駄文(更新)

□有利な不覚
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ぐっすりと眠り込んでしまった喜三太の隣で、しんべヱが寝言に食べ物の名前をつらつらと口にするので、

(まぁ、くいぞーだなーやー)

と笑う。

その後ろでは、仙蔵が装束を腰まで下ろして、川の水に浸した布で身体を清めていた。

細い背中の、あまりの白さに目を奪われる。

艶々とした長い黒髪も相まって、雲間から暫し姿を見せた月光を浴び、冴え冴えと映る様は、人には在らざる者のような美しさ。

凜とした小さな貌は、彼の孤高を表すように、絶えず張り詰めた糸のような緊張を孕んで、周囲を警戒している。

近寄り難い雰囲気に、僅かばかり瞠目し、ひそりと息を呑んだ与四郎は、次の瞬間、堪え切れずに吹き出していた。

ふと髪の一束に触れて、途中でその見事な紫苑が、少しばかり焼け焦げているのに気がついて、恨めしそうに喜三太としんべヱを見る、月下の麗人のその表情。

頑是なく口を尖らせて、きゅっと決意を秘めて眉を上げる、その仕草。

まるで「お前ら、絶対に許さん」とでも云いたげな幼さと、色っぽい朱い口許やらやたらと形の良い大人びた柳眉やらの対比が絶妙で、愛らしいような、微笑ましいような、妙に温かな気分を抑えられなかった。

勝手に和んでいる与四郎に、きっと嘲られたのだと大いなる誤解をした仙蔵は、、若いが腕の立つ異門の忍へ、素直に頭を下げた。

「散々な目にお遭わせしてしまった次第、申し訳ありませぬ。
随分と情けないところをお見せしてしまいました。
お恥ずかしい限りです」

紹介された言葉を信じるのなら、仙蔵は同年の、他流派の養成機関に属する青年の前で、頭を抱えたくなるような醜態を晒した事になる。

『これが忍術学園の最高学年の程度か。』と失笑を買ったのならば、それはもはや仙蔵ひとりの恥ではない。

特に口喧しい文次郎や留三郎に知れたら、と思うと、比喩ではなく激しい頭痛がした。

一介の忍の身でなければ、武士の作法に則って切腹したい位に、仙蔵は悔いていた。

何故もっと冷静に、せめていつものように対処する事が出来なかったのか。

(未熟者め!)

自らに渇を入れるも、覆水盆に返らず。

――ああ、此処はもう学園に近い、この辺りに喜八郎の掘った蛸壺でもあるまいか。

そのままフラフラと、文字通り穴を探して彷徨しかねない様子の仙蔵の頼りない肩を、未だくつくつと小さく笑っていた与四郎の左手が止めた。

「いーや、アンタぁ、良い忍びだー。喜三太がせーてった通り、凄腕の『強くてかっこいい立花先輩』だーよ」

今それを云われても、嫌みにしか聞こえない。

「……忝ないが、世辞は要りませぬ。」

気遣われたのに、あまりに不快を態度に出すと失礼かと、視線を逸らしながら低く呟く。

そんな様子に、今度は苦笑してから、からりと真顔に変えて、与四郎は却って朗々と答えた。

「あーんだけーの城の忍から追われて、子ども二人抱ぇて、んで退却。
まだまだ忍術に浅い一年坊主が、揃ってー全くの無傷。
これだけで、お前(め)さんが並外れた実力を持つってーことはもう明白だべ。
合流してっからは目の前で見せーて、ありゃ一流の忍者だーよ」

ただ淡々と事実を述べる、という口振りだった。

駆け引きも妬みもない。

こんなに純粋な意味で、実力を評価されるというのは、新鮮な感覚だった。

深い夜の森の色の髪をした、琥珀の眼を持つ青年は、そっと優しく微笑む。

「…しんべヱと茶器が一緒っくたに、木から落っこちそうになったべ」

そういえば、そんな事もあった、と目を瞬かせる仙蔵の前で、与四郎は懐からその茶器を取り出した。

「…アンタぁ、この茶器にゃー、見向きもしなかったな。
迷いなく一直線にしんべヱを追ったし、ちょっとも喜三太を離そうとしなかった。

お前さんには、こんな薄っぺらい器より、二人の命の方が大事だったんだ。

選ぶまでもなく。」

隠そうともしない、染み入るような感嘆の声に、仙蔵は自嘲するように俯く。

「一応、“それ”も忍務のひとつでして。
貴方が居てくださらねば、割れていたところでした。

――私は決して『優秀な忍』などではありませんよ」

その儚い容(かんばせ)を過ぎった、哀しげな色に、どきりと心臓を掴まれて、それでも与四郎は笑顔で云った。

「『優秀』ってーんは優れてて秀でてる、てーことだな。
どっちも外れてねーべ。
貰っとけーばいいだーよ。
おまけにお前さんは、人に優しい。

…喜三太の尊敬する先輩が、お前で良かった。」

その時、初めて仙蔵が真正面から与四郎を見た。

怜悧な頬に淡い微笑が浮かび、それに見惚れて初々しく染まるのも、また。

「きっ、…喜三太の事で何か困ったら、連絡をくれ。
ほ、他の事でも構わね。
できる限りち、力になるべ!」

 
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