お題テキスト

□流転
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『る』


もともと、物持ちは良くない方だった。
破壊がどうしようもなく性に合っていた。

なにに対しても執着や依存なんかしない。物、者、あらゆる万物を前にしても。苦労して手に入れた筈のものを簡単に壊し、失くしては物足りなさに気付いて欲し。
例えそれが、危険を冒しても手にすることを願った無二のものだとしても。手にした瞬間その価値を見失って、躊躇などせず破壊した。
たった一秒前まで形を保ってそこに確かに存在していたものが、少し力を加えただけ・不意に手を離しただけで崩壊する。
拾い集めることも困難な程に砕け散った破片。それを見ている時は、いつも決まって気分が良かった。
安心した。
誇らしかった。
自分の力をはっきりと目の当たりにできたような気がして。
清々しかった。
気持ちがよかった。

けれどその快楽の後、決まってじわじわと身体を侵食する焼け焦げる感覚を味わうことになる。
なにも手につかなくなる程、おれは欲してしまうのだ。また壊す為の、何かを。
呆気なく壊れ、でも再生してくれるような。都合のいい何かを。

いつからかおれの心に根を張った破壊的衝動が。物以外へ矛先を向けることも、想像できていたことで。
初めて手を上げた時も、それ程までに戸惑わなかった。それは物を破壊した時と変わらず、おれの虚栄の自尊心をくすぐった。
しかし、何より相手が悪かった。それを黙って受け入れてしまう程、馬鹿な相手を手にしてしまったから。やめられなくなった。
ぶれない情をおれに抱いて、今夜も逃げ出すことのない馬鹿な男が。手放せなくなった。




夜更けに理由もなく目が覚めた。
深闇の中、いくら目を凝らしてもなんの輪郭も浮かび上がってこない。
けれどすぐ隣で規則正しい寝息を立てる者の姿は、手に取るように分かった。
ここまで生きてきた中で、否応なく研ぎ澄まされた感覚のおかげだろうか。それならば、少しはこの数奇な運命に感謝してやってもいい。

静かに上がり、下がりを繰り返している薄い胸板に指先を滑らせてみた。
陶器みたいに冷たい印象を与えてくるそれは、けれども疑いようがなく暖かい。
他人の体温。おれより少し高いであろう体温。

でも。優しく熱を奪い取るように指を乗せていたけれど、唐突にそれに飽きた。
なんでおれが起きているのにこいつは寝ている。つまらない。
おれが目を覚ましたら一緒になって起き上がるくらいで、やっと釣り合いがとれるくらいじゃないのか。一心同体の、恋人なんてやつは。

軽く添えていただけの指先を、意志を込めてついと滑らせた。
幼くも隆起する喉元に五指を回して、ゆっくりと力を込めた。
雪のように白い肌に、指先がずぶずぶと沈みこむような映像が見える。
けれどそれはただの幻覚で、現実は手の平にどくどくいう人の息吹を与えてくるに留まった。


息が詰まったのを感じたのか。
暖かく満たされた世界にいた魚が、釣り上げられるように。
おれの手を震わせて、その声帯が鳴いた。


「ネズミ、どうした……?」
「どうしたもこうしたもない。おれが起きているのにあんたが寝ているのが、面白くなかっただけだ」


一足先に覚めていたおれの目は、先程よりも視界を捉え始めていた。
もっとも、暗闇に浮かび上がってくるような白い髪と身体は、目が慣れようが慣れまいが関係ないけれど。


「どうして寝てる。どうしておれだけ起きてる。こんなのつまらないだろう。……おれが起きたら、あんたも起きろ。そんなこと、言わせるな、紫苑」


紫苑の口から、苦しそうに吐息が一つ洩れた。
ああ、だか、うう、だか判断つかない吐息を洩らす唇。
なんて、艶かしい表情だ。もっと苦しめてみたくなる。首を絞められたまま口を塞がれたら、どうだろう。どうしようもなく苦しいだろうな。
それはきっと、おれに更なる高揚を与えてくれる。そう考えると、柄にもなく心臓が跳ねた。
空気を求めて開閉する口を塞ぐ為に、おれは容赦なく唇に噛み付いた。


驚いた紫苑が必死に抵抗するも、全身で押さえにかかっているおれには到底適わない。
一、二度身体を捩った後、紫苑は諦めたように力を抜いて、おれの動きを受け入れるだけになった。
紫苑がくぐもった声を上げる度に、喉と口内がぴりりと振動する。

唯一の気道である小さな鼻も、思い切り指先で摘んでやろうか。そうしたらどうするだろうか。
呆気なく、死んでしまうんだろうか。
そんなの、許さないけれど。


右手で喉を圧迫し、唇で唇を塞ぎ、空いた左手を髪の中で遊ばせてみる。
蜘蛛の糸みたいな細いそれを鷲掴んで、耳を意味もなく弄んで、たまに優しく地肌を撫でて。
それぞれ違った反応を返してくる紫苑が面白い。面白くて、興奮する。
知らず知らずのうちに右手に力を加えていたらしい。絡まりあった舌と溶け出しそうな唇に、思わず洩らしたのだろう悲鳴がぶつかった。
唾液を通して振動する、紫苑の悲痛な叫び。
それを気まぐれに聞き入れてやることにして、おれは長い長い口付けから紫苑を解放した。


このまま締め続けたら、失神してしまうだろうか。まさか死にはしないだろう。
失神させるのも楽しいかもしれないけれど、また一人になってはつまらない。
おれは反応を返してくるものが好きだ。動かない物を犯し続ける趣味はない。
束の間、楽にしてやることにしよう。


「息が、吸いたいのか?」


弱々しく頭が揺れる。そりゃ、吸いたいだろう。


「離して、ほしいか?」


もう一度。頭が揺れる。そりゃ、自由になりたいだろう。
空気を取り込んだ胸が激しく揺れ動くのを見たくなって、近付けていた顔と両手を離してやった。
どくどくいう余韻が残る右手、蜘蛛の糸を絡め取った左手。どちらも、紫苑で染められている。
こんな一瞬離れただけなのに、またどうしようもなく触れたくなる。
ああ、また今日も、破壊したい。

酸素を吸い込むことだけに集中している紫苑の手首を握りこんでみた。
柔らかくもないマットレスに、強引に沈ませるように押し付ける。
手の甲に回り込んだ指先を、故意に肌に食い込ませた。
それが肉のない・皮だけの皮膚に痛みを与えるということは、もちろん知っていた。だから、やった。
苦痛に歪む顔が見える。それはとても美しい。
潜められた眉に、咄嗟に閉ざされた瞼に、痛みを堪えるべく引き結んだ口に、言いようのない欲が沸く。
比喩でもなんでもなく、食べてしまいたいくらいに可愛い紫苑。


「痛いか?」


頭は揺れない。必死に耐えている。


「おい。目を、開けろ」


命令に従順に従い、薄く開かれた瞼から綺麗な瞳が覗いた。おれの目を射抜くように見つめてくる。
その瞳に込められた色を推測することもせず、再び触れてしまえる一歩手前まで顔を近付けた。
声に出さなくても聞こえるだろう。吐息だけで、囁いた。


「おれが、怖いか?」


力強く、首が振られた。
縦ではなく、否定する意味を含んだ横に。
ほら見ろ。あんたがそんなこと言うからまた、興奮した。また、興奮した。
今日も手に入れた、入れてしまった。馬鹿な紫苑の痛切な想いを。
手に入れて満足することはないから、おれはそれを、壊すしかない。


今夜もおれは、紫苑をぐちゃぐちゃに、破壊する。
物と違って、壊しても壊しても壊れてしまわない者を。おれは今夜も、めちゃくちゃにする。
手にした最高のものは、壊しても壊しても性懲りもなく再生する、どうしようもない男だった。




――――

流転〔るてん〕

終わりを迎えず移り変わること。


――――


10.05.17






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