6テキスト

□子供
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「子供がほしいなあ」


なんの前触れもなく、紫苑は突然言った。
その突拍子もない一言に、ネズミは危うく漆器を取り落としそうになった。


「(…突然、とんでもないこと言い出したよこいつ…)」



椅子に後ろ向きに腰掛け背もたれを胸に抱き、紫苑はネズミを見るわけでもなくぼんやりと宙を見上げていた。
頬杖をつく要領で肘で頭を支え、ぽかんと口を開けて。
そのぽかりと開かれた口を横目に見ながら、料理の手を休めることなくネズミは言う。



「ほら紫苑。そんなに大口開けてると、あっついの、突っ込むよ?」



そう言いながら、手にした熱に灼けた菜箸を振ってみせる。
それに気付いた紫苑は、怖じ気づいたように身じろぎした。



「な、なんでだよ。そんな熱いの突っ込まれたら、火傷する」



菜箸を睨み付けながら言う紫苑の言葉に、ネズミは軽やかに笑う。
紫苑に背を向けたまま、油をしいたフライパンで炒めものを始めた。



「はは、なにそれ。ちょっとときめくじゃん。
ふふ。火傷する程熱いのは、ひとえにあんたのせいなんだぜ?」
「は?」
「どうする? ご飯の前に、運動しておくか?」
「はぁ?」
「何ぼけっとしてるの。ふふ、紫苑ちゃん、その可愛いお口で、あっつくておっきいの、ぱっくんしてくれまちゅかー」
「何、言ってん、だ、ああー! ネ、ネズミ、そっその、あっつくておっきいのって…それって、き、きみ、の」
「そうだよ、おれの」



お互い無意識のうちに、とんだ意見の食い違いが起きたようだ。
かたや菜箸、かたやムスコ。
突っ込まれては大変だと言わんばかりに、紫苑は慌てて自らの口元を両手で覆う。



「な、なんてこと言うんだ。ぼ、ぼくはてっきり、その菜箸かと思ったんだ」
「はぁ? 菜箸?」


うろんげな声を上げ、ネズミは右手の菜箸を見、ちゃかちゃか動かした。



「こんなもん突っ込んで、おれが楽しむと思ったのかよ。大体、いきなり灼けた菜箸突っ込んだら紫苑が火傷するだろうが」
「だから、火傷するって言ったんだ」



恥ずかしさから、語尾は尻すぼみになって消えた。



「まぁ、それは置いておいて。あんたさぁ、そんなことで恥ずかしがってて、よく子供がほしいなんて言えたよな。子供ができる過程なんて、結局そういうもんだろ。ま、大方本の影響なんだろうけど。急に子供をほしがったのなんて」
「う」
「どれだ?どれ読んで子供の情に打たれた?『子供と白鳥』か? 『夕焼けの公園』か? 『いつか抱かれたい』か?」
「うう、全部」



ネズミが口にしたのは、部屋の蔵書だ。
子供と親を題材にした中編小説。
それを読んで親子の愛に感銘を受けた為、紫苑は子供がほしいと口にしたらしい。



「本に感動するのはいいけど、この年で子供なんか。考えもみろよ。親も子も、すぐに身を滅ぼすぜ。自分が生きることに精一杯のおれたちに、子が養えるもんか」
「それは、そうだけど」
「それに子供なんて、可愛いだけじゃない。当たり前だけど、怒るし泣く。自分がガキだった頃を思い出してみろ。幼い頃の自分の分身を、軽い気持ちで愛せるもんか」



語りながらも手を止めることなく、ネズミは鮮やかな手付きで料理を一品仕上げ終えた。
炒めあがった料理を先程の漆器に移そうと、フライパンを片手に振り向く。
せわしなく菜箸を動かしながら、ふと。
視線を上げた。

そこには。

不満そうに唇を尖らせ、眉を寄せた険しい顔で床の一点を睨む、むくれた紫苑の姿があった。



「(あ、拗ねちゃった)」



そのまま突き出した唇で、もごもごと紫苑は言う。



「そうだよ、どうせ今のぼくは子供の一人も養えない。それどころか、きみに養ってもらっているような身分だよ。そんなの、わかってる。よーく、身に染みてるよ。なんだよ、ぼくはただ、楽しく話したかっただけなのにさ」



ぶつぶつぼやく紫苑をよそに、ネズミは手早く炒めものを皿に移した。
空になったフライパンを適当なところに置くと、改めて取り入るように猫なで声を上げる。



「はいはい怒るな怒るな。じゃあ、紫苑は、最初の子供は男の子と女の子、どっちがいいの?」



優しくにこやかに望む話題をふられた途端、紫苑はさきほどとは打って変わってぱっと笑顔になり、話に飛び乗った。



「うーんと、最初は、女の子がいいかも」
「どうして女の子がほしいわけ」
「だって、可愛いじゃないか」



そんなの当たり前、とでも言いたげに、自信を持って紫苑は言う。



「カランや莉莉を見てると、素直にそう思う。
優しくて、素直で、ちょっぴり泣き虫で、笑顔の可愛い女の子。ああ、可愛いなあ」



莉莉。
火藍の馴染みの子供客、だったか。
確か、前に話を聞いたことがある。あの時も、紫苑は楽しそうにしていたっけ。



「くす。まるで、好きな女のタイプを話してるみたいだな」
「なんだよ。
きみは、幼い女の子が可愛いと思わないのか」



紫苑の問い掛けに、ネズミは大袈裟に両手を広げてリアクションをとった。



「おれ、おこちゃまには興味ないから」
「なんだよ。自分の方が、よっぽど好みの女の子の話をしてるじゃないか」



楽しそうに声を上げる紫苑。
宙に広げた両手を身体に巻き付けて、ネズミは続ける。



「ああ、紫苑の子はさぞかし可愛いだろうなぁ。賢くて、勇敢で真面目で、でもどこかぬけてて、人懐こくて。おれ、あんたの娘なら許容範囲内だぜ」
「なんだよそれは。幼女には興味がないって言ったのに」
「あんたの面影を宿してるなら、おれは幼くても未発達でも犬でも猫でも抱けるね」
「なにそれ。ぼく、犬や猫と結婚するのか」



紫苑の笑い声をよそに、ネズミは真面目な顔でぽつりと呟いた。



「近親相姦になるけど、獣相手よりはマシかな」
「は? 近親……?誰と、誰が」
「おれと、あんたの娘が。だっておれ、あんたを女と寝させるなんてしたくないもん。だから。あんたは、おれの子を孕むんだ。わかりやすく解説するならこれすなわち、あんたの娘はおれが孕ませたおれの娘。それイコール、おれが父親、イコール紫苑が母親」
「なんだよその方程式は」



突拍子のないネズミの言い分に、紫苑は真っ赤になった。
「ぼくは妊娠しない」そう断言しようとしたが、更にネズミが言葉を挟む。



「男が生まれた場合も近親相姦になるけどな。あ、この場合は、おれが母親だから。父親は、あんた。年頃の無知な息子に、命の営みを教える美しい母親……まるで、世界を未だ知らない天使を導く、聖母みたいだろう」
「な、なんだそれ、もう言葉も出ないよ」
「あ、その時も別に、あんたが母親やりたいっていうなら構わないぜ。単純に、導く聖母が男に変わるだけだから。片手に愛する妻、もう一方に愛しき息子……ああ、幸せ。幸せすぎて死にそう」
「……」
「あれ、紫苑も幸せ? 幸せすぎて意識飛んじゃった?」
「馬鹿、絶句してたんだ。男のぼくが母親、男のきみが父親、近親相姦、聖母、天使、営み……どう考えても、おかしい。ぼくの望む家系図とはかけ離れてるよ。ぼくはこんな子供の話をしたかったんじゃないのに」



悩み、唸り始めた紫苑を、ネズミは不思議そうに見る。



「なんで。呆れる意味なんて不要だろう。これは世紀の大告白だ。あんたという存在を、DNAごと愛してるって言ってるんだから」



考え込む紫苑についと歩み寄り、椅子の背ごと抱きしめた。
悩みと告白で混乱する紫苑の耳元で、わざと艶めかしい調子で低く囁く。



「さあ、愛しき人。それでは子作りに精を出しますか」



椅子の背から引き離され、持ち上げられそうになったところで、紫苑は我に返り暴れ出した。



「ど、どうしてそうなるんだよ! ほ、ほら、料理が冷める」
「腹へった? じゃあ、おれが食べさせてあげる。その代わりにおれは、違うものを頂くことにしますから」



既に料理に対して興味を失ったネズミは、暴れる紫苑の細腕をねじり上げた。



「違うもの……って、うわ」
「一度で孕むくらい、最奥に叩き込んであげるから」



そう囁くと、抗う紫苑を腕の中におさめ、ネズミはその首筋に甘く噛み付いた。





end 




09.03.03



 

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