お題テキスト

□『S』 still
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『S』


暖かい橙色のアークトゥルス。
小さなデネボラ。
青白く美しいスピカ。
深闇を切り裂いて輝く小さな宝石。それはここからじゃ本当に小さくて、目を離した隙に見えなくなってしまいそうな程、か弱い。
だから目が離せない。コンビニの大袈裟な光に負けて、星たちが一時息を潜めた時ですら。
春の澄んだ空気の中、きみと二人夜空を仰ぎながら歩いていた。


「危ない」


不意に強い力に抱き寄せられる。引き寄せられた方を見ると、呆れたように目を細めるきみの顔。


「ありがとう」
「ふらふらと人んちの庭に突っ込んでいかないでくれる」


ぶっきらぼうな声だけれど、ぼくは知っている。きみはぼくが道を逸れていかないように、いつも見守ってくれているんだってこと。


「だって、綺麗なんだ」
「なにが?」
「星。今夜は空気が澄んでるから、綺麗に輝いてる。……でもここじゃ、灯りが眩しすぎて見えにくいな」


施設の明かり、道端の街灯、家々から漏れる暖かい光。
この街は星の瞬きを遮る光が多過ぎる。これじゃ星座はおろか、名のついた星を見つけることも難しい。


「こっち」


ぼくのぼやきを聞いて、きみは肩を抱く手に力を込めてぼくをエスコートする。道から逸れて人気のない、暗闇の方へ。


「え? なに」


肩をがっしり抱かれたまま、ぼくは抗いようもなくきみが導くままに歩く。
照明から逃れて住宅街へ、住宅街の細道を縫って街路樹の立ち並ぶ闇の中へ。
初春の外気に肌が痛むけれど、きみが触れるところだけは温かい。ぼくの好きな、安心できる温度。それのおかげで、見知らぬ暗闇も不思議と怖くはない。
でも、動揺はする。


「どこに」


ぼくのいぶかしむ声を受けて、きみは素っ気なく言う。


「見えないって言ったろ? ここなら、さっきよりはましかと思って」


ざっと砂を鳴らしながら辿り着いたそこは、歩くのに必要最小限の灯りしかない公園の中だった。
確かに灯りが少ない分、星を見つけやすい。さっきまでは見えなかった、名前も知らない星まで見えるようになる。


「わぁ。色んな星座を見つけられそうだ」


はしゃぐぼくに満足そうに鼻を鳴らして、きみは近くにあったベンチに腰を下ろした。


「それはよかった。気が済むまで、天体観測したら」


痺れを与える程に冷えた風を拒む為、きみは着ていたパーカーのジッパーを首元まで一気に上げる。
どうやら、ぼくの天体観測に付き合ってくれる気らしい。無表情なのに、優しいきみ。
その優しさに甘えて、ぼくはひっくり返りそうなくらいに身体を傾けて空を仰いだ。


「綺麗だ。牛飼座のアークトゥルス、乙女座のスピカ、獅子座のデネボラ。春の大三角形がはっきりと見えるね」


ぼくの言った星が見つけられないのか、夜空を見上げて固まってしまうきみ。ぼくはその目線に合わせて、指で辿るようにゆっくりと大きな三角を描いてみせた。


「本当だ。三角があるの、夏だけじゃないんだ」
「有名じゃないだけで、大三角はどの季節にもあるんだよ。それと、あれが猟犬座の星、コル・カロリ。さっきの春の大三角とコル・カロリを結ぶと、ひし形になるだろ? それを、春のダイヤモンドっていうんだ」
「コル・カロリ? 初めて聞いた。さすが理数系、だな」


感心したように息を洩らすきみに機嫌をよくして、ぼくも再び夜空を見上げた。流れ星を探すように目を凝らし、目の前に広がる夜空のパノラマを満喫する。
耳を澄ませると、色んな音が聞こえるような気がする。地球が回る音、星が瞬く音、空気が流れる音。
小さく息づく自然の邪魔をしないよう声を潜めて、きみはぽつりと言った。


「星を見る度に不思議で仕方ない。なんで星は、あんなにきらきら光って見えるんだろうな」


その問いに、ぼくは一つ頷いてから答えた。


「星の中の水素やヘリウムが、核融合反応を起こして莫大なエネルギーを作っているんだ。太陽みたいに燃えているから、小さくてもあんなに光って見えるんだよ」


ぼくの真面目な模範的解答に、きみは嘆息をついた。


「そんな科学的な答えが聞きたいわけじゃないんだけど。あんたにロマンチックさを求めるのは無理な話だったか。ったく、これだから理数系は」


先程褒め言葉として使った単語を今度は皮肉に用いて、きみは芝居がかった風に大袈裟に首を振った。


「じゃあなんて言えばいいんだよ」
「綺麗だねとかいいながら、おれにしなだれかかってくればいい」


どうして星を見上げながら、わざわざきみに寄り添わなければならないのか。天体ショーを満喫したいぼくには理解しかねることを言う。
でも、そんなことを言ったら最後、きみは機嫌を損ねて公園から出て行ってしまうだろう。せっかく二人で星を見上げることができたのに、それは嫌だ。
だとしたら、なんて返事をしよう。
ぼくが一人で答えあぐねていると、きみが再び口を開いた。


「どうせ理数系のあんたは、星座一つ一つに神話があるのなんか知らないんだろう?」


星に神話がある。授業でそんなようなことを聞いた気もするけれど、はっきりとは知らない。きみの問いに、ぼくは素直に頷く。


「あんたが教えてくれた星にも、ちゃんと神話があるんだよ。獅子座は、英雄ヘラクレスが倒したライオンが、天に昇って星座になったものだといわれてるし、乙女座には何人もの女神の逸話が伝わっている。イシュタル、イセト、デーメーテル、ペルセポネー。まだ解明されていない謎だって、数多く残ってる」


初めて聞く話や女神の名前に、ぼくは星から目を離してきみを見た。


「聞いたことのない名前ばかりだ。きみはすごいな。色んな話を知ってる。さすが文系」
「でもおれ、コル・カロリなんて星、知らなかったもん。あんたも同じくらい、すごいよ。おれには劣るけど」


暗がりの中、きみの表情は伺えない。でも声や雰囲気から分かる。
きみは今、笑っている。ぼくの大好きな、素直な笑みで。


「ぼくときみは、足して割ったくらいがちょうどいいのかもしれないな」
「冗談。足したらあんたと一つになっちまうだろ。別におれ、あんたと一心同体になりたいわけじゃないもん。別の意味でなら合体したいけど」
「ばか」


暗闇に慣れてきた目で、きみの座るベンチを探って隣に腰を下ろした。ひんやりと冷たい感触を緩和してくれるかのように、即座に腰に回される腕。
ぼくの大好きな、安心できる温度。ぼくはきみの熱が、声が、自分が持ち得ない知識が、振る舞いが、きみのなにもかもが大好きだ。きみがしてくることで、嫌なことなんて一つもない。
温かい熱に寄り添って、少し高い位置にあるきみの肩に頭を預けた。風に乗って、きみの匂いがする。
自分の持っていない知識を分け合って、これからも暮らしていこう。さっき言われたようにきみにしなだれかかって、小さな声で呟いた。
未来の話を嫌うきみでも、それには笑って頷いた。





―――

still

穏やかな、音のないしんとした

―――


2010.04.05






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