お題テキスト

□ささやか
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いつものように演劇じみた口調で、よそいきの顔をしたきみが言った。

本日は、一年に一度の祝いの日。
他でもない陛下ご自身がお生まれになった、記念の日。
365回に一度しかない今日くらい、あなたさまを甘やかして差し上げましょう。
さぁさ、なんなりと願いをお申し付けください。
本日のわたくしは太っ腹でございます。
あなたさまのご希望に添えるよう、精一杯尽力いたしましょう。

そう言って、胸に当てていた手がなめらかに差し出される。
本物の演劇なんて観たことはないけれど、舞台の上から役者に見つめられた一般人は、こんな風に浮ついた心地になるんじゃないだろうか。
雲の上を裸足で歩くようなふわふわとした気持ちで、優しく微笑むきみを見つめる。
はにかみながらその手をとった時、ぼくの願いは既に決まっていた。









「それが、これか」


いつものように一人掛けの古いソファに腰掛け、長い足を組むネズミを、ぼくは正面から見つめている。
大判の本を積み上げて作った即席の机を隔て、床に座るぼくはネズミを見上げる格好をしている。
背もたれや肘掛けのカーブに沿って鋲が打たれたソファは、色があせてもなめらかな光沢を放つ。
左の肘掛けにマグカップを乗せ、右に肘をつき、ネズミは居高に溜め息混じりの言葉を吐いた。


「望みを叶えてやるとは言ったさ。こんなことをふっかけられる予定じゃなかったからな」


肩をすくめた時、どっしりとした装丁の分厚い本の向こうにあった、形のいい唇が見えた。
それは、一目でわかるくらいの不機嫌さを醸し出し、への字に曲げられている。


「せっかくの端正なお顔が歪んでるぞ。そんなに嫌がるようなことか?」
「ああ嫌だね。なんだって自分の家にいるのに監視されなくちゃならない」
「別に監視したいなんて言ってない」
「やってるあんたは違うかもしれないけど、される側にとっちゃ同じことだ」
「なんだよ、視線を集めることが商売みたいなもんだろ」
「それが仕事なら、ぜいたくに選り好んだりしない。いつも通り、きちんとイヴをやるさ。外にいる間中ずっと見られてるんだから、休みの時くらいは気を抜きたいわけ」


本人はそう言うけれど、この男を前にして、無関心でいられる人間なんていないと思う。
現に、不機嫌な顔でこめかみをさする仕草すら、優美でつい見つめたくなってしまう。
動くものを無意識に追ってしまう子供のように、勝手に視線が吸い寄せられる。
居心地が悪そうに足を組み替えるネズミを見て、思わず首を傾げた。
そんなにおかしかっただろうか。
ぼくの『一度、飽きるまできみを眺めたい』という、ささやかな願いは。


ネズミの動作に見惚れる度、一度でいいから心行くまでその行動を見つめてみたいと思ってきた。
でも、気位が高く気分屋なネズミが、それをかんたんに受け入れないこともわかっていた。
この男がひどく扱いにくいことなんて、七回同じ朝を迎える頃には十二分に理解していた。
八回目の朝、隙のないその後ろ姿を見ながら決めたんだ。
ぼくより何枚もうわてなネズミの寝首をかくような真似をして叱られるくらいなら、自分に有利な条件がそろうのを、息をひそめて待ってやろうと。
そしてようやく訪れた今日この日に、胸をうきうきさせながら飛びついた、というわけだ。


「なんでもっと具体的なものにしてくれないわけ。物品のプレゼントならお手の物なんですが」
「充分具体的だと思うけど。きみは普段通り生活するだけ、特別なことをする必要はない。かんたんじゃないか」
「何をしてても粘着質な視線が飛んでくるなんて居心地が悪い、最悪だ。ひょっとして、遠慮でもしてるんじゃないだろうな。おれに不必要な金を使わせないようにって」
「言われてみれば、それもあるかもしれない」


いらない支出を許せるゆとりなんて、ここでの生活には皆無だ。
今までも金遣いが荒い方ではなかったと思うけど、ここに来て更に引き締められた。
金を稼ぐということ、そしてそれを使う場面では過敏になった。
時には金より品物同士の交換の方が有利に働くことも、最近知った。
ぼくの稼ぎなんて微々たるものだ。満足に食費も出せないのに、誕生日という口実で金を使わせるなんてできない。
そう思わなかったわけじゃない。

そんなぼくの考えを先読みしてか、ネズミが鷹揚に腕を広げる。


「そんなの気にしなくてもいいのに。あんたのためなら、湯水のように金を使ってみせよう。精がつく食料だろうが、厳しい冬をしのぐための衣類だろうが、なんでも手に入れてやる」


言葉の通り、ぼくが一たびそういう願いを口にすれば、今日のネズミならなんでも差し出してくれるだろう。
胃は常にからっぽだし、服だって、今着ているものじゃ暖房設備の乏しいここでの冬を越すのは厳しい。
一日のうちに物欲を満たせるのは魅力的だ。
でも、それはぼくが本当に望むことじゃない。物は、胸の乾きまでもを癒すことはできない。


「なんでそんなに物を推すんだよ。そんなにいやか? ぼくの頼み」
「いやだね。金で解決できるんなら、早々にしてしまいたいくらいに」


ぼくの声に言葉をかぶせて、ネズミは目に見えて不機嫌な顔で、読みかけの本に戻った。
なんだよ。甘やかすとか、なんでも願いを叶えてくれるとか、自分で言ったくせに。


「全然太っ腹じゃないじゃないか」
「内容が内容だし。おとなしく別の要望に差し替えてくれたら、ちゃんと叶えるさ。おれの読書のさまたげにならないくらい、簡易的なものならな」


見るからに重そうな本をわざわざ持ち上げ、あからさまにぼくの視線を遮りながら、この態度だ。
そんな風にされたら、も意固地になりたくなることを知らないんだろうか。
いや、ネズミに限って知らないはずがない。
そんなぼくを知りながら、態度を頑なにしているんだ。面白くない。


「いやだ。絶対変えない。きみには、ぼくの願いをちゃんと叶えてもらう」
「強情」
「きみがそんな態度だと、強情にもなる」


不機嫌の風にあおられ、思ったよりも拗ねた声が出た。
座ったまま動かずに、ネズミとの間に掲げられた本の背表紙をじっとりとにらむ。
ていねいな指運びでそれのページを一枚、二枚、三枚めくったところで、ぴたりと手が止まった。
本日三度目の溜め息の後、組まれていた長い足がするりと下りる。
細い指が、本に付属になっている紐のしおりをつっと引く。


「考えが変わった」


かかとを鳴らして立ち上がり、ソファの上に厚い本が投げられる。
本の山をまたぐその足運びすら美しく、一瞬で魅せられた。
狭い部屋では、いくら距離を置いていてもそれは数歩で縮まる。
首を後ろに倒さなければ顔が見えないくらい近くに立ったネズミの顔には、さっきまでの不機嫌さも、少し前の面倒くさいという空気もない。
あるのは、見えない何かを楽しむ不敵な笑みだけ。


「あんたの持論の通り、強情でこられるとこっちも強情になるもんだな。いいぜ、見たいなら好きなだけ見せてやる。ただ、やられっぱなしってのは性に合わない」


浮かんでいた笑みが、一際濃くなる。


「あんたの強情のおれの強情、どっちが先に折れるか競おうぜ」





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