お題テキスト

□逢瀬
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弱い者を慰め惑わす魔女のような声音で言われた言葉に、涙なんかぱったり止まる。
慌てて涙を飲み下し、子供のようにこくりと大きく頷いた。


「ははっ、素直だな」
「欲しい。してくれ。なんならぼくからする」
「落ち着け、がっつくな」


視線を外さず見つめるぼくを、なんだかんだで目元を嬉しそうにほころばせながら、ネズミは鼻で嘆息した。


「いざそう身構えられると恥ずかしいんだけど」
「嘘言え。恥なんかないくせに。きみだって、ぼくに触れたいんだろう」
「思い上がりだ、黙れ」


やっぱり声に笑みを滲ませてそう言うと、ネズミは音もなく距離を埋め、唇を重ねてきた。
目をつむってしまうのが惜しいけれど、柔らかい感触に瞼が自然にくっつく。
先に進むでもなく舌を覗かせるでもなく与えられるネズミの口づけは、離れていた時をも埋めるように長く浅く続いた。


「……キスなんて、きみと別れて以来だ」
「そ、よかったな。ま、他の誰かと交わしていたら、激しく嫉妬に狂うけど」
「なんだそれ。そう言うきみは? 誰かと交わしたりしてないだろうな」


「していない」という答えを貰うことを前提に吹っ掛け返したのに、ネズミの言葉はぴたりと止んだ。
その表情が、「言わなくてもいいことを言ってしまった」というような形になっていく。


「え、し、したのか?」
「……ま、おれともなると、甘く淫らな夢をみせてほしいってせがむ女が列を成しちゃうから……なーんてじょうだ」
「し、したのか……? したのか? 誰とどこで、何度交わした」
「ちょ、紫苑冗談、冗談だって、目が怖いよ。大丈夫、冗談」
「……嫌だ。きみがぼくの知らない人と、知ってる人とでも嫌だけど、熱烈な口づけを交わしたなんて」
「だから紫苑それは冗談で、おいこら、待」


制止の声を聞いてしまうと金縛りにあったように身体が動かなくなるから、形のいい唇から音が発せられるより先に強引に口を塞いだ。
さっき与えられたものよりも激しい、たどたどしく噛みつくようなものを与え返す。


「……、し、おん、待て、って」


息継ぎの為に離した隙に発せられた言葉も、再び重ね合わせた唇で食べてしまう。もう待つもんか。三年間も、待っていたんだから。
止まる気のないぼくの気迫を察したのか、ネズミもそれまでの微かな抵抗をやめ、一歩踏み込んできた。
どちらともなく伸ばした舌先が、一瞬触れ合う。唇よりも熱い熱。それに呆気なく、感じた。


「っ――」


脳内が甘く痺れ、視界が揺らいだ。キス一つで、膝の力が抜けてへたり込みそうになる。
いや、現にふらついた。


「おっ、と。なんだ、キスだけで感じちゃった? 生娘に戻ったか」
「……び、びっくりした。舌が触れただけで、今」
「イきそうになった?」
「さすがにそこまでは」


達しそうになったというのはさすがに誇張しすぎだけれど、声が出そうな程に身体がひくついた。
どうしよう、再会の宴を開く暇もない。今ので完全に、その気になってしまった。
ネズミと一緒にいると、湧き上がる気持ちに従順になる。明日の予定はおろか、五分先の近い未来すら捨て、全力で今を生きたくなる。
明日は朝から会議があったはず。でもそんなのどうでもいい。たまの寝坊の一つや二つ、見逃してもらえるだろう。


「だめだ、ネズミ……足りないから、もう一度」
「えらく積極的だな。男を誘うことを覚えたか。いいぜ、再会した夜くらい、激しく猛々しく抱いてやる」


なんていう極上の誘惑だ。ネズミはぼくを好きに誘導する術を知っている。
けれど。


「だめだ、だめなんだ。今日は、ぼくがきみを抱く」
「はぁ? あんたにおれが務まるのか? それこそだめだ、おとなしく受け入れておけ」
「それもとんでもなく魅惑的なんだけど、今はきみの艶姿を見たいんだ。大丈夫、優しくするから」
「盛りがついた親父みたいな言い方するな。だめだ。あいにくおれ、後ろはまだ開発されてないしこれからも開拓していくつもりは」
「じゃあちょうどいい、今してやるよ。きみに教えられて、そこの気持ちよさはもういやになる程知ってる。大丈夫、ぼくに任せて」
「い、いやだよ離せよ、おれはそんなことしに帰ってきたわけじゃない」


ぼくの提案に怖気づいて身じろぐネズミの腰の後ろで両手を組み合わせ、離れてしまうのを阻止する。


「なぁ、気付かないのか?」
「っ、なんだよ」
「きみとぼく、やけに目線が近いってこと」


ぼくの言葉に一瞬動きを止めて、ネズミはぽかんと口を開いた。
「言われてみれば」そんな顔をして。


「きみがいない間、ぼくが退化してるとでも思った? 今更だけど、成長期がきたみたい」
「ふっ、ざけんな、あんたブーツだろ、脱げよそれ」
「なんだよきみだってブーツじゃないか。きみこそ脱げよ。なんなら脱がせてやる」


身体を密着させたままよたよたと部屋の奥まで歩き、ネズミを下敷きにして倒れ込んだ。
住み処のベッドに似せた固いスプリングのベッドがぎいと鳴く。


「いった……あんたな、おれだからいいもののこんなに固いベッドに押し倒したら、女に怒られるぜ」
「怒られないよ、女の子には。きみしか相手にするつもりはないさ」


逃げられる前に素早く手首に指を絡ませ、動けないよう拘束する。
全身で骨ばった身体にのしかかりながら、首に巻き付けられた超繊維布を口で解いていく。


「シャワーも浴びさせてもらえないなんてね。獰猛な男の部屋に来たもんだ」
「ごめん、余裕ない」
「おい、舐め、るなっ……本気、かよ」
「冗談に見えるか?」
「欠片も見えない。盛りがついた雄にしか」
「正解だ、褒めてやるよ」
「そりゃ光栄だな。……っ、噛みつくなって」


高圧的な態度なのに漏らす吐息は甘みを帯びたもので、そのギャップにたまらなくそそられる。
ぐいぐい擦り寄って、滑らかな肌に熱が通っていることを確かめるべく舌を這わせていく。


「脱がせてくれるんじゃなかったのかよ」
「今脱がせてる」
「服じゃない、ブーツ」
「今忙しいから、自分で脱いでくれる?」
「もうめちゃくちゃだ」


鼻先にネズミの匂いがするだけで心が打ち震える。両手を振って飛びかかろうとする野性的な欲をなんとか理性で押し留めているものの、そう長くは持たないだろう。
ああどうか、これが夢ではありませんように。目が覚めて泣くなんてことは、もう二度とありませんように。
ふと、あの住み処で読んだ童話を思い出した。幸せになれると信じた乙女が泡となって消えてしまう、かわいそうな物語。
人間が泡となって消えるなんて信じてはいないけれど、きみはどうも危なっかしいから。泡のように煙のように目の前から消えてしまう前に、印してしまおう。
首でも胸でも、余すことなくそこらじゅうに、束縛の印を。


「はあ。じゃあせっかくだから、お手並み拝見させてもらおうか。その腕前、あとで採点してやるよ。……かかってこい、紫苑」


息が切れ掠れた声で挑発されて、思っていたよりも簡単に理性の糸はぷつりと切れた。









―――

逢瀬〔おうせ〕

密かに会う機会

―――




2011.08.25
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