一次創作(オリジナル)小説


□冥府の魔女と狼の執事 1
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 ヘルが冥府から離れ、生きた人間が住むこちら側の世界に居るようになってからは
『魔女』の異名を持つようになった。
名の由来は至って単純。
ヘルが起こす動作一つで無機物である物質に例外なく生命が宿り、
他にも前触れも無い非科学的な現象を起こすことからそう呼ばれている。


 聞くからに物騒な名前を持つヘルが何故姫達に感謝されるのか――。


 それは彼女達の恋路を発達させるために悪として王子と対峙しているからだ。
ある時は姫を茨の城に閉じ込めた悪い竜として王子と戦い、
ある時は人間の王子に恋をした人魚を歌声の代わりに人間に変じさせた。
毒林檎と称して、白雪の姫を仮死状態にさせたこともあったか。


「まあ、そんな悪名高い魔女も最初の頃は良き事をしていたがな……」

 遠くを見つめ、隠居生活をし始めて間もない頃を思い出す。
まだリゥルを拾う前の話だ。


 夜遅くに玄関の扉を叩く音に起こされ、ヘルは不機嫌な態度を直せぬまま来客を迎えた。
魔女の屋敷に臆する事無く足を踏み入れたのは、一人の男だった。


 彼は「灰かぶり」の意味を持つ少女の父親だと名乗り、
病弱な体に鞭打ちながらもヘルにこう懇願した。


『魔女よ、どうか娘に幸せを与えて下さい。
代わりにわたしを奈落に落としても構いません。
わたしが死んでから、娘はきっと辛い目に遭うでしょう……。
娘を想う父の気持ちを、貴女様が分かってくださるなら、
わたしの命一つで娘に幸福を与えてやってください……』


 父親は稀に見る、清い心の持ち主だった。

 生きている間も誠実に暮らし、公爵令嬢である一人の女性を純粋に心から愛して――、
やっと愛娘を儲けた。
妻亡き後も娘のために身を粉にして働いた。実に家族想いの男。


 ヘルは父親の要求を呑んだ。

『構わぬよ。まあ、今すぐという訳にはいかんがな。
何事も見返りというものが存在する』

 父親は一瞬渋い顔をしたが、すぐに首肯してくれた。
それを合図に契約は成立した。


「灰かぶりの少女は伯母に引き取られた後、
貴族の令嬢でありながら使用人宜しく、よく働いたらしいからな」


 灰かぶりの少女が住んでいた国は此処からだいぶ遠い。
駿馬を走らせたところで速くて五日、遅ければ七日以上もかかる。

 だが、ヘルにとってそんなことをせずとも、灰かぶりの少女の行動を把握出来る。
水さえあれば、その水面に見たい光景を映し出す術を既に身に付けている。


「私にとっては、ヘル様がニンゲンとの約束を、純粋に護っていたのが不思議でなりません」

 片手に持ち上げたフルーツケーキにナイフを入れ、リゥルは溜息混じりに呟く。
そんな彼をじとっとした目で睨む。


「一言多いぞ、リゥル」

 まさにリゥルの言葉通りなのだが、その事実を素直に肯定するのも癪なので適当に誤魔化す。


「まあ、我が手伝ったのは精々ボロボロになった灰かぶりの少女のドレスを
美しく作り変えただけだがな」

 伯母の娘二人の手によって無惨に引き千切られたドレスを見かねて、
ヘルは少女に更に美しいドレスを贈呈した。
その後に起きた王子との邂逅などは少女の強運だ。
ヘルが手を下したのはドレスを贈っただけ。


「ヘル様……非常識ですが、一言申し上げても宜しいでしょうか?」

 嫌な予感はしたが、拒否してもリゥルは無視して言うだろう。
 なんだ、と肩を落としながら問う。



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