風シリーズ
□不協和音
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預かった書類に目を通しながらうとうととし始めた頃、突然鳴った携帯の着信音にびくり、とした。そのせいで依頼人から預かった書類を手の中から落としてしまう。高鳴る心臓を押さえながら携帯を開いたら刹那さんからのメール。なんて事ない、彼女からの日常のメールを読んで思わず口元が緩む。と、同時に彼女に会いたくなる。散らばった書類を一枚ずつ拾い上げ、溜め息を一つ。
「もうどれくらい会っていないですかね…」
最近の忙しさと言ったら尋常ではない。余程手が足りないのか、本来ならば来るはずのない依頼まで私に回ってくる始末だ。お陰で刹那さんと会える時間も少なくなってきた。彼女も裏の人間と関わるだけあって理解はしてくれている。けれど最後に会った時、なにか言いたそうな、そんな雰囲気だった。聞き出す事はせず、彼女も言わなかったのでなにが言いたいのかは結局解らず終いだったが。
「うーん…やっぱり会いましょう」
彼女の事を考え始めるとどうにも他に手が回らなくなるのは私の悪い癖だ。我慢は体に良くない、と目茶苦茶な言い訳をして先程の彼女からのメールに返信する。今日は土曜日で学校は休みだ。約束を取り付けて待ち合わせ場所へ向かう。会うのが久し振りなせいか少し緊張する。
『風さんッ』
ぼんやりと彼女を待っていると、待ち合わせ場所に彼女がぱたぱたと走ってくる。
『ごめんね、待った?』
「はい」
『え、ごめんなさい…』
「冗談ですよ。全然待っていません」
風さんのイジワル、と頬を膨らませる彼女。そしていつもの様にどちらとも言わず手を繋ぐ。嬉しそうな、恥ずかしそうな、そんな顔をする彼女を見て私も同じ気持ちになる。
『風さん最近忙しそうだね』
唐突に彼女がそう言った。それに対して私は苦笑いと溜め息しか出て来ない。
「本当に…お陰で休む暇もなく、刹那さんともあまり会えませんし…」
『ちゃんと寝てる?』
「寝て…ませんね…」
最近の自分の生活を思い出し溜め息を吐くと、なんとなく彼女は悲しそうな顔をした。
「?、どうかしましたか?」
『んーん。なにも』
そうですか、と言ってお互い無言になる。この時に気付けば良かった、彼女の気持ちに。そんな事すら考えられない程、私は疲れていたのだろうか。彼女が再び会話を始めた時だった、突然私の携帯が鳴る。開けば画面に表示される数字、この数字は確か今回の依頼人だ。彼女の顔と画面を交互に見て、なにもこんな時に電話をして来なくても、と溜め息を吐いて電話に出る。
「もしもし…はい、…え?今から?」
ちらり、と彼女を見ると露骨に目を逸らされる。今までこんな事があっただろうか。彼女のその反応に嫌な予感が私を襲う。
「すみませんが今からは……はぁ、…解りました。今から行きます」
彼女を優先しよう、と思うも今回の依頼人はわがままなお嬢様だ。機嫌を損ねると依頼の情報を話してくれなくなる。ヒステリックに喚き散らして一方的に切られた電話に重い溜め息を吐いて刹那さんへ顔を向ける。
「すみません刹那さん、急に仕事が…」
『…いや』
「え?」
聞き間違え、だろうか。初めて聞く彼女の拒否の言葉に声が裏返る。
「刹那さん、」
『電話の相手、女の人でしょ?いや』
「そう言われましても…仕事ですし、相手は依頼人ですから…」
困った。ここで説得しなくては、今度は彼女の機嫌を損ねてしまう事になる。ただでさえあんな露骨に目を逸らされた、と言うのに…
「刹那さん、お願いします。聞き分けて下さい」
『………』
しばらく無言で私の手を強く握っていた彼女は、するり、と解く様に私の手を離す。そしてなにも言わず身を翻すと、私に背を向けて反対方向へと歩き出した。
思わず手を伸ばして彼女の腕を掴む。けれど私の手は虚しくも音を立てて彼女に振り払われる。
「刹那さ、」
『また、ね…』
顔も見ずに別れ際の挨拶をする彼女。私はただ、去って行く小さな背中を見ているしかなかった。後ろ姿を見つめていると、彼女に目を逸らされた時に感じた嫌な予感がもう一度私を襲う。
不協和音
(私と彼女に限ってそんな事はない、と過信する。微妙な気持ちのすれ違いに気付かないなんて)
思い返せば仕事が忙しくなってからの私の態度は、彼女にとって冷たいものだと気付く事もなく、私は彼女の後ろ姿を見て溜め息を吐くと依頼人の元へと向かう。
仕事を放り出して追えば良かった。そう思い知らされるのは2週間後だった。