お題テキスト

□師の君
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『師の君』



「ネズミ、これでいいよ。手頃だし」
「どれ。……あんた、こんな靴でこの冬をしのげると思ってるのか? ここはあんたが今までいた温室とは違うんだぞ。例えるなら、身の丈以上の氷柱に囲まれた地下と太陽の真横程の差がある、却下」
「そうかぁ。あ、じゃあこれは?」
「ふうん、ショートブーツか。それならいいんじゃない? 履いてみたら」
「うん。ん、ん……は、履けない」
「あんた、足のサイズいくつだよ」
「25」
「はぁ。よく見てみろ、靴の裏にはなんて書いてある?」
「にじゅう、さん……」
「履けるかよ。ちゃんと自分に合った靴を選べ」


大袈裟に肩をすくませて、ネズミはぼくが手にしているのと対の靴を品物の山に戻した。

ぼくが今履いているのは、長時間の運動には不向きの簡易な作りの靴。軽くて変に癖がなくて、NO.6で履くには申し分ないもの。
けれど過去にないくらい健康的に走り回り、用水路ダイビングをしたおかげで、今ではそれは側面が破れ底が浮いていた。
何不自由なく使用できていたものが一日でぼろぼろになったことに驚いたら、ネズミに鼻で笑われた。
「目に見えるものが全てじゃない。一見綺麗でも、中身は相当傷んでるってこともある。一つ勉強になったじゃないか、よかったな」
そんな風に付け加えて。

四年前に会った時はせいぜい数時間、再会した今だってまだ一日も一緒にいないのに、このネズミという男は無遠慮に言葉を投げつけてくる。
なにかにつけてぼくの行動を笑い、言動を小馬鹿にし、聖都市からの厄介者がどれだけ無力か知らしめる。
昨日の今頃は、まだ山勢さんと公園の管理室にいた。あの時は二十四時間後にこんなところにいるなんて夢にも思わなかった。
今までの生活が夢だったのか、それともこれから訪れる方が夢なのか。判断がつかなくて身震いしそうになるけれど、一人じゃないからまだ平静を保っていられる。
ここで生きる術を何一つ持たないまま放り出されたら、おそらく発狂してしまっているところだろう。
その前に、NO.6から出ることもかなわず殺されていたかもしれないけれど。

これからどうなってしまうか分からないにせよ、靴がなければ動けない。
動けないなんて言ったらまた怒られるかもしれないと思ったが、物理的に出歩けなくなるからこればかりは仕方ないと思ってもらえたようだった。


「ほらこんなのはどうだ」
「うわっ重い。これ、革靴?」
「ああ。ストレートチップでなくて残念だがな。もっともそんな上等な代物、おれだって見たことないけど」
「ストレート……? なんだ、それ」
「革靴の種類だよ、最高品質の夜会靴。そんなことも知らないの」
「……」


この男はどうも掴みどころがない。心全部でぶつかると否定され、質問をすると跳ね返される。
ぼくが信じていた持論をことごとくひっくり返し、高みで笑っている。嘲笑い、蔑んだのち、憐みの表情を浮かべて。
それが悔しくて反論しても、簡単にまたすり抜けられる。なんとも難しい男だ。


「あっ、これいいな。履きやすそうだし、丸くて可愛い」


対の靴を見つけるのも難しい程積まれた山の中から、目についた商品を引っ張り出した。
山が崩れないように片手で押さえながら、取り出したそれを掲げてみる。なんの装飾もない、黒く質素な靴。
さっきネズミが差し出したものには劣るけれど、最初に却下されたものよりは強度がありそうだ。
なにより丸くなった先端がどこかサンポを思い出させ、一目で気に入ってしまった。


「可愛い? あんた、物を選ぶ基準が女みたいだな」


ぼくの提案を一度は否定しないと気が済まないのかと疑いたくなるくらい今回もしっかり蹴り付けてから、ネズミは口の端を上げた。


「でもま、最初のやつよりはいいんじゃないの。ほらよこせ、買ってくる」
「ごめんな、転がり込んだうえに服も靴も買ってもらって」
「ヒモみたいな言い方しないでくれる? おれにヒモなんて、冗談じゃない。どっちかっていうと養ってほしいくらいなんだけど」
「養われたいのか? でもきみを養うのは大変そうだ。なんていうか、要望が多そうで」
「そりゃそうさ。あんたならまだしも、このおれだぜ? どろっどろに甘やかしてくれて、最高に贅沢させてくれて、美味いものをたんまり食わせてくれる、おれを上手に気持ちよーくさせられる奴のところにしか行かない」


冗談とも本気ともとれる言い方をして、ネズミはぼくの手から靴を奪うとさっさと店のおじさんに差し出した。


「ごめん、お金はいつか必ず返すから」
「別にいいよ。陛下には劣るでしょうが、わたくしめもそこそこ稼いでおります。ここではとても、言えないようなことをして」


唇に人差指をちょんと当て、意味ありげに一つウインクを投げられた。
どんなに口が悪くても彫像のように整った顔をした男だ、不意に向けられた誘惑の視線を避けきれず見入ってしまう。
余程おかしな顔になっていたのだろうか、ぼくを見て盛大に吹き出しながら、ネズミはカウンターに銀貨を何枚か放り出した。


「それに、お礼ならあんたの頭脳にたっぷりしてもらうし」


ぽつりと呟いた言葉を聞き返すよりも先に、投げるように靴を手渡される。お礼を言う暇もなく、その背中はさっさとバラックを後にした。
ここまで履いていた靴を慌てて脱ぎ買ってくれた母さんに心の中で礼を言って、ぼくもそのあとを追って雑多な通りに飛び出した。






―――


師の君

先生の意


―――





11.08.23*

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