駄文(更新)
□有利な不覚
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元々、怪しいとは思っていた。
学園長直々にこの『御遣い』を拝命した際に、なんとなく厭な予感がしたのだ。
しかしだからと云って、最高学年の優等生と名指されてしまった手前、「やっぱり辞めておきます」等と断ることもできず。
ただ楚々と頭を下げた仙蔵の姿に、その奇抜な『思いつき』により、数多の伝説を作り上げてきた大川平次渦正は、不穏な笑みを浮かべた。
侵入した城から首尾好く、目当ての書状を手に入れたまでは良かった。
妙に変装をして演技する必要もなく、誰の目にも触れずに此処まで来られたのだ、むしろ頗る順調であった。
「できればそちらも頼む」
と、学園長に指示されていた茶器の存在を思い出した仙蔵は、余裕綽々で離れの庵へ忍び込んだ。
折しも時は草木も眠る丑三つ時、風は揺らぎ、清かな月光も叢雲に隠れ、素より常人の五感では彼の気配すら感知できぬ、そんな夜であった。
果たして、床の間に飾られていた、紛う事無き一級品の漆器を、指先でつるりと撫でて、仙蔵は口角を上げる。
(本物だな)
敢えてこの瞬間の感情を言葉にするならば、正しく
完っぺきだ!
である。
丁度その時。
上機嫌で茶器を眺めていた仙蔵の耳が、小さな跫音を捉えた。
見張りの兵卒ではない。
彼等は、既に自製の眠り薬で黙らせてある。
とた、とた、とた。
躊躇わずに此方へ向かって進んでくる、体重の軽い、ふたり。
何の迷いも無く、警戒もしていない様子が、却って不気味だった。
――そう、仙蔵はこの背筋の凍るような感覚におぼえがある。
どうか不吉な予感が外れてくれますように、と一心に祈りながら、知らず躯は緊張し、鼓動は早くなる。
それらの一切を無視して、無情にも下された決定打。
「あれ〜?
このおじさん、寝ちゃってるよ」
「ダメだねぇ、お仕事中なのにー」
仙蔵が、この世で一番聞きたくないと思っていた声だった。
本当に。
『あのふたり』と遭遇するくらいなら、万の軍勢を相手にした方がマシだ、と。
他の誰も同意しないだろうが、仙蔵は本気でそう考えていた。
(…なんと情けない)
逃げるより先に脱力してしまい、機を逸した彼の前で、障子が開かれる。
現れたのは、『学園一冷静な男』が最も恐れている、とある二人の下級生だった。
「「あーっ!
立花せんぱーい!!」」
よせ、と口を塞ぐ間もなく、大声で名を呼ばれてしまった仙蔵は、走り寄って来る一年生ふたりから、なんとか茶器を庇って腕に抱える。
威嚇する猫のように、噛んだ歯の間から、息を殺し注意を飛ばした。
「山村!
しがみつくな!器が割れる!
離れろ、福富しんべヱ!
鼻水を付けるな!」
「「はぁ〜い」」
よい子の返事をした二人は、にこにこと仙蔵を見上げる。
「どうしたんですかー?
こんな所で」
「任務だ。」
とそっけなく答えれば、途端に喜色満面といった様子で、
「ぼくらもですよー」
「ほんとに奇遇ですね〜」
と笑う。
笑い事ではない。
少なくとも、仙蔵にとっては。
彼は急いで、茶器を布で何重にも包んだ。
「…単に奇遇と云うよりも、いっそ何かの呪いのようだが。
で?
お前たちの任務とは?」
「えぇっとー」
「たぶん〜」
ふたりは同時に、仙蔵が抱えた茶器を指差した。
「せんぱいが持ってらっしゃる、その荷の中身を〜」
「せんぱいと一緒に持って帰って来なさーい、って学園長がぁ」
やはり、罠であったか。
(謀られた……見事に策に嵌ったな)
がくりと首を落とした仙蔵が、その場に片膝を突いた。
気のせいか、快闊な老人の笑い声が脳裏に響く。
しかし残念ながら、『これ』は気のせいではない。
仙蔵に欺かれながらも、不審な子ども二人組を尾行した後、漸く事態を把握して行動を――侵入者を排除する行動を起こそうと、天井裏で暗具を構える、この城の忍び達の存在は。
すぅ、と深く息を吸った。
「大きなお世話だぁぁああ!」
怒髪天をつく、という表現がぴたりと合う感じに、髪を逆立てながら、仙蔵は徐に、懐の焙烙火矢を畳に叩きつけ、空中に放った。
無論、天井裏に潜む敵の意表をつき、目眩ましを食らわせ、且つ稚い下級生達を追い立てて上手く逃がす為。
…そして、積もりに積もった鬱憤を晴らす為に。
そこからは、推して知るべしというものである。
爆風の中を、ちょこまかと走る二人が、陥穽に落ちそうになっては、助けに入って泥まみれになり。
呑気な声を上げる一年生につられて、ついいつものように怒鳴れば、敵に察知され。
隠し持っていた予備の焙烙火矢は、とっくにしんべヱの鼻水で湿っている。
苦無を持って敵と向かい合う最中に、首筋を蛞蝓(なめくじ)が這う感覚がして、仙蔵は涙目になった。