お題テキスト

□乾杯
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『乾杯』


それは、束の間の休息。長い長い戦いを終えた今だけ許される、刹那の道楽。
たまには慣れない酒に溺れてみたっていいじゃないか。
なんたって今日は、独裁の崩落記念日。









ちぃん。


「乾杯ー! おら飲め飲め若人! 今日くらい無礼講で許してやるよ!」
「はっ、今更そんな恩着せがましいこと言われなくても、最初から上下関係は年功序列じゃなくなってるよ。ほら紫苑、飲んでみろ。どうせ酒の味も知らないんだろう」
「かんぱーい! わっと、ネズミ、そんなに注いだら溢れる溢れる。っと。ふん、どうせぼくは酒の善し悪しも分からないおこちゃまですよ」
「何度目の乾杯だか。おっさん頭のてっぺんまでタコみたいに真っ赤だぜ? もうそろそろやめておいたらどうだ」
「どおお! イヌカシが、イヌカシがおれの心配を! おおいみんな聞いてくれ! 素直じゃない犬っころ坊やがおれの身体のことを心配してくれたぜぇ!」


がしゃん。


「あっぶね、おいおっさん気をつけろ、頭からひっかぶるところだっただろーが! 千鳥とかいう鳥よりもふらふらの足でこっちくんじゃねぇ。それに、おれはこれっぽっちもあんたのことなんか心配してないね。虫唾が走らぁ」
「くす、今日くらい素直になれよイヌカシ。少しはなけなしの女を振りかざして、『力河様、抱いて!』って飛びついてみろ。魅力が決定的に欠如してるおまえでも、今のおっさんなら面白いくらい欲情するぜ」
「だーっ、気色悪りぃこと言うんじゃねぇ、締めっぞネズミ!」
「お、なにやる気? どういう風に締めつけてくれるのかお手並み拝見といこうじゃないか。おまえの中は、さぞ狭苦しいんだろうな……?」
「ぐわっ、なんつーセンスのねぇ買い言葉だよ……ううっ寒気がする、戦う気なんか一気に失せた」
「言うねぇイヴ。おまえさん、酒が入ると下ネタに走るタイプなのか? いいねぇこっちに来い、女のあれやこれについて語ろうじゃないか」
「うるさい、そんなこと酒臭い親父と語らなくてもとっくに間に合ってる。ほらあっち行け、しっしっ」


どたどた。


「んだよつれねぇの。こういう時くらいイヴモードを発揮して、酌の一つもしてみせろってんだ。ぬおお紫苑元気か! 食ってるか、飲んでるか?」
「はい。こんなに豪勢な食事は久しぶりで、何から手を付けていいのか分からないくらいです」
「そうかそうか、ん? 飲んでるか?」
「いや、ぼくお酒は……」
「なーに堅苦しいこと言ってんだ、今日は千年に一度と言っても過言じゃない宴の夜だぜ? おら、いっとけいっとけ」
「うっ、お酒臭い……り、力河さんの息だけで酔っぱらいそうです」
「なに!? おれの色香に酔いそうだと!? なんだよ紫苑、そいつぁちょっとまずいぜ、おれは一応女しか相手にしないノンケなんだ、火藍に操立てもしてるしなぁ」


がしっ。


「おい何紫苑に絡んでんだおっさん。あんたもなに捕まってるんだよ。ほら、あっち行ってろ」
「あっち行ってろなんて、あんまりだ。一応ぼくだって主役のうちの一人なのに」
「いいんだよ、酔っ払いが鎮まったらまた呼んでやるから、ほら」
「ちぇ」
「ああう紫苑、どこ行くんだ紫苑ー」
「おっさんうるさい」
「ああ? なんだイヴじゃねぇか、まあそこに座れ、腰を据えて話そうや」
「あいにくだけど、呂律が回らない親父と話すことなんか何もないね」
「くくっ、話し相手になってやれよ。ほら、未だに盛りがつきっぱなしの親父と年中発情期のネズミ、下ネタ大好き野郎同士、話が合うんじゃねぇか?」


ぐびっ。


「っあー、イヴ。本当のところ、どうなんだ」
「はぁ、なにが」
「『何が』。じゃねーだろうがよう」
「……今の、おれの物真似のつもり? 全っ然似てない」
「ぎゃははそっくりだぜおっさん! だてにネズミのこと追っかけてたわけじゃねぇんだな」
「そうだぞぉ、おれはー! イヴがー! 大好きだあぁー!」


ひゅーひゅー。


「やーどうもどうも! お祝いありがとう!」
「ったく周りの親父共まで調子に乗りやがって。だが、残念だったな。おれはあんたのことなんかこれっぽっちも見ていないんだ。性的対象はおろか、人として見ているかも怪しいよ」
「確かに、この親父はたぬきに似てやがるよな、くくっ」
「おまえに愛されないのは悲しいが、まぁおれのことは置いておこう。実際、本当のところどうなんだと聞いてる」
「はぁ、だからなにが。ん、ちょっと擦り寄らないでくれる、気持ち悪い」
「いいから耳貸してみろ。……実のところ、おまえ、男を相手にしたことがあるんじゃないのか?」


しーん……。


「……は?」
「だーから、おらぁ初対面の時にも聞いただろ? 『おまえくらいの上玉だ、客を取ったことがあるんじゃねぇのか』ってよぉ」
「うげっ、なんだそりゃ! 初対面でんなこと吹っ掛けただぁ? おっさんでろでろに酔わなくても、結局下ネタ大好きなんじゃねぇかよ」
「うーるせっ、今は黙ってイヴ様のお声に耳を傾けろぉ! 知られざる過去が聞けるかもしれんチャンスだぞぉ!」


ごくり。


「ん? どうなんだ? イヴ」
「……」
「おいネズミどうした、早いとこ言い返してやらねぇと、おっさん調子に乗ってまた気持ち悪りぃこと言うぜ?」
「おれ、は。……おれは、そんな風に見られてたのかよ。おっさん、エロ雑誌なんか作るようになって目玉が曇っちまったんじゃないのか? おれが、……おれが、誰を見ているか、本当に分からないの……?」


ぐっ。


「い、イヴ? なんだよ、顔が近い……」
「おれが素直じゃないこと、おれの言動はいつもその裏側を示唆していること、鼻がきく元ジャーナリストのあんたなら分かってくれると思ったのに」
「なんだ、どういうことだ……?」
「はっきり言わないと分からない? じゃあ、謎かけしてやるよ。おれは、あんたが大嫌いだ。飲んだくれの身体を心配してなんかやらないし、ふしだらな性生活を案じたりはしない。あんたを思って自分を慰めることも、女泣かせの大層なブツにどうにかされたいなんて思ったこともない。……さあ、問題です。おれの言動は、いつもその裏側を示唆している。と、いうことは?」
「なんだ? ひっくり返して考えりゃいいのか?」
「イヴは、おれを思ってその身を慰め、おれの身を常に案じ、おれのことが、大好きだと……!?」


どたんっ。


「なぁんて、ね。そんなの全部真っ赤な嘘でした。おっさん一回紫苑に頭ん中洗ってもらったらどうだ? おれが客を取ったなんて、下らない。よくそんな暇つぶしにもならない妄想ができたもんだ、なっ」
「目がマジだ……ネズミの奴、抑えてただけでちゃんと怒ってたんだな」
「うぎゃあああ、イヴやめ、やめろぉ! ふっ踏むな、踏みにじるな!」
「えー? 実はノンケなんかじゃない危ないおじさんは、こうしてっ、こうしてっ、足蹴にされるのがっ、感じちゃうんじゃないのぉ? ふふ」
「いだっ、いだだっ! やめろ、やめてくれえ、使いものにならなくなっちまう……!」
「こんなもん、もうとっくに使い道なんかないだろ。せっかくだから根元から切り落としてやろうか。いっそ女になって、これから生まれる世界で一人時代に逆らい、路地裏で身売りでもしたらどう、だっ」


ぐりごりっ。


「おあああぁ! やめ、やめてくれぇ!」
「だははは! ネズミ、その辺にしといてやったらどうだ? おっさん泡吹きそうだぜ、ぶはははは!」
「この、おれがっ、客なんか、取るかよっ」
「ぐあああぁっ!」
「ぎゃはははは! おっさんひっくり返って、芋虫みたいにもぞもぞしてらぁ! ひー、ひー、腹がいてぇ……おーい誰か、これ写真に撮ってくれ、わはは!」


ぱちり、ぱちり。


「やだぁ、力河さんて真性ドMなんですかぁ? 足コキだけでイっちゃったぁ?」
「おまえさんは極悪ドSだよ……しょがねぇ助けやるか。おーい、救護班はいるかー」
「ふん。別におれだって誰彼構わずいじめて楽しむわけじゃない。今のはなんとなく、気が乗ったからいじめてやっただけ。はあ、変なモノ踏んだせいでブーツが穢れた」


たったっ。


「おーいネズミ、これ食べたか? 生魚、ていうかお刺身なんだけど、これならきみでも食べられるんじゃないか?」
「お、天然ぼうやのご帰還だ」
「紫苑! 今までどこに行っていたんだ、心配したぞ」
「どこにって、きみが離れるよう言ったんじゃないか……」
「そうだったなすまない。麗しい奥様方と、何を話していたんだい?」
「うん、どんどん凝った料理が出てくるから楽しくて。これはなんですか、美味しいですねって喋ってるうちに人垣が」
「あんたが陰りのない顔で笑うからだろう。本当に天性的な天然タラシだな」


すっ。


「ほら、食べてごらんよ。初めて食べるんじゃないか? 刺身なんて」
「西ブロックでは生物なんか食べられたもんじゃなかったからな。……ナチュラルにあーんしてくれるのか。そうまでされたら食べないわけにいかないな。どれ」
「……どう? いけるだろう?」
「……う、ごめ……そこのグラス取ってくれるか」
「あ、あれ? だめだった? そっか、刺身もだめだったか、ごめんなネズミ、大丈夫か? 飲み下せる?」
「……ぅ、はぁ。おれ、好き嫌い言える程贅沢じゃないと思ってたけど、案外わがままだったんだ……」
「初めて知ったな。……ふふ、こうして他愛もないことでも、新しくきみを知る要因になるんだな。なんだか楽しいよ」


こくっ、こく。


「あー、口の中から血生臭いのが消えない。舌触りも残ってる。あー」
「ご、ごめん、別のもの持ってくるから待ってて」
「……あっ」
「わ、ど、どうしたんだ? 具合が悪い? 急にふらついたりして」
「色んな酒を飲んだからかな、なんだか酔いが回ったみたいだ。足に力が入らない」
「大丈夫か? じゃあほら、窓際に座ろう。夜風に当たって酔いを覚まそう。ぼく、口直しになるもの持ってくるから」
「いい、いらない。いらないから、紫苑……」
「うん? なあに」


ちゅっ。


「口直し、いらないよ。あんたのキスで充分」
「……」
「なぁ、おれ本当に酔ったみたいだ、身体が熱い。ちょっと、介抱してくれない……?」
「……」
「胸元、はだけさせてよ。あんたの手で」
「……」
「紫苑?」


ばばっ。


「うあ、やっ! き、きみ、みんなの前で、なな何を!」
「……反応、遅」
「やああ違う、違うんですぼくたち何もそんな関係じゃ! お願い信じてください、冷やかさないで!」
「なーんかそれ、地味に傷つくんですけど。いいじゃんもう、ここまで来たら公開交際宣言しても。いっそのこと、さ、あんたはおれのもので、おれはあんたにぞっこんだって、今ここで知らしめておくか……?」


どたがたがしっ。


「てめーら人前でなにしてやがんだ! 紫苑から離れやがれ野獣! てめぇさっき客は取らねぇなんて言っておいて、ちゃっかり男に手ぇ出してんじゃねーか!」
「客は取らないよ、だっておれ、本命一筋なんだもんっ」
「もんっ、じゃねー気色悪りぃ! 紫苑こっち来い、そいつの隣は危険すぎる」
「やーだよ、離してやらない。紫苑は一生、おれのものだ。そしておれも紫苑だけのもの。初めて会った時に、既に心奪い合っているんだよ。残念だったな」
「だーっ、そんなの知ったことか! 集まれおれの犬! 今日は存分に暴れていい、仕事が済んだらたらふく食わせてやる。だから、全力で紫苑にたかるあの寄生虫を排除しろ!」





これは、束の間の休息。長い長い戦いを終えた今だけ許される、刹那の道楽。
今まで我慢していた分、これからは存分浸ったっていいじゃないか。
なんたって今日は、独裁の崩落記念日。
そして、これから始まる街の、最初の宴。









―――

乾杯〔かんぱい〕

大慶を祝って酒を飲み交わすこと


―――





2011.09.16*

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