駄文(更新)

□美しい人
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作法作業室で首級の在庫確認をしながら、綾部は隣で同じ仕事をする仙蔵から目を離せずにいた。

いつもより肌が透き通るように白い。

瞬きの回数も多いようだ。

綾部は手許の表に手を遣って、意を決して話しかけた。

「…立花先輩。
なんだか今日はお顔の色が優れないようですが…」

なにかあったのですか、と。

きょとりと目を瞬かせた仙蔵は、その後輩の目に心から気遣う真情を見つけて、仕方がなさそうに肩を竦めた。

「よく見抜いたな。

実は最近、ほとんど眠っていないのだ。
ここしばらく、徹夜が続いている。

さすがにもうお前を欺けないほど、弱ってきたか」

「何があったのですか」

何よりも大切な人の一大事とあって、綾部はひそりと眉を顰める。

まさかまたあのギンギン野郎か。

ところが真実は意外なもので――。

「長次がな。
南蛮の最新火器の設計図を手に入れよった。
それを無理を云って貸してもらったのだよ。

実に興味深くてね。

南蛮の技術と発想力には、ほとほと驚かされる。

実用化できんかと、今まさに組み立ての真っ最中だ」

なんと、中在家であったか。

しかし、最新の南蛮の武器をその手で作り上げようとは、さすがは立花先輩、同学年の火器馬鹿とは格が違う。

感歎の溜め息をつくと、それを呆れと誤解したのか、仙蔵が決まりが悪そうに微笑んだ。

そんな表情にも、どきりと胸を高鳴らせながら、綾部はするりと仙蔵の細い手から表を抜き取った。

「睡眠不足も立派な体調不良です。
大事なお体なのですから、休んでもらわなくては困ります。
どうかお部屋へお戻りください」

「それがな。
休みたいのは山々だが、私の部屋ではそれができんのだ。

文次郎が、今期の決算の最中で、あの鉄の算盤の音が煩くて、私はいつも頭痛がするよ」

やっぱりあのギンギン野郎。

綾部が内心で舌打ちすると、仙蔵が魅力的に首を傾げた。

「できるなら、今少し此処で休んでいきたいのだが。

構わないか?」

もちろん、綾部に否を唱えるつもりもない。













作業室の壁に寄りかかって、そのまま目を閉じた仙蔵は、身動ぎもせずに静かな呼吸を保っている。

最初こそ、そちらを気にしながらも、なんとか作業を続けていた綾部は、仙蔵の呼吸がだんだん深くなるにつれ、つい惹かれるようにそちらにばかり意識を取られるようになってしまった。

ささやかな日の光が、格子から差し込んでいる。

切れ長の目が閉ざされていると、この人の顔は、いつもより少しだけ幼い印象になる。

揃った長い睫、どこまでも白いすべらかな頬、紅を差したように赤い唇。

まっすぐに伸びた紫がかった髪に、艶々と光の輪ができている。

綾部は、足音も立てずに、呼吸も忘れてその瑞々しい姿に魅入った。

(ほら、この人はこんなにも美しい)

改めて、歎息したくなる。

この人は、神が遣わした芸術そのものかもしれない。

だって、こんなにも綺麗で、心を惹きつけるものを、ほかに綾部は知らない。

この世のどこにもないと思う。

仙蔵だけが、綾部の世界の全てだ。

その彼が、今、自分のすぐ傍で眠りに就いている。

こんなに無防備な姿を晒して、休んでくれている。

本来、常に警戒を解くべきではない忍である彼が、そこまで気を許してくれているのかと思うと、胸に漣が立った。

恐らく、嬉しいのだ。

それだけの信頼を得ている自分が誇らしい。

しかし、だからこそ目の前のこの人に、手を伸ばせない。

ぎゅっと強く握った指が、緊張と甘い期待、そして拒まれる恐怖に震えた。

来年の春には、もうこの人は此処にはいない。

それを思うと、胸が潰れそうなほどに痛んだ。

相変わらず、陽光は彼を加護するように輝いて、綾部にとってただひとりの至上の存在の上に降り注いでいた。


と、そこへ近付いてくる足音がする。

綾部は作業室を出て、早足の三年生の前に立った。

書物の束を抱えた藤内だ。

「綾部先輩。
立花先輩を見かけませんでしたか?
ちょっとご確認いただきたいことがあって」

顔色ひとつ変えずに、綾部は嘘をついた。

「立花先輩なら、御自室にいらっしゃると思う。
こちらには来られていないよ」

「そうですか。
ありがとうございます」

またぱたぱたと小走りに戻ってゆく後ろ姿を見送って、そっと作業室に戻ると、目を閉じたままで、仙蔵がくすくすと笑っていた。

「可哀想な藤内。
文次郎にどやされるぞ」

「誰にも立花先輩の御休息を邪魔はさせません」

きっぱりと言い切った綾部に、仙蔵が目許を和らげる。

「愛いやつ。

そんなに私と一緒にいたいのか?」

息を呑む。

本音を言い当てられた気がした。

心臓がぎゅうと収縮するのを感じながら、綾部はまっすぐに仙蔵を見つめた。

「立花先輩…」

深い蒼色の瞳が、しっかりと綾部を見つめ返している。

綾部はやっとの想いで深呼吸した。

「僕はあなたを…」

突然、ばたばたと足音がした。

すぱんと扉が開く。

「あー、やっぱり立花先輩ここにいた!」

「こら兵太夫、『失礼します』だろ!」

作法の一年生二人組だ。

伝七はにこにこ笑っている兵太夫の頭を、後ろから無理やり下げさせていたが、凍るような綾部の視線を察して、ひっと息を呑んだ。

気づかない兵太夫はどんどん作業室に入って仙蔵の腕を引く。

「先ぱーい。
斜堂先生が探してましたよ」

「わかった。
今行こう」

仙蔵が笑って立ち上がると、綾部がぎり、と唇を噛み締める。

鬼気迫るその表情に、伝七は青くなった。

「先輩、お部屋じゃなかったですよ。
あれ、ここにいらっしゃるじゃないですか…って、え?!」

戻ってくるなり鋭く睨みつけられて、藤内も青くなる。

しかし、そんな綾部の刺々しい雰囲気も、すぐに霧散した。

仙蔵が綾部の頭を撫でたのだ。

途端に花でも飛ばしそうな感じで表情を緩めた綾部に、伝七と藤内がほっと安堵の息を落とす。

「さぁ、お前たち。
作法委員の仕事だぞ」

「はい!」

はりきる兵太夫と手を繋ながら、仙蔵はいたずらっぽく綾部の耳許で囁いた。

「話の続きはまた今度だ。
今日はありがとう、喜八郎」

美しいその声に、うっとりと目を細めて、綾部は「わかりました」と穏やかに微笑んだ。




 
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