お題テキスト

□家出
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『い』


犬が、一匹見当たらない。
おかしいな。
さっきまで、他の仲間とじゃれてたはずなのに。


おれは、犬に名前なんてつけていない。
だって。野生に、そんなもの必要ないから。
名前をつけて固有化するなんて、人間だけ。
おれはそんな人間臭い真似はしない。

おれ自身だって、名があるようでない。
『イヌカシ』なんてものは、いつからか付けられたただの呼び名。
おれに名前は必要ない。
だって。おれは、人間の姿をした、犬だから。






「犬が、あのブチのチビが、いねぇ」


建物内にいる、今日は仕事がない犬たちに告げる。
おれの声に、うずくまっていた犬達が顔を上げた。
視線をおれに定め、耳を動かす。


「おおかた遊びに夢中で遠くまで行っちまったんだろうが。日が落ちたら探すのが面倒だ。おまえさんたちの鼻で、あいつを探せ」


そう指示をしたのとほぼ同時に、早速数匹が外に飛び出した。
出て行ったのは、おれの犬の中でも脚力に自信のある奴ばかり。
あいつらの鼻と足があれば、小犬は夕暮れまでには見つかるだろう。
あとは犬が小犬を連れて戻るのを、パンでもかじりながら待てばいい。
なんて有能な、おれの家族だ。人間なんかに、劣らねぇよ。


どっかりと社長椅子(スプリングがイカレた回転椅子。紫苑が名付けた)に腰掛けると、一頭の雌犬が近寄ってきた。
おれの膝に、軽く鼻を押し付けてくる。
その犬は迷子犬の母親だ。


「なんだよ。あいつらが出て行ったんだ、すぐ見つかるって。心配すんな」


人間には決して聞かせないような、優しい声を出す。
それでもまだ親犬は、しきりに鼻の頭をこすりつけてくる。
その仕草が意味すること。
本能で、理解する。
『たちあがれ』


「あいつらだけじゃまだ心配だってのか?」


鼻先を軽くかわしながら問うと、肯定するかのような眼差しを向けてきた。


「あ、そうか」


そこまで熱心に子を探そうとする理由。
不意に行き当たった。


「おまえさん、初めての小犬なんだったな」


そうだ。
こいつは、いなくなった子犬の母犬。
しかも、先日が初産だったのだ。
初めての我が子が、愛おしくてたまらないらしい。
自分もいなくなった子供を探しに行きたいが、他にも子供がいる。自由に動けない。
そう、訴えてくる。


「ったく、わかったよ、わかりました!おれも探しに行きゃいいんだろ」


畜生、母犬の想いを悟ってしまったら。
もう探しに出ないわけにはいかないじゃねぇか。
こすりつける鼻先を軽く撫でてやり、おれは社長椅子から立ち上がった。







小犬は、なんとも呆気なく見つかった。
おれがホテルを出るや否や、探しに出た犬たちが戻ってきたのだ。
いなくなったブチ模様の小犬を口にくわえて。
まだ遊び足りないのか、途中で連れ戻されたのが不満なのか、くわえられたブチ模様はきゅんきゅん鳴いている。


「おまえさんたち、さすがだな」


探しに出た犬たちの身体を、労いを込めて一頭一頭軽く叩いてやる。
と、ブチ模様が近付いてきた。
手間かけさせたことなんてまるで気にしない風にご機嫌で。
尻尾をぶんぶん振り、目を輝かせている。


「よお、放浪犬」


わしわしと頭を撫でてやると、小犬はその手にじゃれついてきた。


「どうだ。初めての一人旅は楽しかったか?冒険も結構だがな、チビ。あんまり、家出ばっかりしてママに心配かけるんじゃねぇぞ」


おれも幼い頃、こんな風におふくろに心配かけたんだろうか。
世間知らずの小犬を見下ろし、そんなことを考えた。







当たり前だが、おれは犬程鼻が利かない。
足にも常人以上の自信はない。
そんな、匂いで迷子を探すことができないおれに、できること。

それは、癪だけど名前を呼び掛けることだ。
このブチ模様は、また気ままに冒険に出ちまうんだろう。
そうしたら、また母犬に『探しに行け』とせがまれる。
そうなった時。
名前がないと不便だ。


「仕方ねぇ。チビたちにだけでも、名前つけてやるか」


どうせつけるなら、愛着のわくような名前がいい。
そんな、人間じみたことを考える。

そうだ。今度紫苑が来た時に、名付けてもらうことにしよう。
あいつならきっと、ぴったりの名前を考えるだろうから。




―――

家出〔いえで〕

帰らないつもりでひそかに家を出ること。
外出すること。


―――


09.02.06






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