6テキスト

□甘え方
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「ネズミ、疲れてる」


夜。紫苑と背中合わせでもたれ合い、ベッドの上で読書をしていた。
肌寒い地下の空気。
唯一感じる熱は、紫苑の少し高めの体温。
触れ合った背中から、心地良く伝わってくる。
文字の踊る世界に浸かり込んでいたところに、突然紫苑が体重をかけてのしかかってきた。
「疲れてる」、なんて決め付けて。
読んでいたページに栞を挟み、おれは首だけで振り向く。
紫苑は身体も目線も本に落としたまま、気持ちだけこちらに向けてきた。


「突然なに」
「ネズミ、いつもより読むペースが遅い」


手元の本に落とした視線が、ゆっくり上下している。
……こいつ、変なところで器用だな。読みながら、会話するだなんて。


「あんた、読書してたんじゃないのかよ。なに、本読むふりしておれの観察でもしてたわけ? いい趣味してますこと」
「なんだよ。ぼくだって読書してたよ。でも、気になったんだ。ぼくよりきみの方が、いつも読むの早いじゃない。今日は、全然先に進んでない。……どうしたのかなって」
「人のこと気にしながらなんて、読書にならないだろう」
「だって背中合わせでもたれてるんだもん。いやでも動きが伝わってくるさ」


そうか? 少なくともおれにはわからなかったけど。……くすぐったいような、あんたの体温以外は。
紫苑に言われたことを心の中で反復し、自分が疲労しているか探ってみる。


「あー……」


疲れていないわけではないが、疲れやすくはなっている、そんな気がした。
身体が重い。まばたきが多い。
運動不足だろうか。おれとしたことが。


「疲れてる、かもな」
「やっぱり」


おれの変化を気付けたことが嬉しいのか、紫苑がワントーン明るい声を上げた。


「もう読書はやめにして休んだら?」
「冗談。おれから読書を取ったら、美貌しか残らない。本はこんな生活の中でできる、数少ない娯楽さ」
「ふーん」


納得するような考え込むような曖昧な生返事。

……はぁ、疲れた……ような気がする。
心情を他人に言い当てられると、指摘される前よりそれを実感するのはなぜだろう。
いや。実感するというより、暗示にかかったような感覚に陥る。紫苑に言われると、ことさら。
あー、疲れた。……かも。

ぱたん、と、破裂音にも似た音。その後で、ぐりんっと紫苑が方向転換してきた。
視線を紫苑の膝元に移す。そこには、付属の栞を挟みこんで閉じられた分厚い本。
再び顔を上げると、紫苑と至近距離で向き合う形になった。
身を乗り出すよう両腕をついて、紫苑がおれに更に顔を近付ける。目を軽く見開いて、口元には楽しそうな笑み。
あ、この顔。なんかひらめいたな。


「ネズミ、ぼくにできることはないか?」
「ん? ……なにって?」
「ぼくが、きみに、してあげられること。疲れたから肩揉んでくれとか、広々寝たいから今日は床で寝ろ、とか」
「別に。いいよ」
「なんで。疲れなんてお互い様だ。……せっかく一緒にいるんだから、少しでもきみを癒やしてあげたい」


癒してあげたいなんて、初めて言われたぞ。面と向かって、言う言葉か?
……照れるのなんて癪だから、うつむいたふりをして目を伏せた。


「んー」
「なんでも言ってくれよ。水くさい」


目尻に皺を寄せて、紫苑が更に楽しそうに笑う。
あ。紫苑が“役に立ちたいモード”に突入した。
たまにこいつは、そういう状態に陥ることがある。
他人の為に、役に立ちたくて役に立ちたくて仕方がない。そんな状態に。
こうなってしまった紫苑は止められない。
そんなに疲労しているわけじゃないから、と断ると。拗ねて口をきかなくなり、とても気まずい雰囲気になる。

過去に一度、紫苑の期待に添わない返答をしてしまったことがある。
その時は、こっちが折れて、恥ずかしいくらいに甘やかしてやらないといけないはめになった。
紫苑を満足させる方法はただひとつ。紫苑の望む通りにしてやること、だ。
おれだって、紫苑を拗ねさせたいわけでも怒らせたいわけでもない。
前回の失敗を糧に、今回はさっさと受け入れてやることにした。


「わかった……わかったから。そんなに目ぇ輝かせるんじゃない。じゃあ……そうだな」
「うんっ」


まぁ。せっかく紫苑がおれの為に何かしてくれるって言うんだし。
素直にそれに甘えさせてもらうことにしよう。


「下向いて本読んでたから首がこった。マッサージして解してくれない」
「はーい。お安いご用」


……こうしておれは、願ってもない“紫苑命令権”を手に入れた。






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