お題テキスト

□鼻歌
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『は』


ふと、目を覚ました。
寝転んで本を読んでいたはずが、いつの間にか寝入っていたらしい。
まったく、迂闊だなことだ。
一人でいた時には考えられないくらい、無用心になった。
それもこれも、突然増えた居候、白と赤を持つ住人の影響だ。
平和な空気に浸りすぎて、おれまでぼけちまったのか。


でもまぁそれも、悪くはないか。


壁側を向き、紫苑に背を向けて寝転んでいる。
少しずつ、朝霧が晴れていくように意識がはっきりしてきた。
気配的から察するに、紫苑は隣で寝転んではいない。
少し離れた、椅子に腰掛けているようだ。
おれは寝返りをうとうとした。
が、やめた。

だって、聞こえたんだ。
あんたの、うたが。
正解には、鼻歌が。


歌なんていえない、なんてことない旋律だけど、静かに聞こえてくる。
上がり、下がり。
延ばし、止まり。
それを繰り返し、繰り返し、音程を作り上げていく。
おれの方から、歌を聞かせたことはない。
だからこれは、紫苑の持ち歌か。


しかし、鼻歌のくせに。なんて下手なんだ。
これに言葉を乗せた日には、世界中の歌手が歌うのを放棄してしまいそうな。
歌うことを、馬鹿らしく感じてしまうかもしれないような。
はっきり言ってそのくらい絶妙なものだった、紫苑の歌は。


でも、聞いているうちに、だんだん心が穏やかになるのを感じる。
歌ではなく、旋律ではなく何がここまで癒しの効果を持って、この部屋の空気を和らげているのだろう。


眠っているおれに気遣ってか、紫苑は控えめに音を奏でる。
上がり、上がり。
上がり、下がる。


そうか。
音程でもなく、曲調でもなく、おれを和ませているもの。
それは、声だ。
紫苑の、声。
おれは、それにひどく癒されている。
あんた、やっぱりいい声をしているんだな。
小ネズミが朗読をせがむだけある。
小ネズミだけじゃない。
おれも、あんたの声に惚れ込んでいたのか。
耳に心地いい、微かな低音。
おれほど音域は広くないが。


なんとなく聞き込んでいたら、再び眠気が訪れた。
こんな、うたた寝なんて、珍しい。
あんたが傍にいることで、おれ自身、心から安心しきっているというのか。


手に汲んだ砂を、隙間から少しずつ逃がすように。
そんな風に緩やかに訪れた睡魔に、おれはゆっくり意識を手放した。
あんたの、下手な鼻歌を聞きながら。




――――

鼻歌〔はなうた〕


鼻にかかった低い声で歌をうたうこと。
その歌。


――――


08.05.15





 

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