短い物

□AR:虹の端
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────。

薄いオレンジ色をした液体で満ちたカプセルの中で、少年は目を覚ました。

その液体は、色からして明らかにただの水ではないものだが、少年の体に異常が出る気配はない。
同時に、液体の中でありながら少年が苦しむ様子もない。

どうやら、液体自体にそういう効果があるのか、肺で呼吸をせずとも体に酸素を取り入れられるようだ。

味があるわけでもなかったが、飲めば体にイイ効果があったりするんだろうか。

試しに少し飲んでみようと、少年が大きく口を開けた、その時だった。
自分が入っているカプセルの前に誰かがいる、ということに気がついたのは。

──だれ……?

尋ねようとしたが、声は出なかった。
発したい言葉の内容もその出し方も分かるのに、ちゃんと声として出てこない。

不思議に思ったのか、少年はそれから何度も口をぱくぱくとさせた。

「──素晴らしい」

そんな彼の様子を見て、カプセルの外の人物は口角を上げた。

少しばかりくたびれているようだが、白衣を着ているところを見ると、科学者かなにかだろうか。

「この状況、状態にありながら、その意味も正しく理解しないままに言葉を話そうとした。……ようやく、求めていた水準のモノが出来上がった、といったところか」

彼の言葉は難しく、少年には理解できなかった。

理解できないといえば、さっき自分が言おうとした言葉もだ。

“だれ”とはなんだ?
確かに、その言葉の発し方も、使うべき場面もなぜだか分かった。
しかし、この言葉はどういう意味なのだ?
どういう文字を書くのだ?
分からない。

うん? 意味? 文字?
文字とはなんだ? 意味とはなんだ?
それはどういうものなのだ?
……分からない。

考える、という事をしてみるが、次々に疑問が湧いてくるだけだった。

何もかもが分からない中、少年は直感的に両腕を胸の前で組ませ、少し首を傾げた。
もちろん、この格好の意味も分かっていない。

もはや、この一連のことすべてに疑問を抱きそうだった。

白衣の人物はその様子を、満足そうな笑みを浮かべながら、静かに眺めていた。

「……ふふ、そうだろうそうだろう。“分かるのに解らない”。それでいい。君はそういう風に造られている」

「君の脳は特別製だ。あらゆる世界のあらゆる知識を、私の知りうる限り詰め込んだ。だが今は言わば寝起きの状態。全てを知っていても、その意味や概念までは頭が回らないだろう」

「なに、そのうち慣れる。君はそういう風に造られているからな」

「その身体も並ではないぞ。耐寒耐熱は言うまでもなく、耐炎、耐雷、耐氷も標準装備だ。加えて対衝撃に強力な対魔力、そして簡素なものだが自己再生の術式が刻み込んである」

「人の形をしていながら、ヒトでは決してありえない。当然だ、君はそういう風に造られているのでな」

「相手が一般人だろうが一流の魔導師だろうが、およそヒトでないものであろうが、君は敗北を知ることはないだろう」

「そんな君は──いったい、どんな生き方をするんだろうね?」

ひとしきり捲し立てると、そう言って言葉を切った。
その表情は、少しだけ崩れているようにも見えた。

そして、そのまま数秒ほど少年を見つめると、白衣を翻しながら目線を外した。

「──さあ、最後の仕上げだ」

少年に背を向けたままそう言うと、近くのコンソールのそばまで歩いていく。

コンソールには、なにやら書かれたラベルと、赤いボタンがひとつだけあった。

「…………」

そのボタンを感慨深げに眺めながら、人差し指でゆっくりと撫でる。
その仕草と表情は、まるで親しい相手に別れを告げるのを惜しんでいるようなものだった。

やがて意を決したのか、ボタンを撫でていた指をまっすぐに立て、ぐっと力を込めた。

その時だ。

『警告! 警告! 第3ゲートニ侵入者アリ! 第3ゲートニ侵入者アリ!』

けたたましい警報音と共に、機械音声が“この場所”への侵入者の存在を訴え始めた。
壁に備え付けられたランプの赤い光に、白衣が染められる。

近くのモニターを見れば、カメラが捉えた侵入者たちの姿が映し出されていた。

その姿を確認すると、白衣の人物は不敵な笑みを浮かべた。

「──来たか。しかも、よりによってこの2人とは。それだけこの子が重要という事なのだろうな。私にとっても、彼らにとっても。……まあ、無理からぬ事だな」

白衣の人物はそう言いながら、これが最期だとばかりに少年を見つめた。
当の少年は、一体何が起こっているのか分からない、という風情だ。

それを見て少し微笑むと、先程まで名残惜しそうに撫でていたボタンを、今度はためらいもなく押し込んだ。

すると、少年のカプセルの下に魔方陣が浮かび上がり、眩い光を放ち始めた。

「私はこういう魔法が苦手でね。先に準備しておいたのさ」

誰に言うでもなく呟くと、今度は少年に向けて、はっきりと告げた。

「さあ、さようならだ。良い旅を送ってくれたまえ、“我が友”よ」

白衣の人物が言い終えると、カプセルの魔方陣は更に大きく光を放ち、やがてその中心であったカプセルごと、消えてなくなった。

「君を造れて──君と出逢えて、良かった。……時の果てでまた会おう、ジリオン……」

カプセルが消え、その土台だけが残った部屋に、か細い声が響いた。

声の主の頬には、一筋の涙が伝っていた。

 
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