■□ 愚者の溜息 □■


「はぁー…」
「15回目」

陽も麗らかな午後の上忍待機所。
窓の外を眺めながら何度目かの溜息を吐くと、向かい側のソファに腰掛けていたアスマがその回数を教えてくれた。

「ったく辛気臭ぇヤローだな。何なんだよさっきから」
「アスマにゃ関係なーいよ」

苛々したように舌打をしてこちらをジロリと睨んでくるもんだから、俺も何だか面白くなくて素っ気無く答えてやった。

「傍でそう何度も溜息吐かれりゃ誰だって嫌んなるっての。どうせイルカと喧嘩でもしたんだろ?」
「うーん…ちょっと違う、かな」

喧嘩はしていない。
喧嘩はしていないけれど、ここ数日イルカ先生には逢っていなかった。


自分で言うのも何だけど、俺がイルカ先生に逢わないでいるなんてとんでもなく一大事だと思う。
本当は今だってイルカ欠乏症で発狂寸前なのだ。
多分、このまま先生に逢わないでいたら禁断症状で頭がおかしくなるだろう。


「何だよその歯切れの悪ぃ言い方はよ…」

アスマは吸っていた煙草を灰皿に押し付けると、こちらへ身を乗り出してきた。

「もうそれ以上溜息吐かれんのも我慢ならねぇからな、このアスマ様が相談に乗ってやるよ。おら、さっさと言ってみろ」
「相談、ねぇ…」


この髭男が色恋沙汰に詳しいとはとても思えないが、コイツはあの紅姐さんの恋人だ。
恋人が持てる程の甲斐性があるならば、この胸のモヤモヤを解消する上手いアドバイスを導き出してくれるかもしれない。
それにイルカ先生との付き合いは、悔しいけれど三代目の息子だけあってコイツの方が長いから。

「俺、さ。 ここ数日イルカせんせと逢ってないんだよねぇ」

それがどうした、と目で言っている。
ま、他のカップルなら数日会わないなんてどうって事ないんでしょうけど。
でも、俺とイルカ先生だよ?
本当は仕事中だって離れたくないってのに…

顎で続きを促され、また口を開いた。

「何で逢わないでいるかってゆーと、自分がどんくらい我慢できるのか試してみてんのね」

任務で里を長く空ける事は珍しくはないから、それで逢えないのは任務だからと割り切る事が出来る。
だが、里に居て何時だって会いたい時に会える状況の中で、会わずに我慢していられるのはどの位の期間なのだろうか。

「…何ワケ分かんねぇ事やってんだ、お前」
「んもう。続きを聞きなさいよ、続きを」

俺の不明瞭な発言に業を煮やしたのか、吸いかけの煙草を投げつけられた。
ひょいとそれをかわしてアスマに投げ返すと、話を続ける。

「どうしてそんな事したかって言うとね、俺の存在って、ホントはイルカ先生の人生にとってすっごい邪魔なんじゃないかなぁと思ったからなのね」

俺の言葉を聞いて、アスマが眉間に皺を寄せた。

「…イルカにそう言われたのか?」
「まさか! あの人がそんな事言うワケないじゃない」
「じゃあ何で突然んな事思ったんだよ」

予想外に強いアスマからの反応に、内心ちょっと吃驚していた。
こいつが何だかんだ言って俺やイルカ先生の事を気に掛けてくれている事は知っている。
だがこんなに真剣に俺の話を聞いてくれるなんて思ってもみなかったのだ。

――本当は自分の弱い所を誰かに見られるのは好きじゃないけれど、コイツになら見せてやってもいいか


「…イルカせんせが子供好きなのは、お前も知ってるよね? でも俺達は男だし、どんな術使ったって子供は作れない」
「そんなこたぁイルカだってちゃんと分かってて、それでもお前を選んだんだろ?」


確かに、そうなのだけど。
俺と付き合うまではノーマルな恋愛しかしてこなかった彼。
きっと彼の未来予想図にはいつか素敵な女性と結婚し、子供達に囲まれた温かな家庭を築くという絵が描かれていた筈だ。

だけど、俺はそんな彼の幸せな未来を奪ってしまった。
決して口には出さないけれど、道行く親子を彼がとても優しい瞳で見詰めている事を俺は知っているんだよ。


「そりゃそうなんだけど…。でもさ、俺達は忍でしょ? その上俺は上忍。何時死ぬかなんて分からないじゃない」


もう一度視線を窓の外へ向ける。
ここからはアカデミーの一部が見渡せて、時折想い人の姿も見ることが出来るのだ。


彼はアカデミー教師として里に常駐しなければならない。
そして反対に、戦忍である俺は命が下れば命を投げ出してでも戦わねばならない役目を負っている。

「イルカせんせがちゃーんと俺の事を愛してくれてるのは分かってるよ。だけどさ、俺があの人無しじゃ生きていけないみたいにあの人も俺無しじゃ生きて行けなくなっちゃったら、俺が死んだ後また辛い思いさせちゃうだけでしょ」

だから、今ならまだ間に合うかと思ったのだ。

俺さえ彼の前から姿を消せば、彼の未来はまた軌道修正されかつての彼が望んでいた方向へと進むんじゃないか。
俺が先逝く事で彼に昔の様な辛い思いをさせる事も、これで無くなるのではないか、と。

もしそうなれば俺はいずれ里に居る事に耐えられなくなるだろう。
志願して長期任務にでも出るか、他に好きな相手でも作るか――。

多分後者は不可能だろうから里を出るしかないのだが、果たして彼に会えなくなった自分はどの位マトモなままで居られるのかを試してみたかったのだ。


「…じゃあお前ぇは、イルカが自分以外の誰かと幸せになってもいいと、そう思ってるのか?」

アスマが下を向いたまま、地を這う様な低い声で言った。

「だとしたら、お前のイルカへの愛情って奴ぁ、大した事無かったって事だな」
「そんなワケ…っ」
「だってそうだろうが! 男同士だとか上忍だとか、んなこたぁ始めっから分かってた事だろう?俺だったら何時死ぬか分かんねぇからこそ、テメェのしたい様に生きるぜ。
好きな女が居りゃ一緒にいてぇし、生きてる限りソイツの事は誰にも渡さねぇ。好きとか愛してるって、そういう事じゃねぇのかよ!」


普段余り大きな声など出さない奴が待機所に響く程の大声で怒鳴った。
突然の出来事に少し離れた所でアンコ達と談笑していた紅が何事かとこちらに目を向ける。


「俺ぁそんな泣き言言って逃げようとする様な奴に大事な弟分任したつもりはねぇ。イルカは止めた俺にテメェの人生全てをお前に捧げるって言い切ったんだ」
「え…」
「何もかんも全部承知した上で、それでもお前と添い遂げるって覚悟決めたんだよ。それなのにお前がそんなんじゃ、アイツは本当に他あたった方が幸せになれるんかもしんねーな」

アスマはそう言い捨てると、ちっと舌打をしてまた煙草に火を点けた。


…知らなかった。
イルカ先生がそんな風に思っていてくれた事も、アスマがこんなにも俺達を心配してくれていた事も。


――アスマの言う通りだ。
俺はただ何かしらの理由を付けて、彼の温かい家庭を築くという未来を奪ってしまった罪の意識から逃げ出したかっただけなのかもしれない。


「…サンキュー、アスマ。なんか目が覚めたよ」


何時死ぬか分からないからこそ、1秒だって無駄に出来ないんだ。
この恋が実ったあの日、自分に残された全ての時間と己の持てる全てを賭けて、一生彼の側に居ると心に誓ったじゃあないか。

俺はもう彼無しでなんか、生きていけないんだから。
自惚れても良いのならば、彼もきっと――。


「こうしちゃいられないっ!!悪いけど俺、イルカ先生に逢いに行って来るねっ!!」

ガラッと待機所の窓を開けると、足を窓枠に掛ける。
身体を外へと投げ出す瞬間、アスマに向かって思いっきり叫んだ。


「ありがとアスマ!お前の紅への気持ち、よーっく分かったよー!!」
「こんの馬鹿ッ!!」

アスマの面食らった顔を見届けてから、後はイルカ先生のいるアカデミーへと一目散に駆け出した。



俺は馬鹿な事をしたよ。
ほら、もうイルカ欠乏症で全身震えがきてるじゃないか。
急いで満タンにチャージしなくっちゃ、マジで命が危ない!



アカデミーの渡り廊下に揺れている黒い尻尾。
後ろから抱き付けば、きっと真っ赤な顔して怒り声を上げるだろう。

「いっるかせーんせーッッ!!」

(ホント、ありがとね。アスマ)

大好きな彼の名前を呼んで、振り返ったその胸に力一杯飛び込んでいった――。


――――


「ちょっと! 一体何の騒ぎだったのよ?!」

カカシの叫んだ無い内容に紅が頬を染めたまま詰め寄ってくる。

「…何でもねーよ」
「そんな訳ないじゃない!もう恥ずかしいったら…」


そうだぜ。
俺たちゃ何時死ぬかなんて分かんねぇんだ。
だから何時死んでもいい様に、悔いなんて残さねぇ様に。


「なぁ紅。この後映画でも見に行くか」
「え?いいけど…。どういう風の吹き回し?」
「何でもねぇって。おら、行くぞ」


立ち上がって待機所の扉を潜る。


デートなんて単語が使える様なガラじゃねぇからな。
俺にゃこんな誘い方しか出来ねぇんだよ。
そんな事、お前も良く知ってるだろ?


「…精々、互いに後悔のねぇ人生送ろうぜ。カカシ」
「なんか言った?」
「いーや何も」


ふと、遠くでアカデミー教師の怒鳴る声が聞こえた様な気がした。
ニヤケた顔で殴られているだろう同僚の顔を思い浮かべながら、咥えた煙草に火を点けた。


end


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