story
□induce
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「あ、……」
ふとした瞬間、手から滑り落ちたコップ。
ガラスで出来たそれは、床へと到達すると同時に
脆くも砕け散った。
本来の形を無くした破片に目を奪われ、
誘われるまま手を伸ばす。
「久保ちゃん、今すげー音したけど……って、何やってんだよお前!」
「え?」
「て!」
「手?ああ……」
自分でも気づかない内に、拾い上げたガラス片を握り締めていたらしい。
指の間から滴る血が、フローリングに小さな染みを作る。
「来い」
有無を言わさない態度で腕を引かれ、 ソファーに座らされる。
まだ握ったままだったガラス片を俺の手から奪い、消毒液を染み込ませたガーゼで
血と傷口を拭う時任の姿をただ、じっと見ていた。
決して器用とは言えない手付きで包帯を巻ながら、何やってんだよ、
と小さく繰り返した。
「うん、痛いのかなーって」
「痛いに決まってるだろ、バカ」
怒った口調とは裏腹に、包帯を巻き終えた俺の手を握る時任の手は、
どこまでも優しかった。
「うん。痛い、よね」
ガラスで切るよりも
傷に滲みる消毒液よりも
白い包帯の上から触れる時任の手が
何よりも痛かった。