お題テキスト

□福音
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『福音』



NO.6と呼ばれた都市があった場所を乗り越えてきみが消えてしまってから、三年の月日が経った。
獣のように猛り狂った炎が治まっても、聖都市と呼ばれた残骸は風化することなく無様な形で今もそこに鎮座している。
解体してしまおうという案が出たことには出たが、ぼくを始めとする多くの市民がそれを現状のまま留めおくことを唱えた。
更地にし、視覚的に蓋をしてはならない。そこで起きたことから、目を背けてはならない。死んだ人の記憶を、声を、流された血の量を、隠すことは許されない。
たとえ崩れて鉄屑や瓦礫の山になってしまおうとも、後世に伝えなければならないことが、そこにはあったのだ。
たった三年前まで、確かに活動していたのだ。




大勢の人を解放し、独裁政権になりかけていた都市を破壊してから、ぼくとネズミ、イヌカシと力河さんはしばらく英雄扱いされた。
やめてくれと言っても歓声はやまず、どこを歩いても呼びとめられ、毎晩何かしらの祭に招待された。
ロストタウンから西ブロックに移った時のように、それはまた新たな世界をぼくに、ぼくたちに見せた。
どこに行っても振舞われる酒に上機嫌の力河さん、心底怯えた顔をして知らない人に睨みをきかせるイヌカシ、持ち前の人当たりのいいイヴの仮面をつけて謙遜してみせるネズミ、ぼく。
たった一週間あまりの出来事だったけれど、それは一生続く宴のように思われた。




このままだといつまでたっても街の再建が見えないということで、新しい都市計画が練られることになった。
市民に開示した政治方式を敷くことで、今度こそ理想の都市を作って見せようという取り組みだ。
その再生プロジェクトに、真っ先に誘われたのはぼくだった。
まだ成人していないながらも、矯正施設を壊滅に追いやる程の記憶力と理論の構成の早さを買われてのことだった。
始めは驚き戸惑ったけれど、すぐに承諾した。
新しく、今度こそ違わない世界を作る為の礎を築くことに携わりたかったのももちろんだけれど、ぼくの心の多くを締めたのは沙布の言葉だった。
全てを託されたんだ、無様なことはできなかった。
ぼくは一晩、事の重大さを噛みしめてから、受け入れの返事をした。




街の再建に携わっていることを光栄に思っている。けれど、それと今幸せかどうかは別の話。
再建委員会に加入すると決めたぼくを見て、ネズミもすぐに「この街を出る」と決めた。
傷が塞がるか否かの頃には、ネズミはもう旅支度を済ませていた。
もっとも、持っていく荷物なんてないと言い、身体一つのような出で立ちで超繊維布を翻したのだけれど。




北ブロックに消えたその背中が、昨日別れたかのように今も瞼から離れない。
なぁ、きみは今どこにいる? なにをしている? 毎日ちゃんと食べているか?
そりゃあ西ブロックにいた頃に比べたら贅沢をしているかもしれないけれど、それでもやっぱり心配なんだ。
きみは、自分のこととなると途端に不精者になってしまうきらいがあるから。
きみが見えなくなってから三年、毎日が慌ただしくて充実していた。
それでも、あの頃程の満足や実感は見出せない。
西ブロックで過ごした、貧しいながらも色濃い日々。あの頃に戻れたらと、今でも思う。思ってしまう。
過去に想いを馳せても何も得られないと笑われてしまうかもしれないけれど、思わずにはいられない。
たった一冬で終わってしまったきみとの生活を、ぼくはまだ思い出してしまう。
きっと一生、思い続けるだろう。隣にきみのいない日々が続く限り。
仕事の面でどうしてもと宛がわれた部屋は、ぼく一人で住むには広すぎる。あの住み処よりも随分広くなったのに、反比例して住む人数が減るなんておかしな話だ。
この部屋の壁を全て本棚で覆い、読んだことのある本やこれから読みたい本をぎゅうぎゅうに詰め込んで、あの部屋の再現をしようと思ったことがある。
簡易なベッドに毛布だけで眠り、風邪をひいたこともある。何度目かも忘れてしまったマクベスに没頭しながら、無意識にきみに朗読を頼んでしまうこともあった。
ツキヨと昔話をしながら眠りにつこうと思っても、夜は母さんの部屋に潜ってしまい出てくることは稀だった。この薄情者。
ネズミの話ができるのは、今はきみしかいないのに。




季節はあの時と真逆の早苗月。風の音に気付いて窓の外に目をやった。
復興資金に宛てる為に控え目にしてある街灯が、苗木から切り取った葉を運ぶのが見えた。台風には及ばないながらも、今日はそれなりに風があるらしい。
ひゅうひゅうと唸りを上げる風音が、脳裏で七年前のあの夜と重なる。地鳴りのような風に負けずに声を張り上げた、台風の夜。
気が付いたら窓枠に手を伸ばしていた。手動のものでも充分防犯力があると見直された簡易鍵を押し上げ、両手で大きく開いた。
新鮮な青い風が部屋を吹き抜け、淀んだ空気をさらってゆく。




ああ、あの夜に似ている。目的地を定めない豪雨こそないものの、あの時のことを容易に思い出させる程に荒れる風。
手すりを頼りに暴風の中飛び出したら、あの時に戻れるだろうか。
見えない糸で手繰り寄せられるように、風に逆らいベランダに出た。大きく息を吸い込むと、香ばしい青葉の香りに全身を満たされた。
このままあの頃よりは低くなった声で叫んだら、きみは現れるだろうか。まだ再会劇から、始ってしまわないだろうか。
そんなばかなことを本気で考えてしまえる程、切迫していた。
こんなにも、きみが足りないのに。きみはぼくが恋しくなったりしないのか。しないんだろうな、きっと。
会いたい。会いたいよ。希求して胸が縮まり、飲み下せない想いが喉元にせり上がるくらいに、きみに会いたいと渇望しているんだ。
会いたいよ。帰ってきてほしい。
入ってこい、ネズミ。




叫ぶでもなくただ大きく息を繰り返していると、一瞬懐かしい匂いを嗅いだ。
命の脈動を思わせる青葉とは違う、か細くて消えてしまいそうなのに確かに存在する竹色の草の匂い。心臓が跳ね上がる、この匂い。
次いで耳で捉えたのは分厚い布がはためく音。ビロードとも絹とも違う、独特の布音にも聞き覚えがある。
思わず背筋がぞくりとした。まさか、まさか。
振り返っても、そこには誰もいないだろう。誰かいるかもしれないと期待して振り向いて、寂しい思いをするのは真っ平だ。
だから期待なんかしない。したくないのに。


「あんたちっとも変わってないな。七年前と同じことをしようなんて、一体いつまで過去にしがみ付いてるつもりだ」


聞いた。聞こえた、聞こえてしまった。
幻聴だろうか。いやまさか。こんなにはっきり聞こえた声が幻聴がなら、一度検診に行った方がいいだろう。
明日の予定はなんだっけ。医者にかかる時間はあったか? でもその前に、声の出所を確かめておこう。
恐る恐る、開け放していた窓の方を振り返る。ぎしぎしと音を鳴らしながら首をねじ回し、室内を見る。
逆光のせいで影色に染まった、見知った男がそこにいた。


「おいおいなんて顔してる。新都市の未来を担う官僚さまがそんな情けない面でいいのかよ」


「はぁ、なにか食い物置いてないの? この風だ、移動に随分力を使っちまった。おっマフィンの新作? いっただき」


「……おかしいな、おれ、歓迎されてない? 一応、あんたと一緒に働いた、元英雄なんですけど。忘れたか?」
「忘れるわけない! ずっと、ずっとずっと、ずっと、待ってた。……おかえり、ネズミ」


ああ、ネズミの言うことは絶対だ。一度口にしたことを違えるなんてしないんだ。
ネズミはぼくに会いに来てくれた。再会を、果たしてくれた。
三年前よりも大人びて男らしくなったネズミが、確かにぼくの目の前にいた。


「ただいま、紫苑」











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福音〔ふくいん〕

喜ばしい知らせ


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11.08.12*

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