「そういえば、貴方さっきからあまり訛っていませんね。
…本当はどちらのご出身なのですか?」

と悪戯っぽく見上げてくるので、与四郎はこの好奇心旺盛な麗人の肩胛骨のあたりに軟膏を丁寧に何度も塗りつけて、

「このへん。」

と耳許に囁いた。







もう日が東の空に昇り掛けている。

お互いに何か仕掛けては笑い合う二人の先輩を、目覚めてすぐに発見してしまった喜三太は、

「はにゃ。与四郎先輩が立花先輩と仲良くなってる!」

と花を飛ばす勢いで喜んだ。

慌てて揺り起こされたしんべヱは、なかなか眠ったままぐずったが、「立花先輩がなんだかとっても楽しそうにしていらっしゃるよ!」という言葉で、ぱっちり目を開いた。

彼らは忍び装束のまま、川の浅瀬に立ち、影踏みにも似た、なにか不思議な戯れに興じているように見えた。

とにかく、二人とも笑っていた。

なんだかよくわからないが、非常に楽しそうだ。

さて、子どもというのは、非常に素直なものだ。

「「せんぱーい、僕らも入れてくださーい!」」

言い終えると同時に、もう走り出している。

これまでであれば、満面の笑みを浮かべた二人がこちらに走り寄ってきた時点で、生理的に涙が零れて一目散に回れ右をして逃げ出す仙蔵が、

ふと視線を上げて、隣の与四郎が爽やかに手を上げる姿を見て、小さく苦笑した。

逃走を諦めた彼は、観念して二人を両腕を広げて迎え入れた。

「あれれ?」

慣れない待遇に、しんべヱも喜三太もきょとんと目を丸めてから、ぎゅうぎゅうと仙蔵に抱きついた。

「せんぱい、好きですぅ」

「そうか」

「せんぱい、良いにおい」

「火薬まみれで臭かろうて」

くすりと軽やかに笑う気配がして、(ああ、本物の先輩だ。)と実感した途端、ぽろぽろと涙が出てきて、いけない、離れなきゃ、と考えた瞬間、柔らかな布が喜三太の顔を拭っていた。

与四郎が。
慈愛に満ちた笑顔で、「しょうがねーな」と云いたそうにして、元後輩の額を布越しに突っつく。

優しく懐かしいその感触に、益々泣き出す喜三太の涙は、もう仙蔵の衣を汚さない。

「せんぱいは、…せんぱいは、僕らのこと、…」

嗚咽を漏らすしんべヱの鼻水を、もうひとつの手で与四郎が上手に処理していた。

(曲芸師みたいだ。)

と笑うと、渇いた喉がヒリヒリする。

目が合って、困ったように眉を下げた後に、仙蔵はいつものように不敵に顔を上げ、

「何を思い悩んでいるのだ、愚か者共め。
そもそも、本当に嫌いならば、存在ごと無視して絶対に何があっても関わろうとせんわ。

そう、まぁ、お前たちがあまりに手間が掛かるので、もう二度と、金輪際関わりたくないと思う日もあるが、」

「「えーっ?!」」

涼しい顔で下級生を諭して、与四郎の方を見た。

「丁度良い『お手本』が見つかったので、私もお前たちとの付き合い方を勉強しようと思う。
これからもよろしく頼む」

自信に満ちた先輩は、とてもすてきだ。

「「はーい!!」」

喜三太としんべヱが元気よく返事をすると同時に、与四郎が後ろから三人に向かって足下の水を蹴った。

空中に雫がキラキラして、すごく綺麗。

「どーだ。
虹作れっか?」

子ども達ははしゃいで、しばらく川遊びに夢中になった。






それから、無事に忍術学園に着いて、報告を終えた後で。

医務室で、いつもより早い処置を喜んだ伊作が、驚きの声を上げた。

「えっ…?!
初対面の相手に、背中の傷を手当てしてもらったの?
君が?!」

「ああ…。
そう言えば全く気にならなかったな…」

それから暫く、仙蔵がぼーっと遠くを眺めたり、下級生の面倒を見る留三郎をじっと睨んでは溜め息をついたりするようになった事を、与四郎は知らない。


そして、別れ際、

「ねー?
立花先輩って素敵な人でしょー」

「ンだ。
…嫁に欲しいな。」

と、彼が半ば真顔で返したという珍問答も、勿論、仙蔵は知らない。


これは、無自覚に有利な立場を手に入れていた青年と、

不覚にもそれらに全く気づかない、意外に鈍感だった『高嶺の花』の、

始まりの話である。


 
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