6学園テキスト

□5 出会い、別れ、出会い、未来。
1ページ/9ページ



遂にきた。ようやく、ここまでこぎつけた。
あんたに出会って、直感で欲しいと感じて。
それから四年だぜ?
それなりに歳を経た奴からすれば、四年なんてたいした年月じゃないかもしれない。
四年。一四六一日。三五〇六四時間。
よくこのおれが、ここまでもったと。我ながら関心せざるを得ない。
しかし。本当に、心から欲しいと願ったものに関しては、人間は限りなく貪欲であるのかもしれない。貪欲な欲望の前には、我慢がそれなりに必要で。
だから、そう。それは、もう本能的なもの。おれだろうと誰だろうと、そう大差はないもの。
独占欲? そんな生温いもんじゃない。
支配欲? そんな言葉じゃまだまだ足りない。
もっと簡潔で、込み入っていて、獣じみている感情。
この日をどれほど待ち望んだか。
四年という歳月を乗り越えて、おれは紫苑の同室で暮らす権利を勝ち取った。









会長が出て行った(おれが追い出したが)ことに関しては、紫苑は特に気にしなかった。
『生徒会の仕事を思い出したから、帰るって言ってたぜ』おれの言葉に、『そうなんだ。じゃあ仕方ないね』なんて即座に納得した。
……相変わらずだな、紫苑。
誰からも汚されず、自ら汚れに手を染めることもなく、四年前と変わらぬままでいてくれたらしい。
しかし、そうだな。敢えて変化を語るのなら。背が伸びた。身体つきが、線が細いながらにしっかりした。声が少し低くなった。とか。
まあ、すべてにおいておれよりは乏しい変化だけどな。


「はい、お待たせ。オススメなんて言ったから、ダージリンにしたよ」


三つ揃いのカップに、上品よく七分目くらいまで注がれた紅茶。立ち上る湯気を見て思う。
ああ。なんて平和なことだ。
どんなに豪勢な食事も、どれだけ高級な菓子も敵わない。鼻腔を擽るくせのある香り。紫苑の、笑顔。
ああ。なんかもう。やばい。こういうの、幸せっていうのか?
今まで縁のなかった状況にしばし酔いしれていると、訝しげな顔をして紫苑が言った。


「ネズミ? 何、その顔……どうしたの? ネズミって、そんな変な笑い方する奴だったっけ?」


変な顔じゃない。幸せな笑顔だ。少しは察しろ。
しかし紫苑に見抜かれる程、おかしな顔をしていただろうか。むしろ、どんな顔で笑ってたんだおれ。
自分自身を制御できなくなるくらい、おれは心から紫苑との再会を喜んでいるらしい。
それにしても。紫苑はおかしな笑いこそしないものの、素直に言葉や態度で感情を示してくる。
さっき理事長室で再会した時も。理事長室を出てからも。ここに向かう道中、会長におれを紹介した時、今、紅茶を飲んでいるこの瞬間も。
紫苑は、やはりおれとは正反対の存在だ。
紫苑は我慢することなく、自分の感情を吐き出すことができる。
怒りであれ、喜びであれ、哀しみであれ、驚きであれ。
対するおれは、極力他人には本心を見せない、器用だけれどある意味不器用な生き方をしてきた。
紫苑の前でなら素直に認める。こういうのも、器用貧乏と、いうんだろうか。
こんな風に対極に位置するおれ達だからこそ、互いにこんなにも惹かれ合うのかもしれない。
おれは紫苑の話を聞きながらも、そんなことを考えていた。


「ネズミ? 聞いてるか? もしかして疲れた? もう休む?」
「あ、え? ごめん、ぼーっとしてた。疲れてなんかない。おれを甘く見るなよ」
「甘くなんて見てないよ。部屋のことだけど――」


紫苑が入れた紅茶を飲みながら、止まることなくずっと話し続けた。
四年間の空白があったから話題には事欠かなかった。
むしろ、会うのは二回目。話題がなかったら、それはそれでまずいかもしれない。




出会って、すぐに欲しくなって。
二度目の再会でもう隣の立場を手に入れた。我ながら、好成績。順調に事は進んでいる。
今までだって欲しくなったものは逃さず得てきたが、こんなに達成感を味わえたことはない。
だが、まだだ。現時点では立場を得ただけ。
まだまだ欲しいものは沢山ある。
その心、身体、思考、声、果ては細胞に至るまで。あんたの、すべてが欲しいから。まだ、始まったばかり。
幸いなことに、紫苑と居られる時間は他の誰よりも長い。二人、離れている時間の方が短いくらいに。


がっつかないで。焦らないでいこう。ゆっくり、けれども確実に。
紫苑、あんたを手に入れる。おれのこと以外、考えられなくしてやるよ。




紅茶を飲み終えた頃。
食器の片付けを手伝っていると、紫苑が嬉しそうに振り返って言った。


「ネズミ。今夜は、話が尽きる程語り倒そうな!」


いや、語り倒すっていうより、押し倒してしまいそうなんだけど。









寝る支度を整えて二つの部屋の間の空間で話をしているうちに、紫苑は操られるようにぐらぐらし出し、止める間もなくことんと眠りについてしまった。
おい。語り倒すんじゃなかったのか。
こいつ、合宿かなんかで人が沢山集まった時、「最後まで起きてる!」とか言ったくせに一番最初に寝入るタイプだ、絶対。
まあ、いいか。起こしてまで聞かせたいことがあるわけでもない。
互い離れていた時のことは、明日にでもゆっくり話せればいい。
規則正しい寝息を立て始めた紫苑を起こさないように抱き抱え、おれは紫苑の部屋に入った。


四年前に入った、紫苑の寒色の部屋。それと似たような雰囲気と匂いを感じた。
やはり、必要最低限のものしか置いていない。まぁそれは、おれもだけれど。
備え付けなのはデスクのみ。仕送りで買い足したのだろう、ベッドと本棚。それ以外、この部屋に家具はない。
几帳面な程に片付けられた部屋だ。本棚には専門書が隙間なく並べられている。
なになに、「シナプスの構造とメカニズム」「神経系細胞の解析と歴史」「人体解剖図鑑最新版」……。
……紫苑、ぽやっとしてるくせによくこんな事典みたいな本読む気になるな。
どちらかというと起承転結のある物や歴史が好きなおれが、特に心惹かれる文献は見当たらなかった。
ふっと興味を失い目をそらし、薄水色のシーツが敷かれたベッドへ紫苑を下ろす。
ゆっくり身体を横たえてやると、紫苑は安心したかのように寝返りを打った。
ふとその拍子に、ちらりと覗く白いうなじ。
どくん。心臓が脈打った。どうしようもなく野性的な衝動にかられそうになる。


あの無防備なうなじ、首筋、鎖骨、胸元、日を浴びない真っ白な肌に噛み付きたい。
引っ掻いて、爪を立てて、傷を付けたい。思う存分、余すところなく触りたい。
そして――。


……待て。これから生活を共にするっていうのに、初日からこんなでどうする。
落ち着け。おれは経験のないそこいらの中坊とは違う。我慢、抑制はそれなりにできるはずだ。
今ここで無理矢理及んでしまったら、この先紫苑に合わせる顔がない。
いや、平静を装っていること、おれはできるけど、紫苑との関係が壊れてしまう。無機質な、よそよそしいものになるだろう。
落ち着け落ち着け、おれ。若いからっていつでもどこでも元気なのは問題だぞ。
目をつむり、息を吸い、息を吐く。
焦ることはない。何もないんだ。
一時の快楽に身を委ねる暇があったら、少しでも絆を強めなければならない。
多少のことで揺らぐことのない、断固とした絆を。誰も立ち入ることのできない、隙間のない関係を。
大丈夫、できるさ。自分に自分で暗示をかける。
おれはネズミだろう。しかも、ただのネズミじゃない。ルサルカの看板、華を背負うイヴだ。
たゆまぬ地位を築くまで、決して欲望を表に出さない。……できるだろう?
――当然。
紫苑を怯えさせて得る愛なんて、所詮まがい物でしかない。
おれが欲すのは、無償の愛。それを手にする為に、今ここに居るのだから。無様な醜態を、曝すかよ。
落ち着いてから、改めて紫苑を見下ろす。いつの間にかまた寝返りをうち、今はこちら側、おれに顔を向けている。


「紫苑、安心して眠れ。暖かい夢に包まれ、朝まで、深い眠りを」


呟いてから、おれは幸せそうに眠るその頬に、軽く唇を押し当てた。





次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ